The Day the Earth Stood Still


地球が静止する日  (2008年12月)

地球に謎の物体が接近する。至急全米の科学者が呼び集められ、その中にはヘレン (ジェニファー・コネリー) の姿もあった。謎の巨大球体の宇宙船はニューヨークのセントラル・パークに着陸、その中から宇宙人が現れるも、はやまった軍人の狙撃により宇宙人は倒れる。手当ての後、脱皮するような形で中から現れたのは一見人間の姿形をしたクラトゥ (キアヌ・リーヴス) だった。エネルギーを自在に操ることのできるクラトゥは施設から脱出、そしてヘレンに連絡をとってくる。果たしてクラトゥが地球にやってきた本当の目的は何なのか‥‥


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1951年にロバート・ワイズが監督したクラシックSF「地球の静止する日」のリメイク。今回は地球「の」ではなく、地球「が」静止する日になった。微妙な違いなんだが、なんとなく「の」が「が」になっただけで、ほんの僅かではあるが地球「の」動き「が」能動的になったような気がする。半世紀の経過が助詞に変化をもたらした。


あるいは私は本格ミステリ好きなので、鮎川哲也のクラシック短編「達也が笑う」と「達也は笑ふ」をどうしても連想してしまうのだった。わたしが今回のタイトル命名をすわアナグラムかと平仮名書きにしてあれこれいじくってみたのは言うまでもない。


さて、実はこのオリジナル、私はまともに見たことがない。TVでチャンネル・サーフをしていてクラシック映画専門のTCMか、映画マルチプレックス・チャンネルのアンコールのSFチャンネルあたりで何度か目にしたことはあるのだが、その度毎に最後まで見ることをせずにチャンネルを替えている。どうもあの人間型のロボットが嘘くさいというか鼻について、見る気がしないのだ。


同じワイズ演出のSFでも「アンドロメダ...」だととても面白く熱中して見ているのだから、自分でもなんだがよほどあのロボットが気に入らなかったと見える。たぶんあのロボットに違和感を持ったのは今回の製作チームにもいたと見えて、今回は造型のフォルム自体は一緒でも、人間大の大きさではなく、高さ40mとでもいうような巨大なロボットになっている。そうそう、ああいう世界を破壊するようなロボットは、そのくらいでかくあって欲しい。同じように感じてくれていた人がいて嬉しい。


今回宇宙人クラトゥに扮するのはキアヌ・リーヴスで、いまだに美貌というか、どこか人間離れした顔の均整のとれ方は健在。だからこそドラマというよりSFの方で珍重されるのだが、さもありなんと思う。ぶよぶよしたジェル状の膜の中から生まれてくるのがこれ以上似合う俳優もいまい。リーヴス演じるクラトゥが嘘発見器にかけられて「あんたは人間か?」という問いに対し、「私の身体はそうだ」と答え、「あんたは痛みを感じるのか?」という問いに対してはやはり「私の身体はそうだ」と答える件りは、こういってはなんだが文句なしにおかしい。本当に人間じゃないみたいだからだ。実はTVの予告編でこのシーンが流れた時は、私たち夫婦は爆笑もんで、しばらくの間二人して 'Are you a human?', 'My body is.' 'Do you feel a pain?' 'My body does.' と答えて受ける内輪ギャグが流行った。


むろんキャスティングどんぴしゃだからといって、それが作品の質を保証するものではない。オリジナルを見ていないから比較はできないが、今回のリメイクがそこここで精彩を欠いているのは否定できない事実だろう。敵か味方かわからない宇宙人が地球にやってくる。宇宙航海のできる宇宙船を建造することのできる科学力から言って、人類より文明が進んでいるのは確かではあるが、その目的ははっきりしない。彼らは人類と友好的な関係を結ぼうとしているのか。それともロボットの攻撃力が示しているように、実は人類を滅ぼそうとしているだけではないのか。


という、人類が明日にも滅亡してもおかしくないという事態を描いているのに、この緊張感のなさはつらい。人類存続の危機を目の前にしてスクリーンを見ていて眠くさせてしまうのは、抑揚を抑えて淡々と宇宙人役に徹するリーヴスのせいというよりも、やはり演出のせいだと思われる。ほとんど基本的なストーリーは同じでオリジナルはクラシックと言われているわけだから、ストーリーのせいだと逃げるわけにも行かないだろう。リーヴスを相手に回し、こちらはいつも通りに感情の起伏を前面に押し出す相手役のヘレンに扮するジェニファー・コネリーも、どうも空回りしているという印象を拭えない。


ついでに言うと、彼女の子供役のジェイコブを演じるジェイデン・スミスも、「幸せのちから (The Pursuit of Happyness)」の方がよかった。私は見ながら眠気を感じただけだったが、女房の方は途中、実際にかなり寝てしまったそうで、後で私に見逃した部分のストーリーを訊いてきた。二人とも特に睡眠不足だったわけではなく、ほぼ万全の体調でこれなのだ。たぶんその他の観客も推して知るべしだろう。演出のスコット・デリクソンは、「エミリー・ローズ (The Exorcism of Emily Rose)」等のホラー系の人。


一方、目を演技陣に転じると、TV界に親しい人間にとっては馴染みのある顔が至る所に出ており、楽しめる。その筆頭は「モンティ・パイソン」のジョン・クリースだろうが、現在のアメリカTV界で活躍している者もごまんといる。AMCの「マッド・メン」で人気急上昇中のジョン・ハム、NBCで放送が始まったが現在衛星放送のディレクTVがその後を引き継いで製作している「フライデイ・ナイト・ライツ」のカイル・チャンドラー、「プリズン・ブレイク」のロバート・ネッパー等の主としてTVを舞台に活躍している役者陣が顔を揃える。しかも上に挙げたどの番組も、「モンティ・パイソン」以外はシリアスなドラマ作りが番組の持ち味であるため、彼らがSF作品で同様の演技を見せるのを見るのもまた一興だったりする。


とはいえ、なぜだかこういうわりとヴェテランの俳優の面々が、監督の要請もあったろうが、皆真面目に演じ過ぎたのが今回の敗因だったような気がする。話の中心が究極のすれ違い俳優というか、努力や熱演とは無縁の位置にいるリーヴスだっただけに、その他の役者陣の気負いが無に帰されたというか、すべて上滑りしてしまったというような印象が強い。これは国務長官に扮するキャシー・ベイツもそうだ。むろん明日にも地球が滅亡してしまうというような時に、シリアスでない方がおかしいとは思うが、この作品ではなぜだか人が真面目に演ずれば演じるほど、どこか位相がずれてくる。見終わって後に、これがどういう話だったか実はもうよく覚えていないのだ。


どうしていきなりああいう結末になってしまったのか。オリジナルの模倣、リメイクだから、あるいはストーリーの要請というより、それらしいのはリーヴスの気が変わってしまったからというのが最もしっくり来る。地球の未来がリーヴスが何を感じるか、何を悟るかにかかっているのは、既に「マトリックス」を筆頭とする各種SF作品でリーヴスが何度も証明してきたことだ。それは彼が宇宙人になってしまっても同じらしい。







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