The Amazing Spider-Man


アメイジング・スパイダーマン  (2012年7月)

ピーターが幼い頃、父と母はピーターをベン (マーティン・シーン) とメイ (サリー・フィールド) の叔父夫婦に預け、行方を絶ってしまう。成長したピーター (アンドリュウ・ガーフィールド) はカメラが趣味のオタク高校生で、いじめの対象だった。密かに父がNY市警所長 (デニス・リアリー) というグウェン (エマ・ストーン) に思いを寄せていた。ある時ピーターは、地下室から父が残したブリーフケースを発見する。科学者だった父は同じ科学者のコナーズ (リス・エヴァンス) と共同研究しており、ピーターはマンハッタンのコナーズが務める研究所を訪れる。そこではグウェンがインターンをしていた。ピーターはこっそり見学の集団を離れ、そこでスパイダーの研究をしている隔離された部屋に入り込んでしまう‥‥


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近年のスーパーヒーローものは3部作として構成され、3作作るとまた製作陣、出演者を一新してやり直すというのが基本らしい。必ずしも3部作にならない場合もあるが、「スパイダー-マン」はそうだし、現行の「バットマン」もそうだ。だいたい3作作るのに5年から8年くらいかかるから、一般的に関係する者の事情も考えて、そのくらいのスパンでのコミットメントが最も適しているということもあるだろうし、それ以上作っても見る者が飽きてしまうというのもあるかもしれない。


トビー・マグワイア主演、サム・レイミ演出の前「スパイダー-マン」は、2007年にひとまず2002年から始まった3部作が終わった。今回はそれに代わる新シリーズ (やはり3部作?) で、新ピーター・パーカーに扮するのは、「ソーシャル・ネットワーク (The Social Network)」のアンドリュウ・ガーフィールド、そのラヴ・インテレストのグウェンを演じるのはエマ・ストーンだ。


アメリカのスーパーヒーローものの系譜としては、史上最も弱っちいオタク系スーパーヒーローであるスパイダーマンは、であるからこそ、一般人には最も近く、感情移入しやすいこともあって、非常に人気がある。ニューヨークのクイーンズ出身という、いかにも庶民派で、ニューヨークではたぶんスーパーマンよりもバットマンよりも、スパイダー-マンの方が人気があるという感触を受ける。単純に肌で受ける感触で言うと、少なくともニューヨーク近辺で最も人気があるスーパーヒーローは、スパイダー-マンかX-メンのどちらかだ。


レイミ版スパイダー-マンは、その庶民派という点に着目して、やたらと庶民じみたスパイダー-マンを造型した。金がなくて貧乏っぽく、バイトをクビになったりおだてられたら増長したり、時には忙し過ぎてメシを食う暇がなくて栄養失調に陥るなんてスーパーヒーローは、一般的にはスーパーヒーローの範疇に入らないだろう。個人でスーパーヒーローとなっているバットマンもスパイダー-マンも、コスチュームは一点もののオート・クチュールだが、それを裏方が作って飾っているバットマンと、自分で手縫いしているスパイダー-マンとでは、印象は天と地の差がある。


手縫いで粗い縫製だからかどうか、スパイダー-マンのマスクはすぐ脱げちゃうし、自分から率先して脱いで素顔を公衆の面前にさらしてしまうことも特徴で、一般人に脱げたマスクを返してもらいながら、誰にも言わないから、なんて囁かれてしまう。正直、スパイダー-マンはスーパーヒーローらしからぬほとんどアンチ・スーパーヒーローであり、その点こそがスパイダー-マンが人気のある所以だ。


そうやって印象の固まっているスパイダー-マンを今回どうやって新しく造型するのかという興味は、小さくないものがあった。アンドリュウ・ガーフィールドという配役はその点、スリムでオタク系という基本を踏襲しつつも育ちのよさみたいなのが垣間見えるハンサムな顔立ちで、悪くない。マドンナ役のエマ・ストーンもカースティン・ダンストからはちょっと華があって、こちらもいい。演出は「(500) 日のサマー ((500) Days of Summer)」のマーク・ウェブだ。なんとなく傾向が見えてきた。


実際、今回のスパイダー-マンは、レイミ-マグワイア版に顕著だった庶民階級的な感じはあまりしない。むろん今回もピーター・パーカーはオタクの虐められ系青年ではあるが、一方でガーフィールドはいい家の坊ちゃん的な、マグワイアより繊細な印象も感じられ、結果として、今回のスパイダー-マンは、庶民派スーパーヒーローではなく、むしろスーパーマンが一般家庭で育ち、長じて自分のルーツを探す旅に出る、みたいな、貴種流離譚みたいな話に近くなった。幼い頃、両親が去って、叔父おば夫婦に育てられたという設定も、その印象を強くしている。


また、今回のスパイディは、マグワイアほど素顔をさらさない。スーパーヒーローにしてはかなり面が割れ過ぎているとは思うが、それでもスパイダー-マンの素顔を知る者は限られており、マグワイア版スパイダー-マンのように、不特定多数の前に素顔をさらすわけではない。現代のスーパーヒーローは一人ですべてを片すことは無理であり、近くに素性を知って助けてくれる者は必要だが、その数は最小限に抑えられている。


人間関係で前シリーズと最も異なっているのは、恋人役だ。幼馴染みだったMJが消え、新たに学校でのマドンナとしてグウェンが登場してきた。グウェンは前シリーズではブライス・ダラス・ハワードが演じており、どっちかっつうとMJとピーターの間に割り込んできたきゃぴきゃぴ娘みたいな印象があったが、今回はストーン演じるグウェンに、ピーターの方が懸想する。オタク系いじめられっ子でもちゃんともてているようで、超能力を持ちつつも最後までもてないアンチヒーローのままで終わった「クロニクル (Chronicle)」の主人公を思い出す。それに較べれば、同じように虐めを受けていても、「スパイダー-マン」と「クロニクル」はまったく別の世界を描いている。それにしても今回ピーター・パーカーを演じるのはアンドリュウ・ガーフィールド、「クロニクル」の主人公もアンドリュウという名前なのだった。いじめられ系の名前なのか。


ピーターの家はニューヨークのクイーンズにあり、私がクイーンズに住んでいた時に隣接する地域がその舞台だった。そのため前シリーズにはかなり親近感を持っていたが、私は今ではマンハッタンから見てクイーンズとは真逆の川向こうのニュージャージーに住んでおり、以前のような親近感は薄まってしまった。マンハッタンを舞台とする映画では、私が働くオフィスの近場とか見覚えのある場所がばんばん出てきても、ふーんで済んでしまうが、自宅のすぐそばの見覚えのある風景が映る「スパイダー-マン」だと、親近感が倍増する。


一方で、前回も今回もクイーンズが舞台になる時はともかく、マンハッタンのシーンになると、実は途端にニューヨークっぽくなくなる。セットとCGを多用しているせいだろう。これは「アベンジャーズ (The Avengers)」でもそうだったが、実際にマンハッタンのビルを破壊したりビルにロープや網を張って撮影するなんてのは不可能だから、しょうがあるまい。


それでも、クライマックスで目標のビルに到達しようとしている時、ビル工事のクレーン車がスパイディのために糸を絡めてビルからビルへと渡れるように道を用意してあげる、なんてのは、いくらニューヨークでも一軒置きに新築ビルの工事中なんてのがあるかという突っ込みどころはさておき、やはり劇場内の他の観客共々、喝采を挙げたくなるのだった。なんつーか、「スーパーマン・リターンズ (Superman Returns)」で、あんたしかできない墜落する飛行機を持ち上げたスーパーマン同様、あんたしかできない摩天楼の綱渡りならぬ糸渡りを見せるスパイダー-マン、なんやかやいってもあんたもやはりスーパーヒーローの一人なんだな。










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