放送局: PBS

プレミア放送日: 3/29/2005 (Tue) 22:30-23:30

製作: アンドリュウ・レヴィン・プロダクションズ

製作総指揮: イングリッド・サヴェジ、ジェラリン・ホワイト・ドレイファス

製作: ウィノナ・ライダー、タメラ・マーティン

製作/監督: アンドリュウ・レヴィン

ナレーション: ティム・ロビンス


内容: ボンベイの世界最大の赤線地帯にさらわれて売られてきた女性たちを追う。


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インド、中央アジアの子供人身売買や売春問題をテーマにした「ザ・デイ・マイ・ゴッド・ダイド」は、公共放送のPBSのインディ製作番組専門枠の「インディペンデント・レンズ」で放送された。この番組枠は、全米のインディペンデントのフィルムメイカーに発表の場を提供するために設けられたもので、「インディペンデント・レンズ」と、同じくPBSの「P.O.V.」は、在野のドキュメンタリー・フィルムメイカーの登龍門として双璧と言えよう。これにHBOの「アメリカ・アンダーカヴァー」を入れれば、アメリカのドキュメンタリー界に関係している主要なフィルムメイカーはほとんどカヴァーできるはずだ。


さて、この「デイ・マイ・ゴッド・ダイド」は、実は昨年、どこかで番組評を読んでいて、かなり誉められていたのを覚えていたので、是非見たいと思っていた。ところが、その肝心の番組がなかなか放送されない。PBSの編成はローカル局に任されているので、必ずしも全米で同一時期に放送されるとは限らず、時差があったりする。


そうこうしているうちに、今年のアカデミー賞のドキュメンタリー部門で、「ボーン・イントゥ・ブロセルズ」が受賞した。しかもその内容はというと、ボンベイの赤線地域に生まれた子供たちを追うというもので、私はてっきり、「‥‥ブロセルズ」と「デイ‥‥」は同じ番組で、「デイ」の内容をちょっといじって商業用映画として編集し直したのが「ブロセルズ」だとばかり思っていた。「デイ」が放送されなかったのは、先にTVで放送されると規定違反としてアカデミー賞の対象作品となることから外れてしまうため、その対応策として放送を控えたものだとばかり思っていたのだ。


そしたらどっこい、両作品はすっかり別ものであった。同じ時期に、よりにもよってまったく同じ場所を舞台とし、同じ主題を持つドキュメンタリーが2本同時に提供されたわけで、偶然だろうが、見る方にとっては混乱すること極まりない。厳密に言うと、両作品は同じ場所を舞台としているとはいえ、「ブロセルズ」はそこで生まれたまだ年端も行かない子供たち、「デイ」の方は、誘拐か、あるいは騙されて連れてこられ、そこで働くことを強要されている女性たちをとらえるもので、視点、あるいはテーマは異なる。とはいえ、一瞬の視覚的な印象はほとんど同じであり、実際に両方共見た後でないと、区別が難しいのは確かだろう。


「デイ」は、少なくとも西海岸では放送されていたらしいのだが、このほどやっと無事NYのPBSでも放送された。東海岸で放送が遅れた理由はよくわからない。「インディペンデント・レンズ」って、真面目に毎回見ている人間がいるとも思えないから、少しくらい日程が狂ったって、文句をつける者がいるとも思えないし。こないだ、「ポストカーズ・フロム・バスター (Postcards from Buster)」という子供向け教育番組で、共同で子育てをしている女性のゲイのカップルが登場した際、それを不服とする田舎者たちの抗議によって、放送を取り止めたPBS地方局もあった。こういうこともあるくらいだから、「デイ」はちゃんと放送してくれただけありがたいと思うべきなんだろう。少なくとも、この番組を不愉快に思い、放送してもらいたくないと思っているインド人は少なくはないはずだ。


「デイ」では、何人かの女性がフィーチャーされるのだが、彼女らは、ボンベイ、あるいはその売春窟で生まれ育った者たちではない。インド近辺の国、特にネパールで生まれ、言葉巧みに騙されるか、あるいは強引にさらわれてボンベイに連れてこられ、売春を強制されている者たちだ。まだ幼い時に連れてこられた者もいれば、既に20代になっていた者もいる。ボンベイの赤線地帯では年々売春婦の平均年齢は低下しており、つい十数年前には20代だった平均年齢が、現在では14歳まで落ちているのだそうだ。平均が14歳ということは、当然その下の年齢の子もおり、7、8歳からこの商売をしているという子もいるそうである。たぶんその手の需要があるから、供給しようと思う奴らも出てくるのだろう。ロリコンは世界中にいる。


さらわれてきて売春を強制させられる子は、最初は当然拒否するのだが、蹴られ殴られ飯も与えられないとなれば、死なないためには嫌でもそうするしかない。最初はレイプされ、徹底的に服従を強いられた挙げ句、生きていくために身体を開く。彼女たちがそういう商売を強制させられた日が、番組タイトルともなっている「神が死んだ日」なのだ。21世紀のこの時代に、人身売買はあるところではごく普通に行われているのだ。しかも子供や乳飲み子じゃなく、既に物心ついた大人の女性だったりする。彼女らの出身地であるネパールや近隣の貧しい国は、こういう人身売買問題に関して、外国に対して強硬な態度に出られるほどの国力がないため、ほとんど泣き寝入りするしかない。あるいは、貧乏であるため、ほとんど親の要望で間引き同然に連れてこられた者もいるだろう。そういう者たちには帰る場所もないはずだ。


もちろんそういう彼女たちがずっと囚われの身であれば、永遠にその実体は公にならず、この番組ができるはずもなかった。しかし、こういう者たちがいることを知り、援助の手を差し伸べた者たちがいた。贈収賄が蔓延している警察官たちと地道に交渉したり、欲深い売春宿の経営者を脅したりすかしたりすることで、徐々にそれらの囚われの身となっている人たちが解放され始め、彼女たちから話を聞くことで、番組ができ上がったのだ。


しかし、解放されたはいいものの、その女性たちが再び元の生活に戻れるかどうかは、話が別だ。理解のある家族や夫がいた者はラッキーだが、生まれ育った村に帰ってみたものの、どういう境遇にいたかをなぜだか村中の者が知っており、ほとんど村八分のようになってしまう者もいる。また、多くの者はエイズに感染しており、まずはそういう施設に入って治療を行うのが先決だったりする。売春宿から解放されても、すぐに元の生活に戻れるわけではないほど、既に大きく人生の歯車は歪んでしまっている。


こういった点で、「デイ」で取り上げられる女性たちは、「ブロセルズ」の子供たちより何倍も不幸だ。少なくとも子供たちは、自分たちにその気があれば、まだ外の世界に飛び出していくチャンスがなくもなかった。ところが「デイ」の女性たちは自分たちの意志とは無関係に強引にこの世界に連れてこられたのであり、隙を見て逃げ出したからといって、どこへ行くあてもなかったりする。もうこの世界に馴染んでしまったからか、せっかく助けの手が差し伸べられても、自分からそれを拒否したりするのだ。


それでも、援助の道は徐々に、遅々とではあるが進んでいるのがまだ救いであると言えるか。私は、自分の意志でこういう道に入る者に対してはまったく反対はしないが、やっぱ無理強いはいかんよと思ってしまう。こういうのを見ると、レイプとかヴァイオレンスとか人身売買とかの非人道的な話は、映画や小説とかのフィクションの世界だけに留めておいてもらいたいと思うのであった。


「デイ」では、ほんのわずか挿入されるナレーションをティム・ロビンスが務めている。番組枠の「インディペンデント・レンズ」のシリーズ・ホストが妻のスーザン・サランドンであるため、その繋がりであるのは間違いあるまい。確かによく知られている俳優の名が番組に付随しているかどうかは、番組を売る時の大きなセールス・ポイントになるというのはよくわかる。しかし、実際の話「デイ」はほとんどナレーションを必要としておらず、ロビンスの声が被さる場所は数回しかない。そのため、時折、忘れた頃に挿入されるロビンスのナレーションは、私には逆に不要に感じた。そのくらいなら文字にして画面に挿入した方が作品の流れを邪魔しなくてよかったのにと思ったのだが。






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The Day My God Died

ザ・デイ・マイ・ゴッド・ダイド   ★★1/2

 
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