The Last Airbender


エアベンダー  (2010年7月)

火の帝国の猛攻により、世界は息も絶え絶えに陥っていた。彼らの侵略を止めることができるのは自然界を操ることのできるアヴァターたちしかいなかったが、彼らは100年も前からその消息を絶っていた。南極に住む部族のサカ (ジャクソン・ラスボーン) とカタラ (ニコラ・ペルツ) の兄妹は、偶然にも氷の中で眠っていた最後のアヴァター、アン (ノア・リンガー) を発見する。アンは空を飛ぶバイソンの家来アッパと共に、世界を救うために火の帝国の王子ズーコ (デヴ・パテル) と戦うのだった‥‥


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近年ちょっとヒット作から見放されているM. ナイト・シャマランの新作は、現在ニコロデオンで放送中の人気アニメーション、「アヴァター: ザ・ラスト・エアベンダー (Avatar: The Last Airbender)」の実写映像化だ。オリジナル・タイトルの「アヴァター」が今回消えてしまったのは、当然ジェイムズ・キャメロンの「アバター (Avatar)」が先に出てしまったからだろう。とはいえニコロデオンの「アヴァター」は2005年だから、実際にはこちらの方が先なんだが。


しかし、それにしても最近ヒット作に恵まれていないとはいえ、シャマランが原作つき、しかも子供向けアニメーションの映像化に手を染めるのか。シャマラン作品の魅力は、なんといってもこれまで見たことも聞いたこともなかったアイディア、視覚的インパクトにある。そういうオリジナリティを毎回興行的に当てようとするのは難しいというのは充分わかる。しかし、それでも何か新しいことをやってくれるなら、それだけでも私は充分劇場に足を運ぶ価値があると思っていたのだが、ここへ来てついに原作つきか。しかも子供向け。これでシャマランらしさは出せるのか。しかも3D。なんか勝算はあるのか。それとも溺れる者は藁をもつかもうとしているのか。


冒頭、水を自由に操る修行中のウォーターベンダーのカタラ (ニコラ・ペルツ) が水際で水の玉を持ち上げて練習するシーンから映画は始まる。そして、実は3Dが効果的に使われているのは、このシーンだけなのだ。残り100分は、正直言って3Dメガネをかけている意味がない。シャマランは、最初に観客に3Dサーヴィスをすると、あとは3Dというスタイルのことはすっかりと忘れてしまったようだ。


私のように日頃からメガネをかけている者にとって、その上からまた3Dメガネをかけるのは,実は癪なこと以外の何ものでもない。いくら技術が進歩して昔より頭が痛くなったり鼻の付け根が痛くなったりすることが減ったとはいっても、それでもメガネはメガネ、ないにこしたことはないし、長い間かけていれば、どんなに昔のよりはかけやすくなったとはいっても、やはり鼻の付け根は赤くなる。それなのに、ずっとメガネをかけていたというのに、その効果があったのは最初のシーンだけか。これだけのためにいつもより3割増の入場料を払ったのか。金返せと言いたくなる。


原作つきという点でも、成功しているとは言い難い。おかげでシャマラン作品特有の、あっと言わせるイメージが今回はまるでなかった。たぶんシャマランはイメージ先行で自分の作品を考えると思うのだが、原作があるとそれが封じられるので、シャマラン色が消える。これまでのシャマラン作品は、知らずに見ても、これ、撮ったのシャマランだろう、と言えるカラーがどれにも必ずあったが、今回ばかりはそれがない。これなら別にシャマランが撮る必要なんかまるでない。


上に書いたあらすじは、5年前に書いたニコロデオンの「アヴァター」の時に書いたあらすじをそのままコピー/ペーストしただけなのだが、その時ソッカと記していた名前を映画版に合わせてサカと書き直し、今回演じている俳優の名を書き足しただけで、他は一字一句いじってない。要するに今回の映像化に関して、オリジナルのストーリーから変わっていることは一つもない。おかげで事前の予習なんかまるきりなくてもストーリーを追うのに迷ったりこんぐらがったりすることなんかまるでなかったが、それが逆に寂しくもあった。なんか,ちょっと意外な展開の一つや二つくらい入れてくれてもバチは当たらないのに。


空飛ぶアッパが、宮崎駿にもジェイムズ・キャメロンの飛行描写にも伍しきれてないのも一と目で明らかだ。あんな想像力を刺激して演出力をうずかせるオブジェクトを与えられておきながら、まるで活かしきれてない。シャマランにとっては自分が考え出したわけではない生物やエイリアンだと、頭の中で自由に動かせないんだろう。


そしてさらに本気でがっかりさせてくれたのが、次は続編でという感じの尻切れとんぼの終わり方で、こんな作品を作っといて、まさか本当に観客が次も見に来ると思わないでくれよな。「X-Men ファイナル ディシジョン (X-Men: The Last Stand)」の時と同じくらいがっかりした。


とはいえ、まあ主人公のアンに扮するノア・リンガーなんて、よくまあこんなイメージに合った奴を探してきたよなと思うし、それはサカに扮するジャクソン・ラスボーンやカタラに扮するニコラ・ペルツも同じだ。ズーコに扮するデヴ・パテルは、最初、これが「スラムドッグ・ミリオネア (Slumdog Millionaire)」の彼ということに気づかず、こいつ、知っているけど誰だったっけと思っていたら、女房に教えられた。


たとえ作品が破綻していると言われようとも、シャマランらしいはっとするイメージを見せてくれるなら、喜んで劇場に足を運ぶ。しかし他人の褌で相撲をとるような真似だけはやめてくれ。IMDBでシャマランの次作に「The Last Airbender 2」が記されてないことにほっとするのだった。









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