The Handmaiden


お嬢さん (ザ・ ハンドメイデン)  (2016年11月)

パク・チャヌクの新作は、日本占領下時代の韓国を舞台に描くエロティックなコン・ドラマだ。3年前の前作「イノセント・ガーデン (Stoker)」は欧米俳優を起用したハリウッド進出第1作で、見ようと思っていたら次の週に劇場から消えていて、見逃した。ミア・ワシコウスカ、ニコール・キッドマンという女優が出ているのに、ほとんど単館上映で、一週しか上映されずに消えた。がっかりして代わりにホラーの「死霊のはらわた (Evil Dead)」を見に行ったという、「死霊のはらわた」に関しては、パクの新作を見れなかった代わりの代替映画という、内容よりもそういう経緯の方で記憶に残っている。


とはいえ、実は今回も危うく見逃すところだった。なんせパクはアメリカでは映画好きの枠を超えてまでの知名度はないし、今回はハリウッド映画ではなく韓国が舞台の韓国人俳優のみによる作品だ。その上時代が1930年代の韓国で、セリフは韓国語と日本語となると、どれほどアメリカ人にアピールするかは甚だ疑わしい。


おかげで「ハンドメイデン」は基本的にほとんど宣伝されていない。私も見つけたのはたまたまで、正直言うと、最初ポスターが目に入ったのだが、アジア、たぶん韓国のトレンディ・ドラマとしか思えず、まったく惹かれなかった。次に内容をチェックして、日本占領下の韓国で、広大な屋敷に住む日本人女性と、そのお付きの女中を描くサスペンス・ミステリという紹介を読んで、初めて興味が出てきた。それで、では誰が撮っているのかとチェックして、そこで初めてパクの新作ということを知った。もう少しでまたまた見逃すとこだった。


しかし原作はサラ・ウォーターズの「荊の城 (Fingersmith)」で、それを改変しているということでまた一つ躓く。「荊の城」は読んでおらず、ある家に乗り込んで乗っ取りを企むミステリということからヒュー・ウォルポールの「銀の仮面 (The Silver Mask)」を思い出したのだが、あの後味の悪さは格別だったので、そんな話なら見たくないかもと思ったのだ。


結局、うーん、まさかほとんど同じ話ということはないだろうと劇場に足を運んだのだが、はっきり言ってこの話、お家乗っ取りというのは話の伏線に過ぎず、原作もこうかは知らないが、少なくとも映画においてはエロティック・ミステリとして機能している。そういう話だったのか。


話は3部構成で、第1部がお屋敷に送り込まれたスーキーが、ひでこに情を移していくが、しかし自分の与えられた任務に忠実に、心を鬼にしてひでこを精神病院に入院させるのに同意するまでを描く。と、ここまで書いただけで実はカンのいい者なら、もしかして今後こういう展開かと予想できそうだ。しかし話は第2部、さらに捻った第3部へと続き、その辺まで来ると、なかなか着地地点を見極めるのは難しい。


というストーリーそのものよりも、やはり重心はひでことスーキーが奏でるエロティシズムにある。「イノセント・ガーデン」を見てないので断言はできないが、どうやらパクは、近年、エロティシズムを追求しようとしているようだ。


エロティシズムというのは不思議なもので、完璧なプロポーションとか整った顔にエロティシズムがあるとは限らない。私見では完全ではない微妙な不完全性にこそエロティシズムは宿る。またエロティシズムはすこぶる個人的なものであり、ある者にとってエロティックなものが、別の者にもエロティックであるとも限らない。


「ハンドメイデン」では春画が重要な小道具として用いられるが、私個人に関しては、春画を見ても特にエロティックなものは何も感じない。あれだけ誇張された戯画を見せられても、性的に興奮するには多大な想像力を必要とするなと思うだけだ。とはいえ女体が大ダコに絡まれていたりする絵などはその妄想力に感心したりもするし、多重刷りによる当時の最先端技術を駆使したカラー印刷等は、アートとして興味なくもない。


たぶん春画というのは、最初からそれがエロ写真のような劣情を催させるものとしてではなく、それを見る者の想像力を喚起するものとして機能する。あれは直截的に性的なものを指向しているようには、どうしても見えない。それからワン・クッション置いて人の想像力を刺激媒介して初めて存在価値を得る。それ自体がエロではなく、エロティシズムを喚起する「もの」であるために、アートとして収集の対象にもなる。普通エロ本は、2、3回見たらもうそれ以上見ようという気にはならないものだ。


ところで「ハンドメイデン」においては、ひでことこうづきは日本人であり、当然日本語をしゃべる。また、偽伯爵に扮するふじわらも、日本語をしゃべらなければならない。ふじわらは韓国人が日本人の伯爵の振りをしているだけだから微妙に日本語が完全ではないのは当然としても、やはりひでこには完璧に日本語をしゃべってもらいたい。


それで特訓したのだと思うが、本当に日本語がしゃべれるわけじゃないと思うのだが、ちゃんと及第点は上げられる。日本語をしゃべっているはずなのになんと言っているか聞き取れなくて英語の字幕を見る、なんて事態はほとんどなかった。本当は日本語を知っているわけじゃない欧米人が日本語をしゃべるという設定の作品だと、無理があり過ぎと思わせられるのが多いのだが、日本に来る韓国人アーティストなんて、片言でもわりと綺麗にしゃべる。まるっきり違う言語のようでも発音はしやすいのだろうか。


しかし中国語を勉強している知人の日本人に訊くと、大半が微妙なイントネーションを獲得できず挫折すると言っていた。韓国語と日本語の関係はどうなんだろう。ひでこ、に扮しているキム・ミニは、たぶん日本語の意味を理解しているのではなく、音で覚えて春本を読んでいるだけだと思う。彼女が読み上げる春本は、私にとってはあともう一つ何か足りないと思わせるのだが、逆にあれこそエロいと思ってひでこをそばに置いておきたいと思う者もいるに違いない。










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日本占領下時代の韓国、山深くに贅の限りを尽くした豪邸に住む日本人貴族の世継ぎのひでこ (キム・ミニ) は、望むものは何でも与えられる一方、外出できる自由はなく、屋敷を管理しているひでこの叔父こうづき (チョ・ジヌン) とパトロンたちに、夜な夜な春画の猥褻話を読んで聴かせることを命じられていた。ひでこが相続する遺産に目をつけた韓国人詐欺師の自称ふじわら伯爵 (ハ・ジョンウ) は、貧民街出身の若い女性スリ師スーキー (キム・タエリ) を、たまこという名でひでこ付きの侍女として屋敷に送り込むことに成功する。しかしひでこの境遇に同情したスーキーは、徐々にひでこに思いを寄せていく。ひでこもまた、スーキーに惹かれていく‥‥


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