The Giver


ザ・ギヴァー  (2014年8月)

「ギヴァー」は、ロイス・ローリー原作、邦題「ギヴァー 記憶を注ぐ者」の映像化だ。発表されてからかれこれ20年くらいになる作品で、発売当時はアメリカではベストセラーだったらしいが、私は記憶にない。 

 

近未来の、高度にコントロールされた世界で生きる人類を描いた話で、社会はあらゆる点で監視管理されており、それに反することは許されない。その中で生きる 少年ジョナスは、成長してからの職業を決めるセレモニーで、他の誰とも違う、記憶を受け継ぐレシーヴァーとしての任務を与えられる。ジョナスは新しい世界を知り、成長していく‥‥ 

 

と書くと、どうしても今春の「ダイバージェント (Divergent)」を思い出さずにはいられない。文明崩壊後の高度に管理統制された社会、自我に目覚め始めた主人公、友情、恋、等々、男性と女性の差こそあれ、ディストピアを舞台とする設定や展開、構成は非常によく似ている。 

 

「ダイバージェント」では、社会がたった5つ のセクションに分かれ、人々はその枠組みの中で生きていかなければならなかった。その大元の設定で私は思わずぐっと来て、それはない、それは絶対にあり得ないと躓かざるを得なかったのだが、「ギヴァー」でも同様にこれはないんじゃないかと思えるのが、作品の大前提でもあるギヴァーの存在だ。 

 

もし私が支配者、管理者であるなら、その世界の根底を揺るがす可能性のあるギヴァーという存在は、最初から排除する。為政者としてはそれは当然最初にするべ きことだろう。ギヴァーの存在自体が社会と矛盾しているのだ。ギヴァーの存在が許されるなら、徹底的に社会を管理統制する理由はない。感傷的理由等からギ ヴァーを残したいというのなら、ギヴァーは社会から隠されたものになるのが当然で、大手を振って往来を歩けることにはならないはずだ。「ギヴァー」はある意味ダイバージェントであるのだから、排除されて然るべきだろう。 

 

また、人々は汚い言葉遣いや正しくない言葉を使用すると、周りの者から「ラングエッジ!」と嗜められて矯正される。それだって、まだまだ成長途上で自分自身で自分の感情を持て余し、ヴォキャブラリーが不足しているティーンエイジャーが言葉を間違えずに正しく会話できるわけがないだろうに、そんなに責めなくてもいいんじゃないのケイティ、と思ってしまう。 

 

ジュヴナイル向けのこの手の小説は、こういう設定の細部が甘い。話自体は面白くないわけではないが、重点は主人公の成長を描くという部分にあるため、どうしても舞台設定に詰めを欠く嫌いがあるのは否めない。 

 

ところで「ダイバージェント」では、主人公はダイバージェントであるシェイリーン・ウッドリーだったが、「ギヴァー」では、主人公はギヴァーではなく、そのギヴァーから記憶を受け継ぐレシーヴァーのジョナスだ。もっとも、レシーヴァーはその後自分もいずれギヴァーになるはずだから、それでもいいか。 

 

ジョナスに扮するブレントン・スウェイツは、どこかで見たような気がすると思って調べてみたら、「マレフィセント (Maleficent)」でしくじったプリンスだった。プリンセスをキスで眠りから目覚めさせることのできなかったプリンスに、人々の記憶を託すレシーヴァー=ギヴァーという大任は荷が重すぎるような気もしないではない。 

 

システムを統括する責任者には、「ダイバージェント」ではケイト・ウィンスレットが、「ギヴァー」ではメリル・ストリープが扮している。なぜだかどちらも女性が支配しているのだった。ウィンスレットは自分でもアクションをこなして世界転覆を食い止めようと必死だったが、ストリープはほとんど一睨みで人々を制する。やはりまだストリープの方が力が上か。 

 

「ギヴァー」はこの映画にギヴァーとして登場するジェフ・ブリッジスが映画化権を買い取り、長い間暖めていたものだそうだ。原作が発表されてから20年経つわけだが、著者のローリーは、むしろ今の方が意味を持っているかもしれない、というようなことをどこかで言っていた。 

 

しかし結局製作公開が「ダイバージェント」の結構すぐ後になってしまったのは、たぶん話題性や興行成績の点ではマイナスに働いたろうというのは、数字が証明している。製作規模が「ダイバージェント」の方がでかいということを抜きにしても、「ダイバージェント」があれだけ稼いだのなら、「ギヴァー」ももうちょっと話題になってもよさそうなものだ。近年のジュヴナイルSFの主要客層はティーンの女の子なので、主人公が女性の方が受けがいいというのは確かにあるが。 

 

それでも「ギヴァー」と「ダイバージェント」なら、私は断然「ギヴァー」の方を推す。しかし実はこの手のティーンエイジャーが主人公の、成長ものとしてのジュヴナイルSFでは、近年なら「ダイバージェント」や「ギヴァー」にも増して突っ込みどころや疑問点満載の「エンダーのゲーム (Ender’s Game)」が、私にとっては最もポイント高いのだった。 

 

 

 

 

 





< previous                                      HOME

近未来。大きな戦争の後、人々は同じ過ちを繰り返さないよう、ほとんど感情を排し、管理された世界に住んでいた。ジョナス (ブレントン・スウェイツ)、アッシャー (キャメロン・モナガン)、フィオナ (オデヤ・ラッシュ) の3人は幼馴染みでいつも一緒だった。ティーンエイジャーは時が来るとセレモニー・デイで将来進む道を決定されるが、ジョナスはただ一人レシーヴァー -- 記憶を受け継ぐ者として選ばれる。かつて人類がどのような感情を持ってどのように暮らしていたかを記憶/記録して次世代のレシーヴァーに譲り渡すギヴァー (ジェフ・ブリッジス) は、崖沿いの一軒家で、毎日ジョナスに様々な過去の記憶、歴史、芸術、感情を伝え始める。それはジョナスが想像もしていなかった新しい世界だった‥‥ 


___________________________________________________________

 
inserted by FC2 system