The Aviator   アビエイター  (2005年1月)

1930年、親譲りの遺産を利用してさらに巨万の富を築いたハワード・ヒューズ (レオナルド・ディカプリオ) は、ハリウッドに乗り込み、3年の月日を経て「地獄の天使 (Hell's Angels)」を完成させただけでなく、その後も数々の作品をものにする。一方、プレイボーイとしてもキャサリン・ヘップバーン (ケイト・ブランシェット) やエヴァ・ガードナー (ケイト・ベッキンセイル) を筆頭に数々の有名無名女優と浮き名を流すだけでなく、パイロットとしてもスピード記録に挑戦し、ビジネスマンとしては航空業界に殴り込みをかけるなど風雲児として旋風を巻き起こすが、当然敵は多く、また、病的な潔癖症で、時として神経症的な発作を起こすという人間的な弱さも内包していた‥‥


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「ギャング・オブ・ニューヨーク」に続いてマーティン・スコセッシがレオナルド・ディカプリオを主演に起用して製作したのは、アメリカ映画界の異端児として今も名を残すハワード・ヒューズのドキュドラマである。もちろん、ビジネスマン、パイロットとしても一流の人物であり (というか、そちらの方が本職)、そちらの方でヒューズの名を知っている者は、逆にそういう人物が映画監督/プロデューサーとしても歴史に名を残していることにびっくりするかもしれない。


かくいう私は、映画の歴史関係のドキュメンタリーを見た時に、時たま「地獄の天使」からの抜粋を何度か目にしたことがあるくらいで、どちらかというと、本人よりも、現在アメリカの衛星放送界を牛耳るディレクTVの親会社としてのヒューズという名前の方に馴染みがある。ディレクTVは近年、オーストラリアのメディア王ルパート・マードックのニューズ・コープによって買収かそうでないかで大揉めに揉めた。ハワード・ヒューズが生きていたら、今回もきっと面白いドラマを提供してくれたに違いない。


さて作品の方は、冒頭でまだ幼いハワード・ヒューズがさらりと登場した後は、場面はすぐに「地獄の天使」撮影中の、ディカプリオが演じるヒューズへと移り、あとは最後までディカプリオの独壇場である。つまり、作品のほとんどをディカプリオ一人で背負っていると言っていい。もちろんケイト・ブランシェットやケイト・ベッキンセイル、ジョン・C・ライリー、アラン・アルダといった面々が脇をしっかりと固めているのだが、「ギャング・オブ・ニューヨーク」におけるディカプリオが主演というよりは単なる狂言回しに過ぎなかったことに較べると、こちらは誰がどこから見ても堂々たる主演だ。


しかもディカプリオは今回はプロデュースも兼ねており、自分でやりたかった役、しかもスコセッシの方も昔から「地獄の天使」はお気に入りの映画の一つと言っていた作品だ。その作り手であり、人間としてもかなり癖のあったらしいヒューズの半生を描く作品が興味深いものになるのは当然だろう。「ギャング」では周りを芸達者に固められ、はっきり言って霞んでしまったディカプリオであるが、今回は思う存分、役者としての自分を楽しんでいるというような印象を受ける。


と、なかなか楽しませてくれる「アビエイター」であるが、実は、その面白さと共に作品の欠点もディカプリオにあることもまた事実である。なんとなれば今回ディカプリオは20代から40過ぎまでのヒューズを演じるのだが、30代以降になってくると、ちょびヒゲを生やした童顔のディカプリオがうまく収まらなくなってくる。端的にちょびヒゲが似合わないのだ。これは、見る人によってはかなり致命的な失敗と映ってもしょうがあるまい。うちの女房なんて、後半のディカプリオなんて、まるで同様に童顔のまま歳とっていっているティム・ロビンスにそっくりだったと述懐していたが、その意見が的を得ているかどうかはともかく、そう思いながら見ている観客を話にのめり込ませることはできないだろう。


とはいえ私は非常に楽しんだ。ディカプリオだけじゃなく、今回はスコセッシまでなんか肩の力を抜いて、うまくリラックスしながら映画作りを楽しんだんじゃないかというような印象を受ける。従来からのエキセントリックな話作りはそのままで、その上で余裕が感じられる。スコセッシはこれまでアカデミー賞とはまったく縁がなく、無冠の帝王なんて呼ばれていたりしたが、今回、「アビエイター」がこれまでの鬱憤を晴らす可能性は非常に高い。ポイントは、やはりディカプリオなのだ。彼の演技がアカデミー会員に受け入れられれば作品賞と監督賞、受け入れられなければやはり今回も無冠か。しかし今回は作品賞か監督賞か、少なくともどっちか一つはとるという気がする。ディカプリオ自身はたぶん無理だろう。


今回のアカデミー賞がスコセッシの年になるだろうと思われる理由として、近年のスコセッシに対する世間の反応の温暖化がある。これまでスコセッシの作品を特徴づけていた過度の暴力に対し、実は、本質はかなり保守的なアメリカの一般市民は、スコセッシを無視し続けてきた。これまでのアカデミー無冠は、そういった全体としてのアメリカがスコセッシに対して持っていた最大公約数的な気持ちを代弁したものという感が強い。しかし、近年、そういった傾向は軟化している。特にスコセッシのヴァイオレンス描写がおとなしくなったというよりも、世間が他の様々なハリウッド映画のヴァイオレンス描写に慣らされた結果じゃないかと思うんだが、なんか、最近やたらとスコセッシが持ち上げられている。


アメリカン・エクスプレスのTVコマーシャルのスコセッシの起用は、その最も端的な現れという気がする。DPEの店先で気難しげな表情のスコセッシが自分が撮った写真が気に入らず、あれこれ構図が悪いだのなんだの難癖つけて、撮り直しだとしてまた新しくアメックスのカードを使ってフィルムを買っていくというこのコマーシャルは、逆に気難し屋のスコセッシが人々に受け入れられたことの証明のように私には感じられる。さらにクラシック映画専門チャンネルのTCMは、スコセッシ自身が自作を解説するドキュメンタリーを製作、これまた人々がスコセッシを身近に感じるのに一役買っただろう。こないだサンダンスの「タナー・オン・タナー」を見ていたら、スコセッシ自身が本人として登場してなにやら愛嬌を振りまくなど、いつの間にやらスコセッシは人々から好かれ始めているのだ。


このことがスコセッシの今後の活動にどう影響をもたらすかは皆目見当もつかないのだが、少なくとも今、この時点で言う限り、すべてはスコセッシに有利に回っているということは断言できる。たぶん今年のアカデミー賞でスコセッシが何かとるだろうと思わせる所以はそういう点にあるし、実際、私も今年はスコセッシの年になるんじゃないかという気は大いにする。一昨年、「ギャング」がノミネートされた時は、今スコセッシに上げとかないと次のチャンスはいつになるかわからないからといった消極的な意見が支配的だったが、今年は違う。積極的にスコセッシは評価されているのだ。


スコセッシ-ディカプリオ路線だけに留まらず、「アビエイター」は、脇が非常にいいことも評価される所以だ。特にブランシェットが助演女優でもノミネートされるのはまず間違いないだろう。キャサリン・ヘップバーンを演じても結局ブランシェットになってしまうのだが、それでもいったん彼女がスクリーンに登場すると目が離せない。おかげでエヴァ・ガードナー役で後半登場するもう一人のケイトであるベッキンセイルの方は、役柄としてはおいしい役のはずなんだが、霞んでしまって印象に残らない。一方、アルダやアレック・ボールドウィンの男優陣も非常にいい。ボールドウィンなんて出番自体はほとんどないのだが、それでもこれだけいいと感じさせてくれるのはほとんど初めてだ。アルダも嫌みな役が見事にはまっている。


「アビエイター」は40年代、実用になるかどうかで物議を醸した巨大水上輸送機スプルース・グースが処女飛行をするところで幕を閉じる。実は、ヒューズが現在知られているところの衛星放送への参入はそれ以降の話であり、同様にラスヴェガスのカジノ業界への参入といった、これまた面白いドラマになると思われる話には言及していない。しかし、クソでかい、ただ単に自分のエゴを通したかっただけにしか見えないスプルース・グース号は、見事にヒューズその人を体現しており、いかにも話の幕切れとして相応しい。こういうのをCGじゃなくて、実物大再現なんてやってくれるくらいスコセッシのエゴもでかくてもかまわなかった、なんて思ってしまうのだ。 






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