The Favourite


女王陛下のお気に入り  (2018年12月)

どうも最近、これはと思う作品を見逃している。村上春樹の「納屋を焼く」を映像化したイ・チャンドンの「バーニング (Burning)」は、韓国人の多く住むフォート・リー近くのマルチプレックスに絶対来ると思って楽観視していたのに、そのマルチプレックスが閉鎖してしまって、ニュージャージーでは一軒も上映している映画館がない。 

 

ダリオ・アルジェントのクラシック・ホラーをリメイクした「サスペリア (Suspiria)」は、気づいてはいたのだが、何もあれリメイクしなくてもと思ってパスしていたら、たまたま予告編を見て、主演のダコタ・ジョンソン、ではなくて、バレエ学校長に扮しているのがティルダ・スウィントンというのを知り、さらにバレエやオリジナルを踏まえたその映像センスに、これ、もしかして結構いいかもと思わされる。調べてみると演出は、昨年「君の名前で僕を呼んで (Call Me by Your Name)」が評判となったルカ・グァダニーノで、これは行けるかもしれないと思った時には既に遅く、これまた既に上映している映画館がない。 

 

微妙だがどうしようと思っていた、「マーウェンコル (Marwencol)」をドキュドラマ化したロバート・ゼメキスの「ウェルカム・トゥ・マーウェン (Welcome to Marwen)」は、批評家からも一般市民からも無視され、一週間で劇場から姿を消した。 

 

コーエン兄弟の「バスターのバラード (The Ballad of Buster Scruggs)」も、前回の「ヘイル、シーザー! (Hail, Caesar!)」と違ってわりとシリアスな西部劇オムニバスらしく、こいつは見るぞと思っていたら、製作のNetflixが、オスカーにノミネートされる権利を得るためだけにストリーミング提供前に劇場で一時的に上映しただけで、これも限定公開の上、あっという間に劇場から消えていた。同じNetflix提供でも外国語白黒映画で、こちらこそ見ておかないと来週にはやってなさそうだと慌てて観に行ったアルフォンソ・キュアロンの「ローマ (Roma)」はまだやっているのに、またまた判断を誤った。今年の年末は失敗が嵩む。 

 

というわけで今回観に行った「女王陛下のお気に入り」、こちらも今年のオスカー候補で、巷では「ローマ」とこの「女王陛下のお気に入り」が、作品賞候補の最右翼だ。「ローマ」の方が地味で早めに公開が終わりそうだと「女王陛下のお気に入り」を後回しにしていたが、別にこちらのそんな思惑など関係なく、「ローマ」も「女王陛下」も共にロングラン公開中だ。「バスターのバラード」とか「サスペリア」だとかを先に見とけばよかった。 

 

さて「女王陛下のお気に入り」は、ヨルゴス・ランティモス監督作品だ。昨年の「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア (The Killing of a Sacred Deer)」は近年で最も怖い作品の一つだったが、今回の「女王陛下」は、歴史もののコスチューム・ドラマだ。もっとも、登場人物同士での心理戦、駆け引きという点での怖さは健在だ。 

 

話は18世紀初頭、英国のアン女王と、側近で事実上権力を握っていたサラ、その従妹で王宮入りし、次第にアン女王の寵愛を受けて力を握っていったアビゲイルの3人を中心に描く。アン王女には十何人もの子がいたがほとんどが死亡し、代わりに死んだ子の数だけウサギを飼っていた。痛風持ちで厭世的なアン女王の側近であり、事実上彼女に代わって国政を牛耳っていたのが、幼馴染みかつ愛人でもあるサラだった。サラはフランスと戦争中で国民が疲弊しているのにもかかわらず、増税を考えていた。 

 

そういう王宮に、サラの従妹と自称するアビゲイルが職を求めてやってくる。アビゲイルは最初こき使われるが、機を逃さずアン女王にとり入ることに成功し、宮廷内での序列を駆け上がることに成功する。やがてアビゲイルはさらに野心を持つようになる。それにサラも気づき‥‥という展開。 

 

アン女王に扮するのがオリヴィア・コールマン、サラにレイチェル・ワイズ、アビゲイルにエマ・ストーンという布陣で、皆うまい、というか、はまっている。コールマンとワイズがうまいのは最初からわかっていたが、特に予想以上にいいのがストーンで、最初、無垢の女性という印象を与えておきながら、段々野心を持ってアン女王にとり入っていく様を好演している。「ラ・ラ・ランド (La La Land)」では演技というよりも役にぴったりで印象を残したが、今回は段々甘い汁を吸って下心が膨れ上がっていく様子を上手に演じており、こんな演技もできたのかと感心する。 

 

こういうコスチューム・ドラマは、時代の再現が見どころの一つなのは当然だが、個人的に印象に残ったものに、ところどころ話の流れを食い止めているようにしか見えない魚眼レンズの使用がある。たぶんオール・ロケで現実に宮殿内とかで撮影しているためだろう、この内装を撮りたいがどうしてもこれ以上カメラを後ろに引けない。それで苦肉の策か、あるいは喜んで、魚眼レンズを使用している。 

 

人も、柱も垂直がとれない魚眼レンズは、話を語るという点では、明らかにその流れを止める。あんなに湾曲した人や内装を見せられても、美的感覚の点から言ってもあまり誉められたものではない。それを何度もやる。ある意味、宮殿内部に住んでいる者たちの平衡感覚や人間としての感覚のズレを揶揄、誇張、意味しているともとれないこともなく、「ロブスター (The Lobster)」や「聖なる鹿殺し」の監督の作品だ、むしろそうとるのが自然かとも思える。壁の模様があんなに緻密な内装の部屋で魚眼で移動撮影なんか何度もやられたら、確実に気分悪くなりそうだ。 

 

こういうたぶん意図的な誇張の演出は至るところに見られ、18世紀なのに今風の振り付けで踊る舞踏会だとか、ウマから落ちたサラのおどろおどろしいメイキャップだとか、いかにもランティモスの趣味なんだろうなと思える虚仮威し的な演出が見られる。こういう性質の出方次第で、「聖なる鹿殺し」的なホラー色が強くなったり、あるいは「ロブスター」的な不条理の印象を与えたりする。「女王陛下のお気に入り」の場合、ランティモスのそういう過剰でグロテスクなものが歴史という枠組みを与えられることによって、うまく描きたいことのエッセンスだけを浮かび上がらせることに成功したという印象が強い。たぶん本人にとっても会心のできだったのではないか。 











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1708年、英国はアン女王 (オリヴィア・コールマン) の治世でフランスと戦争している最中だったが、健康が思わしくないアン女王は実務はもっぱら幼馴染みで側近のサラ (レイチェル・ワイズ) に任せ、実権はほとんどサラが握っていた。その王宮に、サラの従姉妹であるアビゲイル (エマ・ストーン) が、職を求めてやってくる。最初、下働きでほとんどいじめられるように働いていたアビゲイルだったが、折りを見てアン女王に近づき、目をかけられることに成功する。アビゲイルは徐々にアン女王の寵愛を一人占めするようになり、目の上のたんこぶであるサラを排除することを画策する‥‥


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