近年、「マッド・メン (Mad Men)」、「ブレイキング・バッド (Breaking Bad)」、「ルビコン (Rubicon)」、「ザ・ウォーキング・デッド (The Walking Dead)」と、話題作を連発しているAMCの最新シリーズが、「ザ・キリング」だ。クラシック映画専門チャンネルがクラシックならぬ近作映画の放送をし始め、映画ではなくTVドラマ・シリーズの製作に手を出し、どちらかというとそちらの方が話題になる。そろそろAmerican Movie Classicsというチャンネル名を変える時期なのではないか。
しかし、むろんこのような話題・注目作を連発してくれるなら、こちらにとっても異存はない。正直言って、AMCドラマの質は、ネットワーク番組と比して勝るとも劣らない。しかし新番組「キリング」は、実は正確にはオリジナル番組ではなく、デンマーク製ドラマ「Forbrydelsen」のリメイクだ。ちょっと気になる。
最近、アメリカ国外の人気ドラマが、アメリカでいくつもリメイクされている。しかし、個人的には同じ英語圏番組の場合、アメリカでリメイクを作る意味はほとんどないと思う。ショウタイムの「シェイムレス (Shameless)」、SyFyの「ビーイング・ヒューマン (Being Human)」、MTVの「スキンズ (Skins)」等で、英国製のこれらの番組をアメリカでリメイクする意義は、私にはほとんど感じられない。オリジナルをアメリカで放送中だったりするのだ。
一方、リメイクが作られないとオリジナルの存在すら知らなかった埋もれた作品のような場合だと、話は別だ。これはだいたい英語圏外の作品である場合が多く、映画だと最近ではスウェーデン製の「ぼくのエリ 200歳の少女 (Let the Right One In)」が「レット・ミー・イン (Let Me In)」となり、フランス映画「すべて彼女のために (Anything for Her)」が「ザ・ネクスト・スリー・デイズ (The Next Three Days)」に、やはりフランス映画の「アントニー・ジマー (Anthony Zimmer)」が、「ツーリスト (The Tourist)」として甦ったりしている。
これらはほとんどオリジナルが知られていないから、むしろリメイクを製作することでオリジナルを推奨することにもなり、逆に大いにリメイクを勧めたいと思う。舞台をただロンドンからNYやLAに移しただけのリメイクではなく、こういう作品こそリメイクしてくれ。「キリング」はその点、デンマーク製ドラマのリメイクであり、期待が持てる。言葉の壁を越えてわざわざリメイクされる作品に、見どころがないわけがない。
デンマークというと、何はともあれ連想するのはラース・フォン・トリアー、今ならスザンネ・ビエールだ。デンマークに限らず北欧というイメージなら、上に挙げた「ぼくのエリ」、他にヘニング・マンケル原作をケネス・ブラナー主演で映像化した「刑事ヴァランダー (Valander)」シリーズ、そして忘れてはならない近年で最大のヒット「ミレニアム (The Girl Who Played With Fire)」シリーズがある。実際「ぼくのエリ」はリメイクされたわけだし、「ミレニアム」もデイヴィッド・フィンチャー演出でハリウッド・リメイクが決定している。
いずれにしても、それらの作品に共通しているのは、なによりもまず、薄そうな大気の質にある。いつもこんな空気の色しているんだろうかと思わせる、淡い、密度の低そうな透明感のある空気が北欧ドラマの最大の特色だ。こんな大気や質感、アメリカでは日食の時しか見たことない。
「ヴァランダー」も「ミレニアム」も、そして察するに「キリング」オリジナル「Forbrydelsen」もそうなんだろうと思うが、そういう背景で製作される、特に刑事・犯罪ドラマは、アクションというよりも人間ドラマになる。「ヴァランダー」は明らかにミステリというよりもヒューマン・ドラマというのが近いし、「ミレニアム」もアクションを重視した第2話の「火と戯れる女 (The Girl Who Played With Fire)」と較べ、第1話の「ドラゴン・タトゥーの女 (The Girl with the Dragon Tattoo)」は、雰囲気重視のクライム・ドラマだった。
そして「キリング」もその例に漏れない。オリジナルがそのような雰囲気を持つダークなドラマだったのは間違いないと思うが、アメリカでリメイクするというのに、わざわざほとんど晴れ間の見えない冬の陰々滅々としたシアトルを舞台にしている。そのシアトルだって、ABCの「グレイズ・アナトミー (Grey’s Anatomy)」を見る限り、特に暗く寒いとかじめじめしている印象はほとんどない。それをとにかく雨ばかり降る暗い街に仕上げている。シアトルという設定ではあるが、実際にはさらに北のカナダのヴァンクーヴァーで撮影されているという事情もあるだろう。
そういう陰鬱な街を背景にし、話はほとんど悠揚迫らぬというペースで進む。冒頭現れる、追われているロージーが殺されるのだろうとは思っても、その死が確認されるのは遅い。だんだん、ロージーは死んでるんじゃなくて、警察はただ家出したロージーの行方を追っているだけのドラマかと本気で思い始めた頃に、第1話も終わる寸前になって初めて、ロージーの死体が発見される。1時間使って、やっと事件が眼前に現れただけだ。殺人事件の捜査は始まってすらいない。これがCBSの「CSI」なら、事件は既に解決済みだ。
ただし、それで話が面白くないかというと、そんなことはない。というか、これが滅法面白い。要するに、キャラクターや捜査の展開を徹底して描き込んでいるために時間を使うが、その分のスリル、サスペンス、雰囲気は濃密に醸成されているのだ。寝かせてあった年代物の古酒を呑んでいるような味わいが横溢している。正直、「マッド・メン」が最初に放送された時より驚いた。こんな番組がアメリカでも撮れるのか。採算は合うのか。「ルビコン」を失敗したのは誰あろうAMCじゃないか。
番組は、ほとんど画面に現れない不在の裏主人公ロージーを軸に展開する。これで思い出すのは、やはり不在の裏主人公ローラ・パーマーを軸に話が展開したABCの不条理ドラマ「ツイン・ピークス (Twin Peaks)」だ。「キリング」は話題のみ先行して最後の方は誰も見ていなかった「ツイン・ピークス」の二の舞を踏むことなく、少なくともこの事件に関しては1シーズン13話できっちり決着つけてもらいたい。その上で第2シーズンが製作されるならば、今度はたぶんLAに移動したリンデンを起用して新しい話にしてくれるなら文句はない。1シーズンで一つの事件を解決するという、稀、というか、たぶん史上初めてのシリーズになるかもしれない。