The Cabin in the Woods


ザ・キャビン・イン・ザ・ウッズ  (2012年5月)

デイナ (クリスティン・コノリー)、カート (クリス・ヘムズワース)、ホールデン (ジェシ・ウィリアムズ)、ジュールズ (アナ・ハッチソン)、マーティ (フラン・クランツ) の5人は、週末をカートの従兄弟が所有する山奥のキャビンで過ごす計画を立てる。途中立ち寄ったほとんど廃屋のガソリン・スタンドの経営者は彼らに好意的 ではなく、一行は不快な思いをさせられる。やっと着いたキャビンは思ったよりもさびれていたが、それはそれで雰囲気があると言えなくもなく、早速思い思い に過ごし始める。しかし、実はそこはある研究者たちが実験に使っているキャビンで、そこを訪れる者たちに怖い思いをさせるためだけに遠隔操作で様々なギミックを使えるようになっていた。いったい、彼らはなぜ、なんのためにそのような施設や装備を駆使しているのか‥‥


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「ザ・キャビン・イン・ザ・ウッズ」は、一見、セオリー通りのホラーだ。無軌道に見える若者たちが、週末を森の中の一軒家で過ごす。当然そこには「13日の金曜日」のジェイソンのような者がいて、若者たちを一人一人血祭りにあげて行くんだろう。


とまあ、お膳立てはセオリーなのだが、どうしてどうして、「キャビン・イン・ザ・ウッズ」は、そのセオリーを捻っている、というか、思う存分好き勝手している。 最近のホラーは、基本的にセオリーはやり尽くしたという感があるためだろう、とにかく新たなギミックを取り入れ、いかにして観客の裏をかくかという方向に向かうベクトルを感じる。


「サイレント・ハウス (Silent House)」ではカットなしの1シーン1ショットで全編を撮ろうとし、「パラノーマル・アクティビティ (Paranormal Activity)」では登場人物が持つヴィデオカメラがすべてを記録する。「デビル (Devil)」ではほとんどの話がエレヴェイタの中で展開する。「インシディアス (Insidious)」のように、特に奇を衒ったようには見えない作品ですら、後半はかなり派手になる。


多かれ少なかれ作り手はこれまで誰も見たことがないものを作ろうと考えるが、ホラーほどその要請が強いジャンルもない。観客を怖がらせることが第一の存在理由であるホラーは、これ、前に見たことがあるという反応は、作品としてはほとんど失敗の烙印を捺されたに等しい。  元々ホラーというジャンルが、相手の虚を突いてわっと驚かせることが存在理由の一つであるため、これはある意味しょうがない。


とはいえ、「エクソシスト (The Exorcist)」や「シャイニング (Shining)」のような正統的ドラマティックなホラーが今後現れる可能性があまりなさそうなのは、ちと残念だ。「キャビン・イン・ザ・ウッズ」は、「クローバーフィールド/HAKAISHA (Cloverfield)」脚本のドリュウ・ゴダード演出だ。しかし映画の印象をもっと代表しているのは、ゴダードではなく、共同で脚本を書き、製作も兼ねているジョス・ウェドンだろう。


「バフィ 恋する十字架 (Buffy: The Vampire Slayer)」、「ドールハウス (Dollhouse)」で知られるウェドンは、現在、監督作の「アベンジャーズ (The Avengers)」も公開中で、俄かに注目されている。オタク文化を代表するタイプの製作者/演出家で、「キャビン・イン・ザ・ハウス」も「アベンジャーズ」も、ウェドンのオタク的資質が炸裂した作品だ。「アベンジャーズ」がマーヴェル・コミックスのスーパーヒーローを総動員する王道的オタク作品としたら、その裏街道を驀進するのが、「キャビン・イン・ザ・ウッズ」と言える。


「キャビン・イン・ザ・ウッズ」でウェドンがやろうとしているのは、とにかくこれまでのホラー作品のセオリーの裏をかくというその一点のみで、実は物語とか話の展開というのはあまり意味がない。若者が集う週末の森の中の一軒家、必要なのはその状況設定だけで、あとは当然観客が予想する展開をどうやって裏切るかということだけに集中する。


冒頭の、どこぞの研究所で話をしているリチャード・ジェンキンスとブラッドリー・ホイットフォードの登場からしてかなり人を食っているのだが、彼らがやっていることがわかり始めると、それに輪をかけて呆気にとられる。どうやら彼らは森の中の一軒家で過ごす若者たちを誘導して怖い思いをさせるという、どうやらそのためだけに研究所にいるようなのだが、では、それがなぜ、なんのためにという説明は一切ない。


森の中のいたる所にカメラが設置され、若者たちの一挙手一投足に目を光らせており、事態を促進させたり思い通りに行動させようとする点だけを見ると、思い起こさせるのは「ハンガー・ゲーム (The Hunger Games)」だ。「ハンガー・ゲーム」で、戦う設定や場所はまるで中世なのに、実は最先端テクノロジーが場所全体を覆い、殺戮をまるでTVゲーム化していた、というのと同じだ。「キャビン・イン・ザ・ウッズ」でも、まるで田舎の陋屋に見えて、実際は最新テクノロジーが蜘蛛の巣のように舞台を覆っている。


例えば、若者たちはこういう場所ではとにかくまずセックスに耽らなければ始まるものも始まらない。それで研究員たちは、小屋から森の中に抜け出したカップルの周りにフェロモン・ガスを撒き散らしてとにかくその気にさせようとする。「ハンガー・ゲーム」の場合は、事態が停滞するとロボットが飛んできて指示を出したり武器や食糧、医療品を提供したりしたが、「キャビン・イン・ザ・ウッズ」の場合は、これほどあからさまなやらせはない。どうやら、少なくとも最初の方はあくまでも青年たちの行動は自発的ということが重要らしい。とすると、これはあるシチュエイションに置かれた若者の行動を観察するという、なんらかの社会的な調査をしているのだろうか。


一方、それにしては若者たちはちゃんと死んでいく。いくら調査という名目でも、本当に殺してしまったのではなんにもならないだろう。いったい、本当に、なぜ、なんのために彼らは知らず知らずのうちに森の中の一軒家に閉じ込められてしまったのか。あの研究員たちは、いったい何者なのか。


実はその明確な答えは明らかな形で用意されているわけではないが、しかし、やはり答えは一つしかないだろう。とはいえ、だからといって、では、なんのためにというと、やはり答えに窮するのだ。たぶん、ホラー映画を撮って見る者の予想を覆すため? としか言いようがないくらい理不尽だ。研究員を、NBCの政治ドラマ「ザ・ウエスト・ウィング (The West Wing)」のホイットフィードと、これまた「扉をたたく人 (The Visitor)」等、地に足のついた偏屈おっさんを演じさせると右に出る者のないジェンキンスが演じているために、さらに収まりの悪い違和感が作品に横溢している。いったい、なんなんだわけ、この映画。


絶体絶命のピンチに追い込まれる若者たちも、その内の一人は「マイティ・ソー (Thor)」、そして「アベンジャーズ」とハリウッド大作主演の続くクリス・ヘムズワースだ。キャスティングでいうと、当然彼は最後まで残ってヒロインを助け出すはずだが、しかし果たしてどうなるか。やはり一筋縄ではいかないか。定石でいうとそのヒロイン役はヴァージン? のデイナのはずだが? あるいはこれらのセオリーはわざと覆されるためにそこに置かれているのかもしれない。唖然とし、人によってはは怒り出しかねない結末をどう受け止めるかは、見る者次第だ。










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