The Birth of a Nation


ザ・バース・オブ・ア・ネイション  (2016年10月)

今夏までは、「バース・オブ・ア・ネイション」は来年のアカデミー賞の作品賞候補の筆頭だった。どの媒体を見てもそう書いてあった。サンダンス映画祭に颯爽と登場して審査員賞、観客賞と主要な賞を独占した「バース・オブ・ア・ネイション」は、一躍マスコミの寵児となった。


ところが夏も終わりの頃、その風向きががらりと変わる。製作脚本監督主演と何本もの草鞋を履き分け、映画の顔であったネイト・パーカーが、かつて学生時代に起こしたというレイプ事件が掘り起こされて浮上してきたからだ。この事件の発覚以前と以降では、ハリウッド、引いてはマスコミの「バース・オブ・ア・ネイション」とパーカーに対する扱いは、180度変わったと言ってもいい。


「バース・オブ・ア・ネイション」は、19世紀初頭、虐げられた挙げ句蜂起した黒人奴隷を描くドラマだ。その、虐げられ、怒れる黒人を代表したパーカーがレイピストだったというのは、いかにも誰にとっても心証が悪かった。本人は、あれは合意だったと弁明したが、秋には誰も作品のことを口にしなくなり、たまさか目にする機会がある時は、「数か月前までは来年のオスカー候補の筆頭だった『バース・オブ・ア・ネイション』」という形容詞が付随するようになった。


しかしそれにしても考えてしまうのは、ドナルド・トランプの大統領当選だ。パーカーは大昔のたった一度の過ちのために業界から葬られた格好になった。しかしトランプは、暴言失言差別発言を繰り返し、女性蔑視にレイプ疑惑、税金逃れに詐欺と、はっきり言って犯罪者だ。ホワイトハウスよりも刑務所の方が相応しい人物だ。そんな人間がアメリカ大統領で、パーカーはキャリアの芽摘まれて干されてしまった。この差はいったい何だと思ってしまう。


トランプの当選が確定した後、どこぞのフリーウェイを跨ぐ陸橋の上に立つ、KKKの装束姿の人物の姿がとらえられ、SNSでその映像が拡散していた。8年前、黒人初のオバマ大統領が誕生したことで白人にせよ黒人にせよ逆になんでも言える雰囲気となり、これまで封印されてきた差別感情がここに来て一気に噴き出したという感触がある。白人の側から見ても黒人の側から見てもどっちも不平不満は募っており、その捌け口にもっともなりやすいのが人種問題だ。一見して違いがあるだけに、どちらにとっても不満をぶつける対象となりやすい。


近年、凶悪犯罪自体は、全米で減少傾向にあるという。しかしそれなのに、白人警官に撃たれて死ぬ黒人は増え続けている。カメラ付きのスマートフォンやSNSのおかげで、その大半は必要のない発砲であったことが明らかになっている。


個人的体験を言うと、私は数年前に夜、黒人に後ろからいきなり殴られて金を要求されたことがあり、犯罪を起こす率が黒人に高いということは否定できない。正面から殴りかかってくるのですらなく、後ろからいきなり殴られた。最初、何が起こったかさっぱりわからず、気がつくと地面に倒れていた。今思い出しても腹が立つ卑劣なやり口で、こういう輩はやはり取り締まって刑務所にぶち込んでもらいたいと思う。


最近のニューズには、こういう、黒人が後ろから殴りかかって金品を奪うという事件が多い。運悪く死んだ者すらいる。監視カメラがとらえたこういう事件のほぼすべての犯人が黒人であるという事実を考えると、白人警官が過剰防衛に走りやすいのもわからないではない。向こうも銃を持っている可能性が高いアメリカの場合、撃たれるより先に撃たなければ、やられるのはこちらだ。


要するにそんなこんなで、対立感情はエスカレートするばかりだ。もちろん人種で区別差別するのなんてバカらしいと考えている者も大勢いるのだが、やはり何百年も続いた人種間のしこりは、一朝一夕で解決できるほど簡単単純なものではない。


近年の黒人解放ドラマは、そういう時代の趨勢を受けてか、描き方が過激になってきている。「それでも夜は明ける (Twelve Years a Slave)」もWGNAの「アンダーグラウンド (Underground)」も19世紀の黒人奴隷を描いており、特に「それでも夜は明ける」の主人公は悲惨で過酷な環境に放り込まれるが、「バース・オブ・ア・ネイション」の黒人奴隷は、さらに悲惨と言える状況下に置かれ、ほとんど正視に耐えない。しかもどちらも事実を基にしているのだ。


ビリー・ホリデイの「奇妙な果実」は、歌詞を知らずに歌だけ聴くと、哀調のあるしみじみと心に響く歌だ。しかしその歌詞の意味を知ると衝撃的だ。「バース・オブ・ア・ネイション」ではその「奇妙な果実」の歌に合わせて、歌詞の通りの映像が描かれる。人間の残酷さを目の当たりにするようで、かなり気が滅入る。


今回、人種的偏見を平気で口にするトランプを大統領に選んだ内陸部の人々も、ほとんどは個人的に付き合うと悪い奴らじゃなかったりする。単純に、昔そうしていたようにまた楽な暮らしがしたいだけだろう。しかし、今現在たとえそうであろうとも、トランプを選んじゃいけない。それは暗黒時代をもたらすだけだ。ダーク・サイドに転落して恐怖政を敷いたダース・ヴェイダーがもたらしたものはなんだったか、それを世界に教えたのは他ならぬアメリカ人ではなかったか。


先週NBCの「サタデイ・ナイト・ライヴ (Saturday Night Live)」を見ていたら、ホストが黒人コメディアンのデイヴ・シャペルで、当然のことながら冒頭のモノローグでトランプ当選の話題に触れた。ジョークをかましながらも最後には、オレたちはあんたにチャンスを与えた、今度はあんたがオレたちにチャンスを与える番だと締めくくったモノローグは、コメディというよりも感動的で、人種差別ギャグてんこ盛りだったコメディ・セントラルの「シャペルズ・ショウ (Chappelle's Show)」のシャペルから、まさかこんな発言が飛び出すとは思ってもいなかった。果たしてトランプは、アメリカは、これからどこへ向かおうとしているのか。筋書きのないドラマは続く。










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19世紀初頭、ヴァージニア州。ナットは白人の家に仕える黒人奴隷の身として生まれた。主人であるターナー家の奥方のエリザベス (ペネロペ・アン・ミラー) は、自分の子であるサミュエルとナットに区別なく接し、知的好奇心が強く、習ってもいない読み書きができるナットに聖書を教える。長じたナット (ネイト・パーカー) は黒人のための説教師として各地の荘園で奴隷たちに説教するようになり、その賃金はサミュエル (アーミー・ハマー) が受け取った。ある時、サミュエルとナットは奴隷として道端で売られていたチェリー (エイジャ・ナオミ・キング) に遭遇、ナットの強力な勧めもあってチェリーを買い入れ、やがてナットとチェリーは結婚する。一方、サミュエルと共に度々地方に説教に赴くナットは、黒人奴隷が人間としての尊厳を認められず、暴力を振るわれ、悲惨な状況にいるのを目にしないわけにはいかなかった。ある時、サミュエルに口答えして罰として鞭を振るわれたナットの中で何かが壊れる‥‥


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