The Drop


クライム・ヒート (ザ・ドロップ)  (2014年10月)

「ザ・ドロップ」は、むろんジェイムズ・ガンドルフィーニの遺作になる。昨年ガンドルフィーニがイタリアで客死した後、「おとなの恋には嘘がある (Enough Said)」が公開され、これが遺作か、もうHBOの「ザ・ソプラノズ (The Sopranos)」のような番組は永遠に見られなくなってしまったのかという感懐を受けてからさらに1年ほど経ってから、「ドロップ」は公開された。もう1年経ったのか。


さらに「ドロップ」には、夏に公開された「ロック (Locke)」のトム・ハーディも出ている。ハーディはいい役者だとは思うが、やはりガンドルフィーニ同様、ヴァイオレンスの絡む切れた役柄がはまる。ということで、「ドロップ」は予告編を見た時からこいつは見ると決めてたのだが、今回しばらくぶりに日本に帰省したために見る時宜を逸し、帰米してさあ見ようかという時には、既に遠くの小さな映画館一館のみにかかっているだけだった。特に興行成績がよかったわけではないのは確かなようだ。


1時間近くドライヴして初めて入った郊外の小さな劇場では、こういう小さな小屋ではよくあることだが、チケット売り場はポップ・コーン等を売るコンセッション・スタンドが兼ねている。そこで「ドロップ一枚」と言ってチケットを買おうとしたら、バイトに違いない若い男は、えーっと、どのドロップ? といって困惑している。私は私でなんのことかと思い、もう一度ゆっくりと、ドロップ、と繰り返したら、その男、後ろを振り返って、テーブルに作り置きされているポップ・コーンを指して、これしかないと言う。私は私でますますわけがわからなくなり、違う違うチケットだ、というと、そばで様子を見ていた支配人のような男がしゃしゃり出てきて、1時半? 10ドルだ、みたいな感じでやっとチケットを購入できた。


要するに若い男はドロップというのをお菓子のドロップのことだとカン違いしていて、その手のがなかったために、ポップ・コーンしかないと言いたかったらしい。一方私はチケットのことしか頭にないから、いったいこの男は何が言いたいのかとまったく話が噛み合わなかったのだった。


しかしそんなの、自分たちが上映している映画のタイトルさえ覚えていたらすぐわかったことだろうに、勤労意欲が足らんわお前、たぶん一生この小さな町から出られまいと、内心毒づきながら上映しているスクリーンに向かう。こんな小さな町の映画館でもマルチプレックスで、一応4つの映画がかかっている。


中に入ると、これまたよくあることだが、席はがらがら‥‥どころか、誰もいない。本当に私たった一人だけだ。郊外の劇場に行くと時にがらすきの状態で見ることはある。例えば最近では「アナザー・ミー (Another Me)」を見た時も場内には数人しかなく、しかも一人はこんな空いている場内の一番後ろの端っこに隠れるように座っていて、私は他に人がいるのに気づかず、映画が終わって小屋を出ようとしていきなり隅っこで人ががさごそ動き出したからかなり仰天した。むろんその時見ていたのがホラーだったというのもある。


しかし今回のように明らかに他に誰もいない、たった一人だけ、というのはめったにない。そうか、だからコンセッション・スタンドのにーちゃんも、ドロップが映画名という思考に至らなかったんだなと気づいた。誰もドロップと言ってチケット買ってないから、まったく考えもしなかったろう。結局、上映開始直前になってカップルが入ってきたので、観客は私を含め都合3人になった。このカップルは問題なくチケット買えただろう。それも私が先に前例を作ってあるからだ。


なんてことをつらつらと考えているうちに上映が始まる。ガンドルフィーニ演じるマーヴとハーディ演じるボブは従兄弟同士の間柄で、マーヴが経営者、ボブはバーテンダーだ。ブルックリンのそこいら辺一帯のバーは、チェチェン系ギャングが、金のロンダリング、一時保管回収に利用していた。金がどこから来てどこに行くなんてことはもちろん口にすることは許されない。それらのバーおよびその行為はドロップと呼ばれていた。もちろんそこに金をドロップするからだ。お菓子のドロップのことではない。


ある夜、バーに二人組の賊が押し入り、金を回収途中の下っ端のギャングに大怪我を負わせた上に、金を盗んで逃げる。しかしボブは賊の一人が壊れた腕時計をしていたことを目に留めており、それを手掛かりに警察やギャングが賊を追う。一方、ボブは家に帰りがけに他人の家の庭のゴミ缶の中で鳴いていたピット・ブルの子犬を拾う。その家の住人であるナディアとも近づきになり、生活が変わり始めるが、そこにナディアの元カレのディーズが姿を現す。ディーズは問題が多く、怒らせるとどんな行動に出るか誰もわからなかった‥‥


この映画、舞台であるブルックリンがいかにもやばそうな雰囲気の場所になっている。ブルックリンと一言で言ってもかなり広く、マンハッタンに近い西側はオシャレでスノッビーな街だが、東側のイースト・ニューヨーク近辺は、本当にやばそうな雰囲気が充満している。とはいっても映画で描かれるのはどう見てもその辺りではない。それでも上手にそういう雰囲気を出す。


上映後のクレジットで原作者がデニス・ルヘインであることを知り、なるほどと思う。「ミスティック・リバー (Mystic River)」「ゴーン・ベイビー・ゴーン (Gone Baby Gone)」で描かれるボストンも、ボストンってあんな暗いイメージないけどなと思わせるボストンだったが、同じことをブルックリンでもやっている。原作のイメージを忠実に映像で再現しようとすると、どうしてもこうなっちゃうんだろう。ルヘインってよほど重いもの抱えているっているか、結局どの街を描かせてもルヘインの住む、重い空気が澱む下町になってしまう。


たぶんこれが本当に遺作のガンドルフィーニは、こういう役だったので、没後すぐの公開がためらわれたのではと思わせる。遺族にとってはあんまり嬉しくない遺作ということになろうか。ハーディは、そうそう、あんたにはこういう役こそがはまる。寡黙で、自分の信条に忠実だが、怒らせると切れて誰にも止められないやつ。考えるとハーディで印象的な役ってすべてそんな役ばっかりだ。「デッド・マン・ダウン(Dead Man Down)」でもやはりニューヨークで過去を抱えながら生きている女性を演じたラパスも、またまたここでもこんな役。男から殴られる役ばかりがはまるってのもなんだか。しかし「ミレニアムドラゴン・タトゥーの女 (The Girl With The Dragon Tattoo)」では倍返ししていたから、いつまでもやられてばかりじゃないだろう。


ディーズを演じるマティアス・スーナールツもなかなか拾い物で、このやばそうな感じはいい。と思ったら演出のベルギー出身のミヒャエル・R・ロスカムが長編デビュー作の「闇を生きる男 (Bullhead)」で、同じくベルギー出身のスーナールツを起用していた。「闇を生きる男」か。ちとネットフリックスかHuluでチェックする必要がありそうだ。たぶん今週限りで公開が打ち切りになったと思われる「ドロップ」、見れて満足だ。











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ニューヨーク、ブルックリン。ボブ (トム・ハーディ) は従兄のマーヴ (ジェイムズ・ガンドルフィーニ) が経営するバー「カズン・マーヴス」のバーテンダーをしていた。そこら一帯のバーはチェチェンの流れを汲むギャングが仕切っており、いずこからとも知れず集められてくる金がいったん各々のバーにドロップされて保管され、後に回収される仕組みになっていた。集められてくる金の出所や行き先については、誰も知らされることもなければ、訊くこともなかった。ある夜、カズン・マーヴスから金を回収途中の男が襲われ、金を奪われる。ギャングの疑惑の目はボブとマーヴにも向けられ、ボブらはなんとしてでも奪われた金を奪回しなければならなかった。一方、ボブは自宅へ帰る道すがら、とある家のゴミ箱にピット・ブルの子犬が捨てられているのを見つける。家主のナディア (ノオミ・ラパス) は最初ボブに不信の目を向けるが、やがて納得してボブにイヌを育てるためのアドヴァイスを色々とする。しかし、ナディアがかつて付き合っていたというディーズ (マティアス・スーナールツ) が再びナディアと、ボブの前に姿を現す。一見して危なげなディーズは、イヌを捨てたのはオレだ、もしイヌが欲しければ1万ドルよこせとボブに詰め寄る‥‥


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