The Counselor


悪の法則  (2013年10月)

「悪の法則」は、「ノー・カントリー (No Country for Old Men)」、「ザ・ロード (The Road)」のコーマック・マッカーシー脚本を、リドリー・スコットが演出した作品だ。これまで人生順風満帆の道を歩んできた腕利きの弁護士が、自分の力を過信し過ぎたために大きな過ちを犯し、これまでの成功の代償を一気に支払うかのように奈落に落ちていく。 

  

今回は「ノー・カントリー」や「ロード」の時とは異なり、マッカーシーの本の映像化ではなく、最初からマッカーシー自身が脚本を書いている。そういう書き方もできるのかと思って調べてみると、一昨年にHBOが放送したTV映画の「ザ・サンセット・リミテッド (The Sunset Limited)」が、実はマッカーシーのオリジナル戯曲だった。 

  

「サンセット・リミテッド」はほぼ完全な室内劇で、ほとんど最初から最後まで舞台は部屋の中から動かず、たった二人の登場人物だけで話が進む。黒人の前科持ち と人生に絶望して自殺を考えている白人の男が神の存在について対話する、というかほとんどバトルするみたいな話で、黒人男に扮するのがサミュエル・L・ジャクソン、白人男に扮するのがトミー・リー・ジョーンズだ。 

  

実はこの番組が放送された時、私はたまたまTVの前にいてちらちらと見ていたのだが、ほぼ完全な室内限定のセリフ劇で、内容とはいうと神の存在云々という、困った時の神頼み以外はほとんど神様とは無縁の私にとって、到底興味深く思える話じゃなかった。常に心の中で神と対話しているキリスト教信者が舞台でこの話に接すれば非常に心揺さぶられるものがあるかもしれないが、たとえジャクソンとジョーンズという曲者同士が丁々発止とやり合っていようとも、正直言って私はあまり興味を持てなかった。ラストどうなったかまったく覚えてないところを見ると、途中で寝たかチャンネルを換えるかしたような気がする。 

  

それにわざわざ場所を一か所の室内に限定して、どこからどう見ても舞台劇用に書いてある脚本をわざわざTV映画にしても、舞台と違って映画ではすべてのセリフを事前に暗記している必要のない役者以外に、製作上のメリットがあるかどうか疑わしい。これがTV番組として機能するのは、生放送で中継する時だけに限られると思う。 

  

断っておくが別に神を題材にしているから興味を持てないのではない。同様に神が関係する「ダウト (Doubt)」は、同様に舞台劇の映像化であっても、こちらは非常に面白く見れた。要はセリフ劇を本当にセリフ劇として場所を限定してしまうと、効果どころか逆効果にな る。その「サンセット・リミテッド」が実はマッカーシー作の戯曲だったとは、実は今回初めて知った。もちろん事前に知っていてもその内容だったら見たかは疑問ではあるが。 

  

マッカーシーにとって神の存在は大きな問題であるようで、「ノー・カントリー」は骨太で、神話のように展開する。たぶん「ロード」もそうだったろうと思う。そ して「悪の法則」もその例に漏れない。例えば「ノー・カントリー」では、「悪の法則」にも出ているハビエル・バルデムが、善悪を超えた存在シュガーとして登場する。彼は善い行いをして神から褒美をもらったり、悪いことをして懲罰を与えられるような人物ではなく、ほとんど神そのものに近い。あるいは神を無視している。そのため彼が怪我をしたりする時は、彼の行いの報いではなく、運が悪かったから、そういうめぐり合わせだから怪我をする。ただ単に、怪我をする時は怪我をするのだ。そして怪我をしたら手当てをするだけだ。もし手当てが間に合わないような大怪我なら、死ぬしかない。それは因果応報ではなく、自然の摂理だ。それともそういう運を含めて神が支配しているのか。 

  

そのバルデムが、「悪の法則」では運命、もしくはキャメロン・ディアス扮する悪女のマルキナに翻弄される。あのシュガーでもやはり女には勝てないか。マルキナこそ、バルデムが演じたシュガーに近い存在だ。一方マルキナは、自分の思う通りに計画を進め、邪魔者は徹底的に排除するという点で、シュガーよりさらに冷酷だ。シュガーは冷酷ではあるが要請された仕事のみだけを完遂したが、マルキナは策を弄して邪魔者を手にかけるだけでなく、利益を一人占めしようとす る。ドラッグ仲買人のウェストリー (ブラッド・ピット) は、弱肉強食の世界を渡り歩いてきた一匹狼で、そういう世界の怖さを身をもって知っているから、ヤバいと思うとカウンセラーに忠告を与えてすぐに手を引いて逃げる。 

 

こういった主要登場人物以外にも、「悪の法則」には印象的なキャラクターが何人も出てくる。特に私の印象に残ったのが、やはり善悪ではなく、請け負った仕事 をこなすギャングの組織の一員として登場する者たちで、例えばモーターサイクルで飛ばしてくるライダーを仕留めるために、淡々と準備を進める男や、銃撃戦となって撃たれ、仲間が殺されても、やはり愚痴一つ言わず黙々とトラックを運転し続ける男なんて、不気味なのか格好いいのかよくわからない。「ノー・カントリー」のシュガーに通じるものがある。 

 

いくらカウンセラーが成功したやり手の弁護士であろうとも、こういう口八丁手八丁、一枚も二枚も上手の裏の世界に通じた者たちに囲まれては勝ち目はない。カウンセラーがそれを悟った時には既に遅く、引くことも進むこともかなわない絶体絶命の剣が峰に追い込まれていた。果たして彼は救いを見出すことができる か。 

  

カウンセラーに扮するマイケル・ファスベンダーは、ハンサムな顔立ちというだけでなく、困り顔、泣き顔もかなりいい。「X-Men: ファースト・ジェネレーション ( X-Men First Class)」でもそうだった。「悪の法則」においても、最近ここまでどツボにはまるのもいないというくらい痛い目に遭う。 

 

「ノー・カントリー」でもジョシュ・ブローリン扮する主人公は、ちょいと魔が差したばかりにシュガーに追われて散々な目に遭ったが、今回のカウンセラーはそれに輪をかけて追い込まれる。多くの神話がそうであるように、そこに何かの教訓が含まれているとしたら、悪いことしたらそれは倍返しとなって自分の身に降りかかってくるということだろうか。いや、それよりも、何もしなくても悪いことが起こる時には起こるというのがもっとしっくり来る。しかもそれを防ぐ方法はない。とすれば教訓は諦める術を学ぶこと、時には人生には耐えようもない悲劇が起こることもあるということを納得すること、になるだろうか。ちょっとペシミスティック過ぎるような気がしないでもない。 

 

実はマッカーシー原作の次回作「チャイルド・オブ・ゴッド (Child of God)」 は、既になんとジェイムズ・フランコ監督主演ででき上がっていて、現在世界の映画祭サーキットを回っているが、評判はあまり芳しくない。一瞬私もフランコの名を聞いて、うーん、フランコとマッカーシーか、あまりピンと来ないなと思ったのは事実だ。しかし見せようによっては面白いものができそうな気もする。 自分で演出するんじゃなくて、それこそ誰か、クリント・イーストウッドくらいのレヴェルの監督に演出頼めばよかったのに。このままだと劇場公開が見送られてお蔵入りする可能性が高そうだ。 










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若手の敏腕弁護士であるカウンセラー (マイケル・ファスベンダー) は恋人のローラ (ペネロペ・クルス) に求婚し、仕合わせの絶頂にいた。そのカウンセラーに、多少ヤバい商売にも手を出しているライナー (ハビエル・バルデム) がドラッグの仲買人のウェストリー (ブラッド・ピット) を紹介、メキシコから入ってくるコカインの取り引きの話を持ちかける。成功した場合の実入りは大きく、カウンセラーはその話に乗る。しかし自分を過信するカ ウンセラーは、失敗した時のことをまるで考えていなかった。コカインを隠し積んだトラックが何者かの手によって強奪される。すべての状況は、その後ろで手を引いているのはカウンセラーだと告げていた‥‥


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