The Ides of March


ジ・アイズ・オブ・マーチ (スーパー・チューズデー ~正義を売った日~)  (2011年10月)

州知事のモリス (ジョージ・クルーニー) は大統領選に向けてのオハイオ州の民主党予備選で、対立候補のプルマンと指名候補争いの最後の段階に来ていた。この選挙に勝てば民主党代表として大統領指名候補となるのは確実で、若手ながらやり手の選挙参謀のスティーヴン (ライアン・ゴズリング) は、最後の詰めに余念がなかった。そんな彼のところに、プルマンの選挙参謀のダフィ (ポール・ジアマッティ) が極秘に会いたいと言ってくる。この時期に対立候補者の選対の人間と私的に会うことはご法度だったが、どんな大きな情報がもたらされるかもしれず、スティーヴンは禁を破ってダフィに会う。それはスティーヴの実力を見込んでの引き抜きだった。しかもその密会が記者のアイダ (マリッサ・トーメイ) に漏れる。一方スティーヴンは、選挙事務所のヴォランティアのモリー (エヴァン・レイチェル・ウッド) とも深い関係になる。ちょっとしたスキャンダルが命取りになりかねない最後の土壇場で、候補者だけでなく、選挙関係者同士の丁々発止の駆け引きが最後の一瞬まで続く‥‥


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最近タイトルを聞いただけでは、内容をほとんど予想できなかった作品が二つある。一つは「赤ずきん (Red Riding Hood)」で、もう一本がこの「ジ・アイズ・オブ・マーチ」だ。「赤ずきん」は日本語タイトルを聞けば間違えようもないが、音として「レッド・ライディング・フード」として入ってくると、最初からその英題を知らないと、正しく予想できない。


それがあったので、「アイズ・オブ・マーチ」のタイトルを最初に聞いた時も、これはたぶんそういう言い回しがあるか、あるいはそういう原作かなんかがあるに違いないと思っていた。既にもう十何年もアメリカで日常生活を送っていて、「Ides」という単語を見たこともなければ聞いたこともない。古い言い回しでもない限りほとんどあり得ないだろう。


答えから言うと、「アイズ・オブ・マーチ」とは古代ローマ歴の3月15日のことで、この日ジュリアス・シーザーがブルータスによって暗殺された。シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」に、預言者がシーザーに向かって、3月15日に気をつけよ (Beware the Ides of March) と言う決め所のセリフがあるそうだ。いずれにしてもやっぱり、なんかそういう歴史的な由来があると思った。


因みに映画は原作があるが、そのボー・ウィリモン作の戯曲のタイトルは、「ファラガット・ノース (Farragut North)」という。これまた思わず何度か聞き返しそうなタイトルだが、こちらの方はワシントンD.C.の地下鉄の駅名をいただいている。2004年の民主党大統領候補ハワード・ディーンの選挙対策本部で働いていた経歴を持つというウィリモンならではの命名だ。そのウィリモンは、ジョージ・クルーニー、グラント・ヘスロフと共に映画の脚色にも参加している。


とにかくこういうパワー・ゲームって、私としてはこうやって物語として楽しむ分にはいいが、実際にそういう世界に足を突っ込むのは真っ平としか思えない。しかし、どうやらこの世にはこういう争い事や駆け引き出し抜きが三度の飯より大好きという人間も多いようだ。実際、映画の主人公スティーヴンは、「I love politics」と明言していた。


世界を、政治を変えようという意識よりも、パワー・ゲームとしての政治の方を重視しているから、特に今応援している政治家に負いも引け目も未練もない。もしもっと高級優遇で迎えると言われるなら、その対立候補に鞍替えすることもいとわない。


もちろんモラル的に見てそれは誉められることではないし、一応は自分の理想の体現者として候補者の選対に席を置いているわけだから、めったなことでは対立候補側に回るということはない。あってもそれは、その対立候補に負けて後に引き抜きがあった場合だろう。しかし、スティーヴンの師であるポールが、折りにつけこの世界で最も重要なのは忠誠心だと何度も念押しするのは、それが軽んじられている証拠に他ならない。


もう、とにかく、登場人物のいったい誰が裏切るのか裏切られるのか、犠牲者は誰か、黒幕は誰か、嘘をついているのは? ほらを吹いているのは? ババを引くのは? と行動の裏を読もうとするので、見ているこちらも疲れる。ババを引いてもポーカー・フェイスで素早く次の手を打たないとやっていけない世界なのだ。見ている分には面白いのは確かなんだが。こんな世界を自分の生きる道と断言するやつらは、だからこそ需要があるのだろう。


主人公スティーヴンに扮するのがライアン・ゴズリングで、「ドライヴ (Drive)」、今回と主演作が続く。私の得意分野ではない恋愛ものの「ラブ・アゲイン (Crazy, Stupid, Love.)」も最近公開しており、この秋を代表する俳優だ。ニコラス・ケイジの毒をちょっと抜いてちとハンサムにしたようなところが受けているんだろう。しかし数年前「ザ・ビリーヴァー (The Believer)」で見た時には、ここまでブレイクするとは思わなかった。それが今では「きみに読む物語 (The Notebook)」みたいな恋愛ものもあれば「ドライヴ」や今回のような作品もあるし、今や押しも押されるハリウッドの若手スターの代表格だ。本作では、頭は切れるがまだ多少ケツの青いスティーヴンが、この世界に揉まれて大人に成長、というかずる賢くなっていく様をよく体現している。


ゴズリングを取り巻く者たちがまた曲者だらけだ。とはいうものの、ジョージ・クルーニーは一応は建て前上はゴズリングとのダブル・ビリングだが、実質特に出番が多いわけではない。今回は演出の方に力を入れたという感じ。やがてクルーニーもクリント・イーストウッドのように、俳優上がりで演出家としてオスカーの常連という感じになりそうだ。


両陣営の選挙参謀に扮するフィリップ・シーモア・ホフマンとポール・ジアマッティは、腹黒さを体現させたら天下一品という二人だけに、もう、この胡散くささはただ事ではない。とはいえ最近の二人の出演作はというと、ホフマンの「マネーボール (Moneyball)」やジアマッティの「ウィン・ウィン (Win Win)」等、人が好さそうと思わせるもので、要するに彼らはうまい。さらに同様に食えないジェフリー・ライトまでいる。おかげで最近それなりに嫌らしさを増したマリッサ・トーメイが、まだまだ甘ちゃんに見える。


これらの二枚舌の面々に対して配置されているのが、スティーヴンの恋人役のモリーを演じるエヴァン・レイチェル・ウッドと、モリスの妻を演じるジェニファー・イーリーだ。特にイーリーなんて、夫を信じてついていく潔癖な妻、みたいな役どころだ。実は彼女、今秋のCBSの新番組「ア・ギフティド・マン (A Gifted Man)」で、パトリック・ウィルソン演じる主人公の医者の亡くなった妻の亡霊という役どころでレギュラー出演している。可愛い顔していつも正論吐くため周りの者が意見を言えず、私弱いのよ、みたいな振りして最終的においしいところを持っていくという印象が強い。「コンテイジョン (Contagion)」でもそうだった。ゴズリングを今秋の顔とするなら、イーリーは今秋の裏の顔だ。


ウッドは今回はいつにも増して自滅的な役柄で、最近でも「ザ・レスラー (The Wrestler)」とか、特にHBOの「ミルドレッド・ピアース (Mildred Piers)」の印象が強く、破滅型女優としての印象を定着させつつある。まだ二十歳そこそこなのに。







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