The Karate Kid


ベスト・キッド  (2010年6月)

母親のシェリー (タラジ・P・ヘンソン) の転勤のために中国に引っ越すことになったドレイ (ジェイデン・スミス) だが、黒人で異人のドレイには当然簡単には友達はできない。しかし公園で出逢った少女メイ (ハン・ウェンウェン) に淡い恋心を抱くも、それを気に入らない同じ学校の少年チョンに徹底的に叩きのめされる。いじめの標的になるドレイだったが、ある時アパートの管理人ハン (ジャッキー・チェン) に助けられる。強くなるために弟子入りを頼み込むドレイだったが、ハンは決して首を縦に振らなかった‥‥


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最初に言ってしまうが、「ベスト・キッド」は私ではなく、私の女房の趣味である。正直言ってどんなに評がよかったり、「幸せのちから (The Pursuit of Happyness)」のジェイデン・スミスが主演していようと、もし私一人なら見なかったろう。オリジナルの「ベスト・キッド」だって、「ロッキー (Rocky)」のジョン・G・アヴィルドセンが監督していても、劇場でどころかヴィデオやDVDですら見ていないのだ。たとえどんなによくできていようとも、今回もパスかなと思っていた。


そしたら女房が執拗に「ベスト・キッド」を主張する。ちょっと見ない間にいきなり大きくなって,坊やから少年になんなんとする男の子というのは、守ってやりたくなるというか、いたく好奇心をそそられるらしい。そういう可愛い子がいじめられているのに必死に抵抗しているとなればなおさらだ。そんなわけで、そこまで言うなら別に特に反対する理由もないので、一緒に劇場に足を運ぶ。


今回スミスが演じるのは,もちろんオリジナルの「ベスト・キッド」でラルフ・マッチオが演じた主人公だ。転校を介してまったく新しい世界に突然放り込まれ、いじめっ子に目をつけられぼこぼこにされながらも,美しい少女に淡い恋心を抱き、強くありたいと思い、拳法を習い、強く逞しく成長していく様を描く。


それにしても、確かにこの時期の子は,男の子だろうと女の子だろうと成長するのが速い。「幸せのちから」の時は、天性のものを感じさせるとはいえ、まだ右も左もわからない坊やが父の言う通りに天然でやっているという感じがしたが、今回は、映画の内容が努力して力をつけるという筋書きなのも関係していると思うが、なにやら演技している。一生懸命なのだ。なるほど、こういうのに痛く母性本能を刺激されるのだろう。これは少年少女向け、デート・ムーヴィ、もしくは家族向け映画というよりも、本気で見ているのは中年女性なのだ。いじめられて涙を流し、健気に強くなろうとするスミスを見てこちらもうるうるとするのだろう。


一方で、今でも人気のあるジャッキー・チェンは、これまでのように拳法の達人として八面六臂の活躍をするというよりは、まあ、確かに拳法の達人ではあるが、見かけはどちらかというと冴えないおっさん以外の何ものでもない。今回のチェンはあくまでもスミスの引き立て役に過ぎないのだ。チェンのファン層もかなり中年女性がいると思われ、見かけはむさ苦しいが一皮剥けば武芸の達人で、しかも途中演技力を要請される見せ所もあるとはいえ、それでもこれはチェンの映画ではない。


演出は「エージェント・コーディ (Agent Cody Banks)」のハラルド・ズワルト。オリジナルを参考にしただろうとはいえ、なかなかツボを心得た演出で、飽きさせない。因みにチェンが箸でハエをつまもうとしていきなりハエ叩きでぴしゃりとやるのは、オリジナルにもあるシーンのパロディだそうだが、オリジナルを見てなくても笑える。このハエの箸つまみというのは、昔日本の時代劇で見た記憶がある。あれは「眠狂四郎」だったか。オリジナルの脚本家もそれを見ていたりしたのだろうか。


ついでに言うと今回、ドレイが強くなるための反復練習として、地面にあるシャツを拾い上げて棒にかけるという動作がある。これを何度もやることで基礎が身につくというものだが、この訓練はオリジナルでは窓ガラス拭きだったらしい。今回はシャツの拾い上げが元々だらしなく、母のシェリーを手こずらせるドレイの態度も改めるという意味もあり、伏線もちゃんと張ってある。さらにギャグも詰め込んでおり、こういうのはうまいよなと思う。因みにシェリーを演じているのはタラジ・P・ヘンソンで、彼女とヴィオラ・デイヴィスはこの辺の歳の黒人女優では1、2を争うという印象を受ける。


ところで原題の「ザ・カラテ・キッド」だが,カラテという発音はなぜだが欧米人は苦手なようで、ほとんどのアメリカ人はカラテではなく、カラーティ、もしくは人によってはそれこそカラリ,みたいな発音をする。カラオケだってまず普通はカラオキになる。酒はサキだ。単語の一番最後のe音はエ (e) ではなくイ (i) と発音する癖がついてしまっているためだ。その上、子音のTをLに近い音で発音するものだから、カラテがカラリになってしまったりする。それが最近では、わりとカラオケ、カラテ、サケ、と、正しい日本語に近い発音をする者が増えた。日本文化が浸透したためだと思われるが、やればできるじゃないか。


と、ここまではいいが、ドレイが中国で中国人のハンから習っているのは,当然日本の武術であるカラテではない。カンフー、小林拳、もしくはその類いの中国の拳法だ。要するに、やはりいまだに中国も日本も混同されている。オリジナルでマッチオが師事するのはパット・モリタだから、これはカラテで全然構わないのだが、ジャッキー・チェンからカラテを習うというのは無理がある。そこで正しく「ショーリン・キッド」とか「カンフー・キッド」にしようという発想はなかったのだろうか。


あるいはアフリカン・アメリカンのスミスが、中国でカラテ、もしくはカンフーを習う、という最初から国境越えの発想が映画を支配しているということこそポイントなのかもしれない。中国人だって英語を喋っているし。万里の長城でチェンからスミスが拳法を習うという構図をどうしてもやりたかったんだろう。


それでも一つだけ、今回のリメイクがオリジナルにおよばなかった点は、音楽、主題歌にある。オリジナルのサヴァイヴァーの「ザ・モーメント・オブ・トゥルース」は、映画を見ていない私ですら知っているヒット曲で、こういう乗りやすい曲が主人公が強くなっていう過程でBGMに使われたなら、かなり印象に残っただろうというのは想像に難くない。まったく同様に、「ロッキー」のテーマ曲を人が忘れないのと同じことだ。ところが今回の映画化は、見終わって家に帰ってきてから頭の中に残っている音楽はない。惜しむらくは記憶に残る旋律があったなら、と思うのだ。








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