The Killing of a Sacred Deer


聖なる鹿殺し ザ・キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア  (2017年11月)

そろそろマーヴェルやDCコミックスのスーパーヒーローものに飽きてきた。我ながらこれまで何十年間もよく付き合ってきたなと思うが、さすがに近年のスーパーヒーロー連帯ものは、いい加減もういいかなという感じがする。 

 

だいたい、スーパーヒーローが多過ぎる。この手の作品は年に1本か2本あれば充分なのに、近年はスーパーヒーロー乱立のため年に何本も公開される。その一本一本に一人だと使えないスーパーヒーローがうじゃうじゃ出てきてエゴ撒き散らして、単に場をかき乱す。一人じゃもう何も解決できず、かといってスーパーヒーロー寄せ集めてもいがみ合うだけという構図が続く。結局事態は抜本的な解決も改善もされないまま次作に続く。 

 

話としては続き物になっていて、これを見逃すと次見ても意味わからないから、しょうがないから今見とくかという消極的な姿勢で劇場に足を運んできたが、さすがにもういいかなという気が、最近強くしてきた。今、「マイティ・ソー バトルロイヤル (Thor: Ragnarok)」と「ジャスティス・リーグ (Justice League)」が同時に公開されており、大型作品だから少なくとも公開初週の興行成績はトップに着いても、製作予算の見地から見ると失望させられる成績と評されているのを見ると、私と同じ思いをしている者は多いに違いないと、大いに意を強くするのだった。 

 

てなわけで、今回はヨルゴス・ランティモスの「ザ・キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」にする。前作の「ロブスター (The Lobster)」も意表を突いてなかなか面白かったが、今回はミステリ・ホラー仕立てということで、私の趣味からすると、こちらの方に一層期待する。 

 

その期待を裏切らず、映画はゆっくりと、しかし確実にミステリ色を深め、怖くなっていく。キャラクターの造型自体は、「ロブスター」の時みたいに、登場人物は大袈裟に感情を露わにすることなく、むしろ無感動無表情のように動く。しかしそこに登場する青年マーティンが、医師スティーヴンの家庭をかき回し始めると、話は登場人物の描写が抑制されているために、逆に俄然怖さを増す。 

 

前半部分で結構怖いのが、病院内を歩くスティーヴンをとらえる移動カメラで、要するにスタンリー・キューブリックの「シャイニング (The Shining)」のステディカムと同じだ。スティーヴンがそこを曲がった途端、またマーティンがいる、あるいは何かが起こるというどきどきだ。「キリング‥‥」では、カメラは、「シャイニング」の少年が乗る三輪車をとらえた低めのアングルではなく、逆に高いところから俯瞰気味に、しかも前からも後ろからも音もなくスティーヴンをとらえるが、怖さの質は共通している。 

 

しかし「キリング‥‥」が本当に怖くなるのはマーティンが本性を現す後半だ。息子のボブが原因不明の理由で突然動けなくなり、スティーヴンとアナは対応に追われる。その間に娘のキムに必要以上に近づいていたマーティンに対し、スティーヴンは家族に近づくなと警告する。するとマーティンは、お前の子供たちは目から血を流して動けなくなって不様に死ぬと、早口言葉のように宣告して去っていく。そして現実に、ボブだけでなくキムも下半身が麻痺して動けなくなり、ついにはボブが目から血を流す。なぜ、どうして? 理由もわからないまま話は俄然加速して終結に向かう‥‥ 

 

いやあ、後半は本当に怖い。最初は、子供たちが下半身不随になる理由は何? それもちゃんと明らかになるんだろうなと思いながら見ていたが、話が加速してくると、理由とか科学的な説明なんか考える暇なく、ただただ怖い。 

 

しかも下半身不随になって、芋虫のようにずりずり床を這って動くな、特にお前だ、キム! こちらには山上たつひこの「光る風」という恐ろしいマンガがほとんどトラウマになって頭にこびりついているのに、それとほとんど同じ光景が目の前に展開する。あるいは楳図かずおの「へび女」か。 

 

そして最後、スティーヴンは紙袋を被り、いったい何をしようとしている、なんでこんな展開になる、とこちらの意表を突く展開だらけで息もつかせない。果たしてこの作品に着地点はあるのか。 

 

スティーヴンを演じるのがコリン・ファレル、妻のアナに扮するのがニコール・キッドマンで、考えたらこの二人、夏の「ザ・ビガイルド (The Beguiled)」でも共演していた。そちらではキッドマンがファレルを誘惑する素振りを見せていたが、今度もキッドマンはベッドの上であられもない姿になってファレルを誘う。ファレルはお腹が出てきてもまだまだ女性にもてるようだ。 

 

いずれにしてもこの映画をドライヴしているのは、マーティンに扮するバリー・コーガンの偏執的不気味さだ。何考えているかわからないこの不気味さは怖い。以前どこかで見たような気もするし、そうでないような気もする。調べてみると、クリストファー・ノーランの「ダンケルク (Dunkirk)」でマーク・ライランスと共に船に乗り込んでフランスに向かい、不運な死を遂げた彼だった。その貸しを今回収しているのかという非道ぶりだ。 

 

ところで作品の内容はエウリピデスの「イフゲニア (Iphigenia)」を下敷きにしているそうで、実は山上たつひこでも楳図かずおでもなくてギリシア悲劇だったのか。タイトルは、アガメムノンが女神アルテミスの聖なるシカを殺してしまったことを意味している。アガメムノンはそのために娘のイフゲニアを生け贄としてアルテミスに捧げることを説得させられる。しかし映画では‥‥ 自分の目で見て確かめてと言うしかない。それにしてもコーガンが体現したあの不気味さは、アルテミスものだったとは。神様って、怒らせると怖い。 











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スティーヴン(コリン・ファレル)は心臓外科医で、美しい妻のアナ (ニコール・キッドマン)、娘のキム (ラフィ・キャシディ) と息子のボブ (サニー・サルジック) がいた。スティーヴンは家族には知らせず、一人の若い男の面倒を見ていた。その男マーティン (バリー・コーガン) はかつてスティーヴンが手術事故で死亡させた男の息子で、スティーヴンは自責の念からあれこれとマーティンの面倒を見ていたのだった。しかし家族に紹介したのを契機にマーティンの行動は段々ストーカー的になってきて、スティーヴンの行く先々に待ち伏せて現れるようになる。一方ボブは原因不明の病気で突然歩けなくなり、マーティンはいつの間にやらキムとデイトするようになっていた。マーティンの行動に危険を感じたスティーヴンは、マーティンに家族に近づくなと警告する‥‥ 


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