放送局: サンダンス

プレミア放送日: 10/5/2004 (Tue) 21:00-21:30 (30 min x 4)

製作: サンドキャッスル5プロダクションズ

製作総指揮: ロバート・アルトマン、ギャリー・トルードー、アダム・ピンカス

製作: マシュウ・シーグ、レン・アーサー

監督: ロバート・アルトマン

脚本: ギャリー・トルードー

出演: マイケル・マーフィ (ジャック・タナー)、シンシア・ニクソン (アレックス・タナー)、パメラ・リード (T. J. カヴァナー)、マーティン・スコセッシ、スティーヴ・ブシェミ、ロバート・レッドフォード


物語: 第1話: ディナー・アット・ジ・エレインズ (Dinner at the Elaine's)

かつて大統領に立候補したこともあるジャックを父に持つアレックスは、今ではドキュメンタリー映画作家として、映画製作を教えることで生計を立てていた。そういう彼女の最新のプロジェクトは、ジャックに密着した政治ドキュメンタリーで、なんとかぎりぎりで映画祭の締め切りに間に合わせたものの、そのプレミア上映での質疑応答で痛いところを突かれ、思わず壇上で泣き出してしまう‥‥でなく、アーヴも、部下のエリースも各々がそれぞれの思惑を胸に秘めていた‥‥


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もう既にかなり過去の話になってしまったような気がするが、今年は米大統領選の年だった。元々大統領選は、アメリカにおいてはかなり盛り上がる一大イヴェントだったりする。4年に一度と時期が決まっており、オリンピックのような行事的色彩が元々濃い上に、二大政党がぶつかり合うという勝負事、ゲーム、あるいはスポーツとしての側面も併せ持ち、さらには乗りやすいアメリカ人気質というものもあるのだろう、大統領選は、見方によってはかなりのエンタテインメントであると言える。国民が国の将来を賭けて楽しむギャンブルであるとすら言えるかもしれない。


今回の選挙は、ブッシュの再選なるか、ケリーがそれを阻止するかで前回に引き続き接戦が予想され、さらにマイケル・ムーアの一連のドキュメンタリーが政治をエンタテインメント化したのを受け、例年にない盛り上がりを見せた。ほとんどノンポリで政治にまったくと言っていいほど興味を示さないうちの女房ですら、ケリー頑張れ、ブッシュ負けろと、かなり熱を入れて情勢を見守っていた。選挙権すら持っていないというのに。あるいは、だからこそよけい気になったのかもしれない。


その大統領選で盛り上がっている最中、選挙日まで目前というなか放送されたのが、この「タナー・オン・タナー」だ。この番組、実は88年放送のミニシリーズ「タナー '88 (Tanner '88)」の続編という体裁をとっている。「タナー '88」は、ハリウッドで誰にも与せず一匹狼的な姿勢を貫いていたロバート・アルトマンが、その時の大統領選を背景に、大統領に立候補する男をドキュメンタリー・タッチで描いた政治風刺ドラマで、当時としてはかなり話題になったらしい。放送したのが、当時はまだお茶の間に完全に浸透していたとは言えないペイTVのHBOで、その「タナー '88」に出ていた当時はまだ新人のシンシア・ニクソンが、その後「Sex and the City」でHBO大躍進の功労者の一人になるわけだ。


16年後に製作された続編「タナー・オン・タナー」は、その時大統領に立候補したジャック・タナーことマイケル・マーフィと、娘のアレックスに扮するシンシア・ニクソンを再起用し、今は大学教授に収まっているジャックと、ドキュメンタリー映画作家として生計を立てているアレックスを中心に話が展開する。今回はジャックは再度大統領に立候補するわけではなく、専ら話はジャックとアレックスの日常生活を描写を中心に、実在の政治家やセレブリティを交え、嘘かまことかわからぬ虚々実々のエピソードで視聴者を煙に巻く。


番組は擬似ドキュメンタリーの体裁をとっており、つまり、すべて現実に起こっていることをそのまま撮影しているという建て前になっている。さらに、父を題材にドキュメンタリーを撮っているアレックスを彼女の教え子が撮っているという入れ子構造になっており、そのため、アレックスをとらえるカメラが、番組のカメラとアレックスの教え子が撮っているカメラの2台あり、基本的に両カメラからの映像が交互に画面を支配する。さらに、アレックスが自分で撮ったドキュメンタリーに自分自身で出演するシーンもあり、それだけでなく、他のメディアからインタヴュウを受けるアレックスなど、いったいどれが中心の物語としてのアレックスか、見ているうちに段々よくわからなくなる。


こういう虚々実々、虚構と現実を綯い交ぜにする手法は、いわゆるセレブリティが自分自身として画面に登場することでさらに強化される。マンハッタンの、かつてセレブリティがよく集う場所であるとして有名だったレストラン、エレインズでジャックと政治論議に花を咲かせているのは、現実に元ニューヨーク州知事のマリオ・クオモだし、アレックスたちのすぐそばのテーブルで談笑しているのは、なんとマーティン・スコセッシとスティーヴ・ブシェミだ。スコセッシとアルトマン、共にハリウッドの本流からは一歩引いた硬派の映画作家たちが交流があったんだなと思うと、なんとなく嬉しくなる。そのスコセッシとブシェミがクオモとジャックのテーブルに呼ばれ、ワインのボトルをひっくり返すなんてシチュエイションは、文句なしに楽しい。


さらに第1話の最後で、自作の上映後の質疑応答できつい意見を述べられ、引き攣ったように泣き出してしまうアレックスに追い打ちをかけるのは、なんとロバート・レッドフォードで、真面目な顔してどうしてアレックスの作品がダメなのかをとうとうと論じる。もちろん「タナー・オン・タナー」を放送したサンダンス・チャンネルの主宰がレッドフォードであり、当然その関係で番組に出ているのだろうが、しかし、本当の本当にレッドフォードにそういう意見を述べられたら、その映画作家は二度と立ち直れないに違いない。


88年に「タナー '88」がHBOで放送された時は、30分 x 11回という変則型ミニシリーズとして編成されているが、今回の「タナー・オン・タナー」は、30分 x 4回の、ミニシリーズとも言い難いこれまた変則のシリーズとして放送された。最近このような、従来のカテゴリー分けにこだわらない短期集中型の変則的ミニシリーズが増えており、これらは総じてリミテッド・シリーズなんて呼ばれている。


「タナー・オン・タナー」は、アメリカでは4週にわたって放送されたが、英国で放送された時は2時間のTV映画として放送されたそうで、要するにこういう形態にすると、お国柄や放送局の事情に合わせて編成の無理や自由を効かせやすいという利点がある。実際にアメリカでも再放送された時は、4話まとめて放送されてたりしている。いずれにしても、続編が製作されたとはいえ、また全部で5時間強の番組を製作できるほど周囲の期待や関係者の意気込みがあったわけではないということか。つまるところ、結局はそこまで金をかけられなかったんだろう。


この番組、いかにも時代や周囲に迎合しないアルトマンという感じでなかなか面白いのだが、今回、あまり盛り上がったような感じがしないのは、金を出さないと見れないサンダンス・チャンネルで放送されたということ、そのサンダンス自体、インディ映画専門なだけあって知名度は映画ファン以外にはそれほどない上に、姉妹チャンネルの間柄にあるショウタイムにHBOのような経済力がなく、宣伝が行き届かなかったこと、さらに、たとえ大物セレブがカメオ出演していようとも、本当の番組レギュラーとしては知られている俳優がニクソンしか出ていないこと等が、それほど盛り上がらなかった理由として考えられる。


しかし、そういう枝葉末節的な理由の他に、人々が今回「タナー・オン・タナー」にほとんど興味を示さなかった本当の理由は、政治ドキュメンタリーとして、人々がマイケル・ムーアの「華氏911」を既に見ていたことにあるような気がする。もう既に政治はエンタテインメントの一つとして人々に提出されていたのであり、それを見た視聴者は、他にまた同様の素材を見ようとは考えなかった。その不運が、「タナー・オン・タナー」がほとんど誰からも騒がれないまま終わってしまった最大の理由のような気がする。


実際にはあちらはドキュメンタリー、こちらは擬似ドキュメンタリー (はっきり言ってコメディだ) という違いはあるのだが、こちらも「華氏911」(私は見ていない) に負けず劣らず面白いのは間違いないと思う。さらに、ムーアのドキュメンタリーに較べたら、アルトマン作品は毒が強すぎるというのもあるかもしれない。皮肉が利きすぎて、ある種の人々にとってはまったく面白く感じないというのは、大いに考えられる。だからこそアルトマンはメイジャーな映画作家として名を成すことができなかったのだ。そして何よりも、ジョージ・W・ブッシュという、ある特定の人々からは蛇蠍の如く嫌われている興味の焦点となる特定の対象がいなかったことが、番組が視聴者から顧みられなかった理由としては一番大きかったかもしれない。というわけで、ここで私も言わせてもらう。政治を題材にした作品はムーア作品ばかりではないぞ。





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Tanner on Tanner

タナー・オン・タナー   ★★★

 
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