放送局: FOX

プレミア放送日: 6/8/2004 (Tue) 20:00-21:00

製作: 20世紀FOXTV、HBOインディペンデント・プロダクションズ

製作総指揮: バリー・レヴィンソン、トム・フォンタナ、ジム・フィナーティ、ジェイムス・ヨシムラ

製作: アイリーン・バーンズ

監督: エド・ビアンキ、バリー・レヴィンソン、他

脚本: ジェイムス・ヨシムラ、ブラッドフォード・ウィンタース

ストーリー: ジェイムス・ヨシムラ、トム・フォンタナ

撮影: マイケル・グリーン

編集: デボラ・モラン、ケン・エリュート

音楽: ブルー・マン・グループ

美術: スティーヴン・カーター

出演: シャローム・ハーロウ (メリッサ・グリーンフィールド)、ビリー・バーク (ジョン・ラングーソ)、アナ・フリール (ミーガン・デラニー)、ジェフ・ヘフナー (キーナン・オブライエン)、アダム・ブッシュ (スティーヴ・ディクソン)、コテ・デ・パブロ (モーゲリテ・シスネロス)、バリー・レヴィンソン (ホレイシオ・ホウソーン)


物語: 第1話「スリー・ボーイズ・アンド・ア・ガン (Three Boys and a Gun)」

大晦日、街が浮き立つ中、12歳の少年が撃たれて死亡する。15歳の少年が逮捕され、成人として裁判にかけられる。しかし、騒ぎの中、本当に少年が発砲したのか、それとも他の仲間が発砲したのか、また、故意によるものか過失か、わからない点が多かった。審理は最初、早くこの仕事を終わらせたい男に引っ張られて、少年に有罪を宣告して結審しようとするが、一人が疑問を挟み、さらにもう一人が追随して、事件に新たな光りを投げかけ始めるのだった‥‥


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基本的にアメリカのTVシーズンは毎年9月下旬から始まり、翌年5月一杯で終わる。それからは長い夏休みが待っているのだが、近年のケーブルTVの躍進により、ネットワークも、普段なら夏休みのこの時期に、おちおちヴァケイションをとってもいられなくなった。再放送番組ばかりを放送していたら、どんどん視聴者をケーブルTVにとられてしまうからだ。


それで近年、ネットワークも夏場に新番組を編成することが多くなった。そうやって生まれたヒット番組が、CBSの「サバイバー」であり、ABCの「ミリオネア」であり、FOXの「アメリカン・アイドル」だ。要するに、やっぱり夏場には楽したいネットワークは、比較的製作が簡単で費用もかからない、リアリティ・ショウを多く製作したわけだ。


それなのに今年、FOXが、この「ジューリー」を含め、「ノース・ショア (North Shore)」、「クインタプレッツ (Quintuplets)」、「メソッド&レッド (Method & Red)」と、ドラマ2本、シットコム2本の新番組を、よりにもよって6月に投入してきたのは、大きな賭けだったと言ってよい。さらにリアリティ・ショウの「ザ・カジノ (The Casino)」と、「ザ・シンプル・ライフ (The Simple Life)」の第2シーズンを含めると、都合6本の新番組/新シーズンが、6月から始まったのだ。


これには、特にFOXだけがこうせざるを得ないという他の理由もある。FOXはMLBのプレイオフ、リーグ優勝戦とワールド・シリーズの中継権を持っているのだが、そのため、ほとんど10月一杯をその中継にとられ、自分たちの番組を編成する余裕がない。それで近年、フライング気味に夏場から新番組放送を始めたり、あるいは、11月から新番組を投入するなど、あれこれ試行錯誤を繰り返している。今回の、6月放送新番組というのは、その試みをさらに推し進めてみたものだ。


その中で私が最も注目していたのが、法廷ドラマの「ジューリー」だ。法廷ドラマというものは確たる歴史を持つTV番組の一ジャンルであり、これまで様々なクラシック番組を輩出している。裁判官が主人公というわけではないが、現在人気があり、「SVU」と「CI」というスピンオフ番組が二つも作られているNBCの「ロウ&オーダー」の場合も、クライマックスはだいたいにおいて法廷シーンであり、ほとんどのエピソードで、判決が下りるところで幕切れとなる。デイヴィッド・E・ケリーが製作した人気番組は、シリアスな「プラクティス」にせよ、コミカルな「アリーmyラブ」にせよ、ついでに言うと短命に終わった「ガールズ・クラブ」にせよ、法廷シーンとは切っても切れない関係があった。


とはいえ、そのような法廷ものでも、実際に判決を下す陪審員が前面に出てくるようなことはほとんどない。だいたいにおいて焦点は、犯罪を告発する検察か刑事、あるいはその対極にいる弁護士、さらに、その裁判を司る裁判官にあるのが普通で、実際に犯罪について考え、有罪無罪の判決を出す陪審員に焦点を当てて製作された番組というものは、これまでほとんどなかった。


映画にまで視野を広めて見た場合、「十二人の怒れる男」というクラシック作品があるし、最近でも、「ニューオーリンズ・トライアル (Runaway Jury)」や「陪審員 (The Juror)」(既に古いか?) なんて作品もある。特に後者2本は、一般人が陪審員が務めるというシステムを利用してサスペンスを盛り上げるところに主眼があった。


このように、たまさか映画では陪審員を主人公に据えた作品が現れてくるのに、TV番組でそれがほとんどないというのは、一般市民が陪審員を務めるという、アメリカ型の陪審システムそれ自体に最大の理由がある。一つ一つの裁判で異なった市民が審理に挑むというシステムにおいては、シリーズものとしてのTV番組で、一人の陪審員がシリーズを通して主人公を務めるという体裁がとれないのだ。どうしても陪審員を主人公とすると、TVシリーズではない、単発ものの映画かTV映画ということになりやすい。


とはいえ、一人一人が個人個人の歴史を背負い、丁々発止の議論を繰り広げる (と想像する) 陪審制度は、「十二人の怒れる男」を例にとるまでもなく、うまくシリーズ化できれば、面白い番組になることは必至だ。今回、それに挑戦するのが、この「ジューリー」だ。製作総指揮はバリー・レヴィンソンとトム・フォンタナのコンビで、二人による「ホミサイド」と「Oz」は、アメリカTV界の歴史に燦然と名を残す。もちろん失敗作もあり、「ビート」は残念ながらぽしゃった。現在売れっ子のマーク・ラファロとか、「ウィズアウト・ア・トレイス」のポピー・モンゴメリなんかが出てたんだが。レヴィンソンは映画監督としても、最近、ちょっと当たりがない。


「ジューリー」では、そのレヴィンソンが、今度は俳優として、裁判官役として出演している。一応主人公ではなく、他にも弁護士や検察官等のレギュラー出演陣がいはするが、裁判を描くTVシリーズで、裁判官を演じるレヴィンソンの役が重要なのは改めて言うまでもないだろう。


で、その内容なんだが、悪くないし、結構面白いとも思えるんだが、なんか、どこかで見たことがあるような気を視聴者に思わせるところが珠に傷だ。全般的な構成はもちろん「十二人の怒れる男」で、それに「ロウ&オーダー」的倒叙型のスパイスをまぶし、画面の構成や色調は「CSI」か「コールド・ケース」、揺れるカメラは「NYPDブルー」みたいな、なんとも目新しさが感じられない。


もちろん、新番組がいつも必ず何か新しい新機軸を打ち出してくる必要があるとは私も思ってはいないが、しかし、「ジューリー」を見ている時のこの既視感は、如何ともし難い。つまり、番組を見ていて最も強く感じるのは、色んな番組からそのエッセンスだけを寄せ集めてきて再構成してみたというような、いいとこどり、あるいは、端的に言って、すごくわざとらしさを感じてしまうのだ。


毎回毎回、判を押したように、被告に対する無罪と有罪を主張する者が両方現れ、段々議論が白熱していく。しかし、本当に審議というのはそういうものか。たまには、本当に誰の目から見ても有罪でしかない事件もあるのではないか。ただ閉じられたドアの中で話し合いをするだけで、毎回真実が得られるものなのか。やはり陪審員も人の子である限り、人のことなどほっといて早く家に帰りたいと思う者もいるだろう。一方、そういう人物も登場させるからこそ、そこに対立が生まれ、ドラマが生まれるということにもなろう。


そういうことをひっくるめて、なんか、どこかしら一抹のわざとらしさが感じられるのは、基本的に、12人もの主役である陪審員に、毎回演技力のある名のある俳優を起用できないせいだろうか。当然陪審員は、司法システムの上では一介の素人に過ぎなかろうが、TV番組の中で陪審員を演じる俳優まで素人くさいと視聴者に感じさせるのは、ちょっとまずくないか。ほとんどの俳優が、演技過剰に見えてしまう。もしかしたら、舞台としてなら、この演出は所期の効果を得ることができるのかもしれない。


因みに「ジューリー」の舞台はニューヨークであり、テーマ音楽は、オフ・ブロードウェイでロング・ランを続けるブルーマン・グループが担当している。メロディよりもリズムを前面に押し出すこの音楽の使い方も、やっぱり「NYPDブルー」に似てるんだよなあ。






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The Jury

ザ・ジューリー   ★★1/2

 
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