The Happening


ハプニング  (2008年6月)

ニューヨークのセントラル・パーク界隈で人々が理由もなく自殺し始める。そのムーヴメントはアメリカ北東部のニュー・イングランド地域全般に急速に広がり始める。フィラデルフィアの高校で化学を教えているエリオット (マーク・ウォールバーグ) と妻のアルマ (ズーイー・デシャネル) も、同僚のジュリアン (ジョン・レグイザモ) とその娘ジェスと共に田舎に一時的に避難する。しかしその途中、どことも連絡のつかなくなった列車は名も知らぬ小さな駅で止まる。乗客は各自どうするかそれぞれの選択を迫られる‥‥


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M. ナイト・シャマランの新作「ハプニング」と共に、5年前、アン・リー演出、エリック・バナ主演で実写化したものの盛大にこけた「ハルク」を、今度はルイ・レテリエ演出、エドワード・ノートン主演で再映像化した「インクレディブル・ハルク」が同時に公開が始まっている。私としてはここは圧倒的にまずシャマランで、「ハルク」は来週かなと思っていた。


そしたら、劇場に着いてみたら「ハプニング」は12館あるマルチプレックスの1館でしか上映してなく、「ハルク」は2館だ。いまだに「インディ・ジョーンズ」も2館で上映しており、あの人気を見ればわからんではないが、同時新規公開の「ハルク」も2館上映なのに「ハプニング」が1館というのは解せんと思ってたら、うちの女房はしれっとそんなもんなんじゃないのという。うーむ、シャマランは実は私が買っているほど巷では評価されてないのか。


それと今回シャマランの「ハプニング」が興行的にはいま一つと思われているのが、これまでPG-13 (13歳以下は成人の同伴が必要) で公開されていたシャマラン作品が、今回初めてR (17歳以下は要成人同伴) 指定になったことにある。これによって高校生のデート・ムーヴィとしてヒットする可能性がなくなり、興行的には特には伸びないだろうと思われているわけだ。一方、一般成人観客にとってはヘンに抑制を利かした演出がなくなったことを意味しており、よりいっそう刺激が増したことは確かで、単純に期待させてくれ、喜ばしい。


実際、オープニングのセントラル・パークにおける異様な事件の連続はそれだけで結構きりきりとさせてくれ、緊張させる。その後の、予告編でも印象的に用いられていた工事現場における集団飛び降りの演出も、うまいなあと思う。だいたい高いところから人が落ちるなんてのはこれまで数え切れないくらいの映画で見ているが、数人まとまって落ちるとはいえ、ここまで印象的なのはめったにない。たまたま「ハプニング」を見たそのすぐ後でTVでヒッチコックの「めまい」をやっていたのだが、クライマックスで明らかに人形が窓の外を落ちていくのを見て、隔世という感じがした。まさか「めまい」見て苦笑するとは自分でも思わなかった。


「ハプニング」はその刺激的な描写という点が話題になっているわけだが、実際にはこれまでのシャマラン作品同様、かなりの部分で直接描写は避け、観客の想像力に訴えかけるというこれまで同様の演出方法がとられている。それでもその描写が強烈と言われるのは、冒頭の連続する自殺シーン等、見ていてぎょっとするシーンも確かに豊富にあるからだ。


これまでシャマランは、死者や不死身の男や宇宙人や過去の世界に生きる人等を描いてきた。それなりに怖いシーンや印象的な演出も随所にあった。それでも、結局何かにおどされおびやかされ殺されるよりも、自分で自分を殺す自殺が一番怖いという気がするから不思議だ。たぶん種の存続という、人間だけではない全生命にとって、最も基本的な本能が壊れる、機能しないことに対する根本的な恐怖というものがあるからだろう。「トゥモロー・ワールド (Children of Men)」で、世界で子供が生まれなくなったことから世界が逼塞しパニックに陥るのと裏表一体の恐怖がここにある。あるいは世界にたった一人残される「アイ・アム・レジェンド」とも同じと言えるか。種の滅亡は個人の死よりももっと恐ろしい。


そういったテーマや描写が気持ち強烈になったという点を除いて今回の「ハプニング」がこれまでのシャマラン作品で最も似ているのは、得体のしれない何者かに存在を脅かされるという、「サイン」だろう。その「サイン」では、ほとんど描かれているのはたった一組の家族だけで、その家族を描くだけで演繹的に世界が危機に巻き込まれているのをわからせるというシャマラン演出が光った。「ハプニング」もある意味そうで、基本的に主人公エリオットとその妻、同僚とその娘の二組の家族を中心に話が展開する。


一方、自殺連鎖がなにかウィルス等の化学兵器やテロのせいという疑惑があるため、エリオットたちはひとまず郊外に疎開しようとする。彼らは最初列車、後に車を使って移動するため、「サイン」に較べれば他人と関係する頻度が高く、必然的に登場人物の数も増える。「サイン」と最も印象の異なる点はここだ。また、「サイン」におけるロリ・カルキン、アビゲイル・ブレスリンというような、本能的に危機を察知する子供という役どころが「ハプニング」にもある。


主人公の化学教師エリオットに扮するのがマーク・ウォールバーグで、関係がぎくしゃくしている妻アルマにズーイー・デシャネルが扮している。デシャネルは昨冬、ケーブルのSci-Fiチャンネルで、「オズの魔法使い」を未来風に翻案したミニシリーズ「ティン・マン (Tin Man)」に主人公役で出ていた。その時にFOXの「ボーンズ (Bones)」のエミリー・デシャネルに似ていると思い、名字を見て姉妹であることを確信した。むろん本当の姉妹だが、エミリーの方が気が強そうで、ズーイーは気持ち儚げというか、とらえどころのないような印象がある。エリオットの同僚教師ジュリアンに扮するのがジョン・レグイザモ。この人はいつもそう思うのだが、昨年のスパイクTVの「ザ・キル・ポイント」のようなばりばりの主演ではなく、こうやって脇に回った時の方が印象的なものを見せる。


「ハプニング」は結局今回も、残念ながら汚名挽回的な興業的成功を収めるにはいたらなかったようだ。別に失敗作というほど人が入らなかったわけではないが、かといって手放しで喜ぶほどのものでもなかったという感じか。しかし私はやはり、物語の語り手のしてのシャマランの話術、見せ方の巧さは当代随一だと思う。彼ほど観客の想像力に訴えかける絵作り、話術を見せる演出家はいない。思い思いに人が歩いているはずの公園で誰も人が動いていない不気味さや、ただ人が後ろ向きに歩くというだけで見せる怖さは、自殺シーンそのものと同等に怖い。それが自殺に結びつくという想像が恐怖心を呼び起こすからだ。ショッカーだけに頼らず、基本的に演出で怖がらせるシャマランは、やはりホラー界に絶対必要な人材だと思う。







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