Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull


インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国  (2008年5月)

1957年。ソ連のスパイたちに拉致されてきたインディ・ジョーンズ (ハリソン・フォード) が連れて来られたのは、ネヴァダの砂漠の中にある軍事施設だった。彼らを率いる女性スパイ (ケイト・ブランシェット) はインディに探し物を命じ、命からがら逃げ出したインディが紛れ込んだのは、原子力爆弾の爆破実験まで秒読みに入っていた人工の町だった。インディはとっさに冷蔵庫の中に入って爆破をやり過ごす。次にインディの前に現れたのはマット (シャイア・ラブーフ) で、彼は捕われの身になっている母を助けるのに力を貸して欲しいという。その母こそ、かつてのインディの恋人マリオン (カレン・アレン) だった‥‥


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前作「最後の聖戦」からほぼ20年振りとなる「インディ・ジョーンズ」の新作、「クリスタル・スカルの王国」。巷ではやたらと歳をとり、子供のいるインディ、という視点が強調されて話される。予告編でもそんな感じなので、それでてっきり老体にむち打つインディ、という先入観を持ったまま見に行ったら、そりゃあ前作よりは歳とっているが、「最後の聖戦」が確か第2次大戦を背景としていたものが、冷戦が背景の50年代後半になっただけで、特にいきなり老けて動けなくなったという感じもしない。むしろそういうインディが活躍する話というものを期待していたので、肩透かしを食った気分だ。


実際、公開直前になってTVにばんばんかかり始めた予告編では、得意の鞭をぴしりとしならせ、走るジープの上に飛び乗ろうとしたら思いのほか距離があって飛び移れない。そのまま振り子のように逆に後ろに振られ、後ろから来たジープの方に落ちてしまうというギャグ絡みだったので、ますますそういう歳とったインディという印象を持ってしまったのだ。


ところが話が始まると、その歳を感じさせるギャグは本当にそれくらいで、あとは大きくなった息子があるとはいえいつも通りのインディという印象の方が強い。実際の話、前作から20年経ってはいても話の上ではまだたかだか10年ぽっちくらいしか経っていないわけだから、ちょっと動きが鈍ったというくらいで妥当とは言える。むろんそれならそれでこちらも別に異論はないが、だったら別に、特に老体インディなんてみんなわざわざそれを強調する必要もないだろうにと思ってしまった。


元々インディ・ジョーンズ・シリーズは、1920-30年代の往年のハリウッド冒険活劇を現代に甦らせるという意図で始まったのは、よく知られている通りだ。とはいえいくらなんでも舞台を現代にしてしまうと、ああいう活劇は作りにくい。そのため時代を少し遡る必要があり、第二次大戦時が舞台となった。その時悪役がドイツ・ナチとなったのは、スピルバーグがユダヤ人であることを考えるとほとんど当然と言える。つまりこれまでのインディ・シリーズは、ユーモア活劇の衣をまぶしたスピルバーグのナチズムに対する意趣返しという、スピルバーグがこれまでに作ってきた「シンドラーのリスト」を筆頭とするシリアスな戦争ものと表裏一体の関係にあった。スピルバーグにとってはインディ・シリーズも「シンドラーのリスト」も、バランスをとるために両方必要だったのだろう。その両方において最上級の作品を作るというのがスピルバーグのすごいところだ。


そのインディ・シリーズが、ついにナチズムのくびきを離れた。今回、ハリソン・フォード演ずるインディが歳とったということよりも、本当に重要なことは、この、舞台が大戦時ではなく冷戦になったことにあるという風に私には感じられる。ということは、今後スピルバーグはもうシリアスな大戦時ものを作る必要を感じなくなったのかもしれない。そのためインディも1950年代に足を踏み出したのだ。実際「ミュンヘン」では、スピルバーグがこれまでの戦争という人類の罪を水に流そうとしているという印象が濃厚だったのを思い出す。


さらに今回、最初のアクション・シークエンスで背景となるのは冷戦および核の危機であり、これはむしろナチズムというよりも、現代の環境破壊問題との方に関係が深い。現在のスピルバーグの関心は環境問題の方に移っていたのだ。後半のマヤやインカにおける一連の話の展開も、こうやって見るといつも通りの展開のように見えてその実、環境破壊を憂えているようにも見える。


フォードは実際には前回から20も歳をとっているわけであり、正直言ってこういう派手なアクション映画はもうかなりきついんじゃないかと思う。それでもやっていられるのは、実は元々フォードのアクションはそれほどスピードはなかったからだ。「スター・ウォーズ」の最初の3部作を筆頭に数々の歴史に残るアクション映画に主演してきたフォードであるが、アクションのスピードではなく、ちょっと皮肉屋っぽい唇を歪めた冷笑のような表情やキャラクターがアクション・ヒーローとしてのフォードの印象を形作っているのだ。そのため、うまくやればまだあと何回かはインディ・シリーズを作れるだろう。今度こそ老体に鞭打ってしかも若者どもを手玉にとるインディを見てみたいと思う。本作は今んところ「アイアンマン」とタメを張る今年1、2を争うヒット作になっているから、次が製作される可能性も低くはあるまい。


今回はそのインディにほとんど成長した息子のマット (シャイア・ラブーフ) がいるというのが、これまでと最も大きく異なる設定だ。とはいえ前回はいきなりそれまでは影も形もなかった父 (ショーン・コネリー) が登場したし、今回インディが存在すると知らなかった息子が姿を見せるのは、ほとんど予想通りとすら言える。最後は一瞬世代交代でマットが次の主人公かと思わせといて、まだそれには早いという印象を与える幕切れを迎える。やはりまだフォードによるインディ・シリーズは続きそうだ。それでも、「アイ、ロボット」を経て昨年は「トランスフォーマーズ」で世界を救い、今またの活躍など、ラブーフはヒーローへの道を着々と歩んでいる。


今回インディと相対する敵はナチ・ドイツではなく、冷戦を背景としているため当然ソ連スパイだ。その女性首領に扮しているのがケイト・ブランシェットで、昨年「さらば、ベルリン (The Good German)」でも東ドイツのスパイに扮しており、今回はソ連のスパイと、冷酷な東欧スパイという役どころと相性がいい。むろん今回は当然スピルバーグの要請もあったろう、わざわざオーヴァーアクション気味の演技で楽しませてくれる。しかし彼女は殴られたり怯えたりする時こそ最も映えるので、最後はどういう風にぼろぼろになって散っていくのか、それを楽しみに待っていたのに、こんなスパイ役なら当然そういうシーンを付け加えられただろうに、残念ながらその期待はあまりかなえられなかった。家族向け映画だから、あまり痛めつけられて脅えるのはまずいという配慮も当然あったろう。


それにブランシェットの山場のシーンがSF絡みになってしまったということもある。考えたらスピルバーグは「未知との遭遇」を作った監督でもある。この方面から攻めてくることは考えていてもよかった。ちゃんとナスカとかの伏線も張ってあったわけだし。とはいえ、おかげでブランシェットは最後までただのオーヴァーアクションの印象だけで終わってしまった。今回の「インディ」で最も不満な点があるとすれば、悪役としてのブランシェットの散り際が彼女に相応しい華々しさがなかった、というか、他の意外なことに見せ場を持っていかれたことこそが、私にとっては最も口惜しい部分だ。


話は変わるが私の女房が勤めているオフィスは、マンハッタンのミート・パッキング・エリアという、流行りのバーやレストラン、クラブやブティック等が軒を連ねるわりと人気のスポットにある。で、女房がこないだランチで外に出て近くのタイ料理の店でタイ風のチャーハンを買おうとしていたら、彼女の前に並んでいる男がやたらとどれにするか迷って時間ばかりかけている。いったいなんなのこの男と思って顔を見上げたら、ハリソン・フォードだったそうだ。きっと映画の宣伝関係でニューヨークを訪れていて、オフの時だったんだろう。


ニューヨークのことでもあり、だからといって周りの者も、さすがに気づいてちらちらと視線を走らせてはくるが、プライヴェイトのフォードにサインや写真をねだりにくるような真似は誰もしなかったそうだ。うちの女房は、たまたまフォードが悩みに悩んで注文したのが、彼女が注文しようと思っていたのと同じタイ・チャーハンだったそうで、私もハリソン様と同じもの食べたんだもんねー、と、なぜだかやたら自慢そうだった。これまでインディ・シリーズを一度も見たことがないという現代では奇特とすら言える人間が、いきなりハリソン様かよ、と思ったのだが、考えたら私自身もテニスのUSオープンを見に行った時に、目と鼻の先にロジャー・フェデラーを見て以来、いやロジャーっていいやつだからさ、と女房に吹聴していたのだった。あまり人のことは言えん。







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