The Ghost Writer


ザ・ゴースト・ライター  (2010年3月)

特に売れているわけではないゴースト・ライター (ユワン・マグレガー) が、元英首相のアダム・ラング (ピアース・ブロスナン) の自叙伝のゴーストという大役を射止める。前任者が不慮の事故で死亡したため、急遽この仕事にとりかかることのできる人間が必要とされたのだ。人里離れたラングの別荘に缶詰めにされたゴーストは、ラングの妻ルース (オリヴィア・ウィリアムス) や秘書のアメリア (キム・キャトラル) らから情報を仕入れながら仕事を進める。しかし決して公明正大と言える政治家ではなかったラングに、戦争捕虜の扱いに関してスキャンダルが持ち上がる。プロテスト団体がラングの別荘近くにも押し寄せ、情勢は段々きな臭くなる。新しい事実を発見するにつけ、ゴーストは自分の身に危険を感じ始める‥‥


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ストーリーを書こうとして、はたと、ユワン・マグレガー扮する主人公のゴースト・ライターの名を覚えていないことに気がついた。冒頭近くで自分で自分を紹介する時に「ゴーストです」と言っていたのは印象に残ったので覚えているのだが、ではと彼の名を思い出そうとしても思い出せない。色々な人と会話しているし、名前も呼ばれていたような気もするのだが、しかし思い出せない。もしかして彼は実は一度も名前なんか呼ばれていなかったのか。だからこそのゴーストなのか。もしそうやって徹底して名を伏せていたのだったとしたら、見事としか言いようがない。こちらは彼が名を伏せられていたことすら気がつかなかった。


映画は冒頭、ゴーストの前任者の死体が発見されるシーンから始まる。フェリーに車が置き去りにされ、死体はその後、波打ち際に打ち上げられる。たったそれだけなのだが、なにやら緊張感漂う出だしは、数年前にシドニー・ルメットが久しぶりに会心作「その土曜日、7時58分 (Before the Devil Knows You're Dead)」を発表した時の冒頭のぞくぞくする緊張感を思い出させ、これは演出のロマン・ポランスキー、久々の傑作を予感させる。「戦場のピアニスト (The Pianist)」も悪くないが、こういう、どちらかというと小さめの作品の方がポランスキーの特質が最もよく出ると思う。


「反撥 (Repulsion)」、「ローズマリーの赤ちゃん (Rosemary’s Baby)」、「死と処女 (Death and the Maiden)」のような、室内劇というか、主人公が一所に閉じ込められるような舞台設定でサスペンスを盛り上げる時に、ポランスキーの演出は最も冴える。ホラーかポリティカル・スリラーかというよりも、追いつめられる登場人物の心理描写を最も得手としているのがポランスキーだ。思えば「戦場のピアニスト」だって、常に隠し部屋に隠れてじっとしている男の話だった。


今回、その名無しの主人公ゴーストに扮するのがユワン・マグレガーだ。マグレガーはスターというよりも、これまでに演じてきた多くの役において、我々と等身大に近い人物を演じている。ちょっと手を伸ばせば我々にも到達できそうな位置におり、しかもそこで失敗する場合が多い。「ゴースト・ライター」においても、彼は一流のゴースト・ライターではなく、前任者が突然死を遂げたために急遽ピンチ・ヒッターとして抜擢されたに過ぎない。ゴースト・ライターとして糊口を凌いでいるというそのことこそ、彼自身の名前で本が売れるわけではないということを示している。


しかし役柄の上ではなく、今回そのスリルとサスペンスから連想するのは、わりと最近の作品だからということもあるが、一昨年のウディ・アレンの「夢と犯罪 (Cassandra’s Dream)」だ。マグレガーはそこではちゃちな犯罪者であったわけだが、こういう、小市民的な役を演じさせると実によくはまる。「ゴースト・ライター」には「夢と犯罪」でも共演していたトム・ウィルキンソンも出ており、それも「夢と犯罪」を連想させる理由の一つだ。


他の出演は、元英首相ラングにピアース・ブロスナン、その秘書アメリアにキム・キャトラル、妻のルースにオリヴィア・ウィリアムスという布陣。キャトラルは今でも彼女を見るとHBOの「Sex and the City」をすぐ思い出すし、ウィリアムスもFOXの「ドールハウス (Dollhouse)」が終わったばかり。他にもTNTの「レヴァレッジ (Leverage)」に主演中のティモシー・ハットンも顔を出すなど、アメリカTVで馴染みのある俳優が出ている。懐かしのイーライ・ウォーラックにもにやりとさせられる。


「ゴースト・ライター」はスリルとサスペンス、謎を全篇にわたって醸成するが、しかし映画を見てて何が一番不思議だったって、ラングの別荘のあるところがアメリカの、どうもマーサズ・ヴィンヤード近辺の避暑地らしいということにある。しかし、ポランスキーって、確かアメリカには入国できないはずだ。かつてのティーンエイジャーと性交渉を持ったことによる淫行の罪でいまだにアメリカではお尋ね者の身のポランスキーは、アメリカに入国しようとしたらその場で逮捕される。だから「戦場のピアニスト」でアカデミー賞をもらった時も、本人は出席しなかった。


昨年スイスで身柄を拘束されたのは、その件に関してアメリカがまだ追っているからだ。 アメリカには時効という概念はないから、ポランスキーは諦めてアメリカで裁判を受けるかしない限り、生きているうちに二度とアメリカの土を踏むことはできないはずだ。 それを考えると、ポランスキーが「ゴースト・ライター」を撮るためにアメリカに来ていたことなどあり得ない。しかし、だとしたら、この映像はいったい何だ? 車は右側を走っているし、まったくアメリカにしか見えない。


その気になれば道路を閉鎖してヨーロッパに多い左側通行を強引に右側通行に変えることは可能だろうが、この風景はいかにもアメリカのように見える。しかし、そこまでやるくらいならアメリカに来て撮った方が時間的にも経済的にも利があるのではないだろうか。あるいはカナダ辺りが代替地として選ばれたのか。


私は頭がこんぐらがってしまった。映画を見ていて何が一番不思議で幻惑されたかというと、作品そのものの筋や展開よりも、本人がいないはずの場で演出をしているという、その事実こそが最も不思議に感ぜられた。二重三重に観客を騙してないか。アメリカ編をセカンドの監督に撮らせるにしてはあまりにもその比重が大き過ぎ、そこを自分で演出しないならそもそも演出の意味がない。わけがわからん。


それで映画を見て帰ってきてから、ロケーションを調べてみた。そしたら、設定こそマーサズ・ヴィンヤードだが。撮影はほとんどデンマークに近いドイツのズィルトという島で撮影されたのだそうだ。ドイツはアメリカと同じで車は右側通行だ。車が右側を走っていてもなんの不思議もない。英語の標識とかは撮影のために捏造したのだろう。というかそういうのは今ではCGで後付けが可能だ。その方が簡単だろう。


アメリカを舞台としているはずの作品を背景が似ているカナダで撮ることは今では普通に行われているが、しかし、アメリカでも特異的に知られている名勝地を外国、しかもヨーロッパで代替してしかも違和感ない。こちらはまさかこれがヨーロッパだとははなっから考えていないから、おかげで完全に騙されたのだった。今にグランド・キャニオンやラスヴェガスがオーストラリアやヨーロッパで代用される日が来るのかもしれない。


一応それでそれは納得したのだが、今度は新しい事実を知った。映画でロンドンとして設定されてい場所は、実はベルリンで撮影されたのだそうだ。なんてこった、今度はわざわざ右側通行の場所を左側通行の国として撮影していたのか。その方が安上がりだったのか。まあ、確かにロンドンで撮影するよりはベルリンで撮影する方が多少は安く上がるだろう。映画は基本的に撮影するすべての場所において代替のゴーストが用いられており、そのことはいかにも題材とマッチしているという気はする。それも戦略の一環か。


そしてポランスキーは2009年8月、アメリカの要請を受けスイスで逮捕されるのだが、その時点では「ゴースト・ライター」はまだ完成していなかった。こういうスキャンダル関係には私より詳しいうちの女房が言うには、ポランスキーはスイスに別荘を持っており、これまで何度もフリー・パスでスイスに出たり入ったりしていたらしい。それが今回に限って逮捕されたのは、アメリカ側からの要請もさることながら、なんかスイスの関係筋の癇に障る発言をしたらしく、それでスイスがアメリカに与したからということらしい。要するにあまり天狗になるなよとお灸をすえたということだろう。ま、あり得ない話ではない。いずれにしてもそれで結局ポランスキーは、勝手に動き回ることのできない在宅逮捕というゴーストの状態で、「ゴースト・ライター」をなんとか完成させる。それはそれでいかにも映画の内容に相応しいと言える舞台背景に、それもまたポランスキーらしいかと、私は納得したのだった。








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