放送局: スパイクTV

プレミア放送日: 9/2/2003 (Tue) 21:00-23:00

製作: ストーン・スタンリー・プロダクションズ

製作総指揮: ポール・ワーニック、デイヴィッド・スタンリー、スコット・ストーン、レット・リース、アンソニー・ロス

ホスト: ラルフ・ガーマン

出演: ニッキ・デイヴィス (ジーナ)、アンジェラ・ドッドソン (モリー)、ブライアン・キース・イーサリッジ (バディ)、マット・ケネディ・グールド (本人)、デイヴィッド・ホーンズビー (ハッチ)、フランクリン・デニス・ジョーンズ (アール)、ランス・クロール (キップ)、メリッサ・イヴォンヌ・ルイス (アシュリー)、クリスティン・ウィグ (パット)


内容: 素人参加の勝ち抜きリアリティ・ショウに出演していると思っている一般人を騙すリアリティ・ショウ。


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初めてこの番組のことを聞いた時は本当によくやるなあと思ったが、改めて考えると、遅かれ早かれきっと誰かがまったく同じアイディアを考え出していたに違いないと思われるのが、「ジョー・シモ・ショウ」だ。


この番組、体裁は流行りの素人参加の勝ち抜きリアリティ・ショウとほとんど変わらない。ある一軒家に参加者を集め、様々なゲームや勝負をさせ、毎回最後に投票で一人ずつ追放していく。最後に残った者が優勝者となるわけだが、それを、その中に何も知らずに参加している一人以外はすべてやらせでやってみたらどうなるかというのが、「ジョー・シモ・ショウ」だ。リアリティ・ショウ版の「トゥルーマン・ショウ」と言えないこともない。


この番組、最近「風雲! たけし城」を吹き替えた「モスト・エキストリーム・エリミネーション・チャレンジ」で、特に日本人を中心に知られるようになったスパイクTVが放送している。とはいえ、「モスト・エキストリーム」の放送を開始した時は、スパイクTVは、総合チャンネルのTNN (The National Network) というチャンネル名だった。しかし、その後、男性視聴者向けのチャンネルに特化したことを受けて、スパイクTVと改名したものである。


こういうブランディングや社名/チャンネル名の改称は、別にTV界に限らずままあることであり、とりたてて珍しいことではない。それが今回に限ってこじれたのは、このスパイクTVという新チャンネル名に対し、これは俺の名前を悪用しているとして、スパイク・リーが裁判所に異議を申し立てたことにある。


あまりもの自分勝手のこじつけに、開いた口が塞がらないとはこのことだ。いくら自分の愛称がスパイクだからといって、スパイクなんて別に普通の名詞だし、リー一人を指すものではない。スパイクTVといったからといって、リーのことを連想するものなんか、本人以外一人もいなさそうなのはわかりきっていることのように見える。そんなくだらない理由で裁判を起こして、我々が納めている税金の無駄使いをするなと思っていたら、なんとこのごり押しが通っちゃったのだ。


裁判所は一時的にTNNが新チャンネル名を採用することを差し止め、おかげでTNNは、当初7月14日に予定していた新チャンネル名への移行ができなくなった。こういう新チャンネル名への改称に伴う労力や費用がどのくらいのものか、その苦労が、たった一人のごり押し野郎の横紙破りのために無に帰してしまうのかもしれないのだ。いや、これはTNNの社員はリーを殺してやりたいと思っただろうと思うね。


それにしても、いくらなんでも裁判所のこの判断は納得しかねる。著作権等を保護する気運が高まりつつある最近の潮流に乗っかった裁定だと思うが、しかしこれは行き過ぎで、どう見ても誤審である。たまたま新チャンネル名が個人の名と一緒だったからといって、それが何だというのだ。フジTVと藤圭子 (古いねえ私も) を混同する輩が本当にいるとでも思っているのだろうか。こんなことをするから、嘘でも訴訟を起こしてみたら、勝って濡れ手に粟をつかめるかもしれないと増長する輩が現れるというのに。


実際、このあまりのくだらなさに、スパイク・ジョーンズが、だったら俺はどうなんだと言った談話が業界紙に載っていたが、まさしくその通り。はっきり言うと、現在ではリーよりもジョーンズの方が映画作家としての知名度は高いはず。それなのにリーにもし和解金を払うようなことになれば、ジョーンズ、ひいてはアメリカ中のスパイクという有名人に金を払えということにもなりかねない。「ドゥ・ザ・ライト・シング」以外、つまらない失敗作しか撮れないくせに自分を偉い奴だとカン違いしているこの誇大妄想狂を、誰かなんとかしてくれと思ったのは私だけではあるまい。


しかし解せないのが、そのリーが、実はTNNの姉妹チャンネルであるペイTVのショウタイムで、TVシリーズを撮るという話があることである。常識に鑑みて、兄を訴えておきながらその弟と仲よくやるなんてのは、到底考えられることではない。ここはたとえ一放送局が自分と同じ名前に改名しようとも、普通は文句なぞ言わずに黙っているだろう。ごり押ししてみても、そんなこと言うならおまえに新作は撮らせてやんないぞと言われるのがオチだ。


実際、決着はその辺の攻防というか、駆け引きで決まったようだ。しばらくしてリーは訴訟を取り下げた。TNN/ショウタイムが、もし訴訟を取り下げないならおまえに新作は撮らせないと詰め寄ったか、あるいはリーの方で訴訟は得策ではないと気づいたか、あるいはいくらかの和解金が積まれたか、その辺の工作は部外者には知りようもないところで行われ、そして予定より一と月ほど遅れて、TNNは新生スパイクTVとして生まれ変わったのであった。バカな奴がいると何をするにも問題が多いぜ!


さて、そのスパイクTV、チャンネル名は変わっても、編成の方は昔からあったプロレス中継の「WWEエンタテインメント」が軸であることは変わらない。というか、この番組が人気があり、特に男性視聴者が多かったから、だったらいっそ男性視聴者向けチャンネルに特化してはということになったんだろう。今夏始まった新番組の3本のアニメーションのうちの1本、「ストリッペレラ (Stripperella)」は、パメラ・アンダーソンを模したストリッパーの主人公が悪を退治するという、荒唐無稽な番組だ (それなりに面白くないわけではない。)


とはいえ「ジョー・シモ・ショウ」は、特に男性向きかというとそんなことはなく、女性が見ても楽しめる。番組体裁は事実上、その他の勝ち抜きリアリティ・ショウとまったく同じだからだ。9人いる参加者だって男5人女4人と、バランスはとれている。根幹となるアイディアは悪くないので、逆にスパイクTV以外のチャンネルで放送した方が、より多くの視聴者を獲得できたのではないかとも思えないこともない。


「ジョー・シモ・ショウ」は、その9人いる参加者のうち、本当の素人は一人だけだ。あとの8人は皆俳優で、一応、脚本に則って演技をしている。で、視聴者は、優勝賞金10万ドルを目指して自分が本当の勝ち抜きリアリティ・ショウ「ラップ・オブ・ラグジュアリー (Lap of Luxury)」に参加していると信じて疑わない男 - マット・ケネディ・グールド - が、他の参加者の裏をかこうと行動したり、あるいは、意外に見えるが実は脚本に書かれた行動をとっているだけにすぎない他の参加者の言動に、驚愕したりする様を見て楽しむという趣向だ。因みに番組タイトルの「ジョー・シモ」とは、要するにバカ、はたまた全然冴えない奴を意味するスラングである。


さて、この「ジョー・シモ・ショウ」、新しい捻りが加えられているからといって特別面白いかというと、ちょっと首を捻らざるを得ない。なにせ番組の根幹がたった一人の男をいかに騙すかにかかっているわけだから、結局のところ、番組が面白くなるかどうかは、その本人、マットのリアクション如何にかかってくる。で、その彼の反応なのであるが、それが、別に当然というか、この種の番組に出る人物がとるであろうと思われる普通の反応に過ぎない。


そりゃま当然であるからして、番組製作チームはあの手この手で進行を面白くしようとしてふざけたゲームを考え出したり、おっぱい丸出しの姉ちゃんを登場させたり、誰かがマットに気がある素振りをさせたりと、色々考える。それらの打ち合わせは、マットがいない頃合いを見計らって、近くに停めてあるトレイラーや、家の内部に内証でこしらえてある秘密の部屋で行われる。


とはいえそれでも、そういう番組進行は「サバイバー」「ビッグ・ブラザー」と基本的に同じで、それがやらせであり、皆が一人を騙そうとしている番組の新味を除けば、やはり番組進行そのものは「サバイバー」や「ビッグ・ブラザー」の方が練れているし、また、そちらは脚本があるわけではないため、意外性があって面白い。結局「ジョー・シモ」では、参加者の言動の意外性や感情の爆発のようなリアリティ・ショウを見る醍醐味は、種明かしがされる最終回までは控えられているわけだから、それはしょうがないとも言える。


ところどころマットのリアクションに意外性がないわけではないが、見ていて面白いのは、その彼のリアクションにさらに反応して、番組進行を妨げずに脚本通りに番組を進めて行かなければならない俳優たちのとるリ・リアクションの方にあったりする。あれ、まさかマットがこんな反応をとろうとは。これじゃまずい、というわけで、多分アドリブでなんとか予定通りに進行を進めようとしたり、思わずぽろりと自分の本音や真実を吐露し、しまったと思って慌ててなんとか取り繕ったり、他のメンバーと口裏を合わせたりする8人の俳優たちのとっさの演技こそが、番組がクライマックスを迎えるまでの見所と言える。


また、番組がイマイチ面白くないと感じさせる理由の多くを、本当の主人公であるマット本人に負っていることも疑いを入れない。マットはどこから見てもごく普通のアメリカ人で、はっきり言って、本人にあまり魅力がない。そのため番組において、癖のある俳優を揃えているその他の参加者の中で、最も見劣りがするというか、最も印象に残らない。そのため、どうしても本当の主人公がマットということに違和感が残る。やはり主人公が魅力的でない番組に肩入れする気にはあまりならない。


とはいえ、その主人公の人選が難しかったであろうということは容易にわかる。番組の成功失敗が彼一人にかかっているのは明白であるが、例えば、他の参加者であるハッチやキップみたいに特に強力に癖のある奴を主人公にしてしまうと、本当に予想外に過ぎる事態を出来させてしまって、収拾がとれなくなってしまうことが懸念される。感情的になりすぎる奴なら、騙されたことを知った途端、番組を訴えるかもしれない。


そのため、主人公の人選に対してはあまり冒険しすぎることはせず、最後に騙されたと知っても、笑って許してくれそうな人間、根が人がよさそうに見える奴を選んだであろうことは、想像に難くない。そしてそのことが、そのまま番組進行がそれほど面白くないという事実になって跳ね返ってきた。そういう人間を最初から選んでいるんだからしょうがない。多分マットは、「サバイバー」とか「ビッグ・ブラザー」に参加応募をしても、プロデューサーから面白味のない奴として却下されたことは間違いない。だからこそ逆に「ジョー・シモ」に選ばれたのだ。


つまり、結局、この番組、その醍醐味はただ一つ、マットがこれまで騙されていたことを知る、最終回のみにあった。私も最初の2回を見た時点で既に飽きが来てしまって、もういいや、あとは最終回だけ見れればと思ってパスしていた。その点、やはり参加者を騙してその反応を楽しむFOXの「ジョー・ミリオネア」が、やはり最終回のクライマックスが最も面白かったとはいえ、そこに至る道程でもほどほどに楽しませてくれたのに較べ、「ジョー・シモ」がそれと同程度の面白さを獲得するレヴェルに達していなかったことは明白だろう。また、「トゥルーマン・ショウ」が、その過程にこそ見る者が釘付けになったことを思えば、やはり「ジョー・シモ」は、作り方によってはまだまだ面白くなったはずと思える要素が多分に多い。


さて、その最終回には、当然残っているマットの他に、ブライアンと、いったんは途中で追放されたが、なぜだか敗者復活で甦ったハッチの、計3人が残った。そこでこれまで追放された参加者を再び呼び集め、その投票によって優勝者を決めるという趣向。しかし、そこで投票するのは6人で、これでは投票が割れた場合、同票になる可能性もある。いくらやらせだからといって、そうなった場合どうするつもりでいたんだろう。決着がつくまで再投票か? ま、確かに「サバイバー」ではそういう事態もあったな。


しかし現実にはもちろんそういうことはなく、マット2票、ハッチ2票、ブライアン1票で迎えた最後の票は‥‥ハッチに! ハッチが「ラップ・オブ・ラグジュアリー」の初代優勝者だ! 喜ぶハッチ。しかしそこで、手はずに従ってホストのラルフの携帯がピーピー鳴り始める。おいおい、本当の撮影中にそういうことあるわけないだろ。しかしラルフは携帯をとりあげ、そしてなんと、参加者の中に身分を偽って参加していた者がいることが告げられる。身分詐称、すなわち、即失格だ。そして誰あろうその容疑を向けられたのが、優勝したはずのハッチだった。


天国から地獄に落ちたハッチ、やけくそになって、何を言うんだ、身分詐称しているのは俺だけじゃないだろ、あんたも、あんたもだろ、この中で素性を偽っている者は手を上げろ! すると‥‥当然のことながら全員が手を上げる。そして呆気にとられたマットが、「いったい何がどうなってるんだ (What's going on here...)」と叫ぶところが、番組のクライマックスなのであった。その後、ホストのラルフがすべてを種明かしして、実は番組の真の優勝者は君だ、と言って、こちらは本物の保証つきの10万ドルの小切手を進呈、マットは無事賞金を手にし、騙されたことは少しは悔しいが、周りの皆もよかったよかったと祝福してくれ、感極まって涙を流す、という幕切れになる。


ま、それなりに面白くないわけではなかったが、しかし、やはり番組の最大の欠点は、多分そういう態度をとるであろうと思われたマットの反応が、先に読めてしまったことにある。そう反応するであろうと思われる者を選んでいるのだから、これは当然過ぎるくらい当然で、そのため、最後のクライマックスの意外性があんまり意外になっておらず、結局、意外性が勝負のリアリティ・ショウで、なんとなく最後の盛り上がりが今一つという印象を与える結果になった。もちろんマット当人にとっては大逆転劇だったんだろうが、うーん、しかしなあ、彼のような「いい人」でない人間が、最後、こういう大やらせに引っかかったことを知ったらと考えると、どうしてもそちらの方が面白かっただろうと思えてしまう。要するに、それがこの番組の限界であるわけだ。


現在、この種の視聴者引っかけ番組の嚆矢であり大人気番組となった「ジョー・ミリオネア」の第2弾が放送を開始し、視聴率をとれずに惨憺たる有り様になっている。こういう引っかけものは、一度きりだから面白く、視聴者もこれっきりでもう次はないと思うから興味を惹かれるのであって、同じことをまたやるのは芸がないと思うのは当然だ。そこんとこを考えずに、一度ヒットしたからもう一度と、柳の下のドジョウの二匹目を狙ったFOXの思惑が大外れとなって、すっとしている視聴者も多いだろう。もちろん私もそうだ。あんまり視聴者を舐めんじゃないぞ。


で、私の危惧は、それなりに注目を集めた「ジョー・シモ・ショウ」が、それに気をよくして第2弾製作を始めないだろうなということだ。これまた最初で最後だろうから面白そうだと思って見たのであって、それを何度も繰り返されると、はっきり言って腹が立つ。「ジョー・シモ・ショウ」パート2がありませんように。







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The Joe Schmo Show

ザ・ジョー・シモ・ショウ   ★★1/2

 
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