The Fighter


ザ・ファイター  (2011年1月)

ミッキー (マーク・ウォールバーグ) は、かつて世界戦に挑戦したこともあるボクサーのディッキー (クリスチャン・ベイル) が兄、家族もボクシングに関係しているボクシング一家に育った。しかしディッキーは今ではドラッグに溺れ、ミッキーは家族問題のしがらみで練習も満足に行 えない。それでもなんとかボクサーとしてのし上がっていく足掛かりをつかむが、しかしガール・フレンドのシャーリーン (エイミー・アダムス) は、母アリス (メリッサ・レオ) を筆頭にミッキーの姉妹たちと折り合いが悪い上、ディッキーもドラッグから立ち直ることができない。それでもミッキーは徐々にランキングを上げていく が‥‥


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ボクシングがドラマになりやすいのは、成り上がれるからだろう。何も持っていなくても、自分の力だけで金と力を得てのし上がっていくという図式をここまで端的に描ける舞台はそうはない。「ロッキー (Rocky)」でも「レイジング・ブル (Raging Bull)」でも、「あしたのジョー」でも「はじめの一歩」でも、映画だろうがマンガだろうが、ボクシングは最もドラマになりやすいスポーツだ。


「ファイター」は、基本的に事実を基にしたドキュドラマだ。「はじめの一歩」は読んでいるとはいえ、ボクシングは特に私の得意とするスポーツではないのだが、それでも主人公ミッキー・ウォードの名は聞き覚えがある。ウォードの名を覚えているというよりは、キャリアの後半に連続して対戦したアルチューロ・ガッティの名とセットで覚えており、しかもどちらかというとガッティの名が先に来て、ついでにウォードの名もなんとなく覚えたという感じだ。ウォードにはドラマがあったかもしれないが、ガッティのキャリアには華があった。


昔、眼鏡を新調するためにアパートの近くの眼鏡屋で検眼して待っていたら、私の眼鏡のことなどまるで忘れて、男子店員同士がガッティとウォードとどちらが勝つか、やっぱりガッティだろう、なんて熱心に話し込んでいた。正確な調整を要する私の眼鏡を扱っていながら心ここにあらずという口調だったので、非常に印象に残った。私の眼鏡は大丈夫なんだろうな。


確かにその頃はガッティ、およびウォードの名は、最もよく知られているボクサーとして浸透していた。へヴィ級を別とすると、オスカー・デ・ラ・ホヤの次くらいにはよく名前を聞いたボクサーだ。またウォードは、少し前に当時無敵の天才ファイター、シュガー・レイ・レナードと戦って屈し、その後ドラッグに溺れたディッキー・エクランドの義弟でもある。そういうバック・グラウンド・ストーリが付随したウォードには、判官びいき的な期待やドラマがあった。


「ファイター」はそのウォードのキャリアの映像化であるが、どちらかというと人の記憶に残っているガッティとの連戦ではなく、それ以前のタイトル挑戦までが描かれる。一応キャリアとしてはそちらの方が格上だし、なんてったってタイトル戦だし。それでもノン・タイトル戦の対ガッティ戦の方が、クライマックスとしては相応しかったのではと思わないではない。


というか「ファイター」は、ボクシング映画ではあるが、ドラマとボクシングを秤にかけると、ドラマの部分の方の比重が高い。「ロッキー」ではなく「レイジング・ブル」なのだ。多くの者にとっては、見終わってしばらくしてから思い出すのは、ウォードの最後の試合の勝敗ではなく、彼の家族の方だろう。


ウォードは義兄ディッキーだけではなく、母アリス、7人姉妹、ガール・フレンドのシャーリーンというこれまた強力な女性キャラクターに囲まれていた。よくそういう状態でボクシングやり続けられたなと思う。アリスに扮するのが「フローズン・リヴァー (Frozen River)」のメリッサ・レオで、夫を尻に敷いて姉妹たちを束ねる女家長を演じて評価が高い。因みに7人姉妹の一人に扮するのは、TBSで「コナン (Conan)」が始まったばかりのコナン・オブライエンの実妹ケイト・オブライエンだ。


シャーリーンに扮するのがエイミー・アダムスなのだが、実は私は映画を見ている間中、彼女がアダムスということに気づかなかった。いくぶんか体重を増やして、どちらかというとスキニーという印象さえあったアダムスがむちむちふっくらとしていたためで、特に女優の場合、いくら役のためとはいえ、体重を落とすことはあっても増やすことなど普通はないために、シャーリーンの肉が落ちた顔がアダムスになることにまったく気づかなかった。映画を見終わって家に帰ってきてから、女房が、アダムスってどんな役でもできるのねというので、へ? アダムスが「ファイター」に出てたの? とまったく間抜けな返答をしていたくらいだ。なんとなく見覚えがある顔だとは思っていたが、まさかアダムスだったとは夢にも思わなかった。本当になんでも演じれる。


このレオとアダムスの評価が非常に高いのだが、それにも増して絶賛されているのが、ディッキーを演じるクリスチャン・ベイルだ。これまで「ザ・ダーク・ナイト (The Dark Knight)」「3時10分、決断のとき (3:10 to Yuma)」のような数々のできのいい作品に主演として出ていながら、影が薄かったというか、おいしいところをすべて脇に持っていかれるという経験ばかりしていたベイルが、やっとその本領を発揮した。というか、助演に回ったベイルが、今度は主演のウォールバーグを食っている。割りを食ったのはウォールバーグだ。


近年のベイルは、出演作の主人公-脇の関係をなぜだかすべてぶち壊す。これはいったいどういうことなんだろう。主演になると萎縮して、脇に回るとのびのびやれるのか。そんなことはないと思うが、主演を張る力があるくせに脇に回った方がいいという癖はなんとかしなくてはなるまい。これでは今に主演潰しというレッテルが定着してしまう。いずれにしても今回のベイルがここ数年でベストのできという巷の評には、私も異議を挟むものではない。それにしても彼は、役のために体重を落とすことが苦にならないというか、生き甲斐を感じてすらいるようだ。いくらジャンキー役とはいえ、「戦場からの脱出 (Rescue Dawn)」みたいにここまで痩せる必要があったのか。


こういう脇が強い印象を残すために、主人公ウォードが、ウォードを演じるウォールバーグが霞んでしまうのはいかんともし難い。ウォードが周りの人間の板挟みになって振り回されるという点を強調しようとしたせいだろうが、その鬱憤を晴らす起死回生のクライマックスの試合が、思い切り盛り上がったかというと、そうは言えないまま終わってしまったという印象を拭い切れない。しかしまあ、あれだけ強力な人間が周りにうじゃうじゃいたら、普通の人間ならとっくに圧し潰されているだろう。その中で一応自分のやりたいことをやり通してキャリアを築いたウォードの粘り強さこと誉めてしかるべきなんだろう。演出は「スリー・キングス (Three Kings)」のデイヴィッド・O・ラッセル。








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