放送局: CBS

プレミア放送日: 6/7/2008 (Sat) 20:00-22:00

製作: ノーマン・スティーヴンス・プロダクション、ザ・ウォルパー・オーガニゼーション、ワーナー・ブラザースTV

製作総指揮: マーク・ウォルパー、ノーマン・スティーヴンス

製作: マイケル・マホニー

監督: ジョゼフ・サージェント

脚本: ジョン・ピールマイヤー

原作: フローラ・シュライバー (「Sybil」)

撮影: ドナルド・モーガン

音楽: チャールズ・バーンスタイン

美術: ダグ・マッカラー

編集: マイケル・ブラウン

出演: タミー・ブランチャード (シビル・ドーセット)、ジェシカ・ラング (コーネリア・ウィルバー)、ジョベス・ウィリアムス (ハティ・ドーセット)


物語: 1950年代ニューヨーク。コロンビア大学で美術を学ぶ画学生シビルは、時折奇矯な振る舞いをすることがあった。記憶をなくして自分がどこで何をしていたかがまったく思い出せないのだ。学校の教授の紹介により、シビルは精神医学専門のコーネリアと会う。コーネリアは何度かシビルの話を聞くうちに、シビルはとある瞬間にまったく人格が変わってしまうことに気づく。しかも新しく表面に浮上した人格はシビルのことを知っているが、素面に返ったシビルは別の人格のことを知らず、その人格に支配されている時の記憶がないのだった。さらにシビル以外の人格は、全部で16人もいることが別人格のシビルの口から明らかにされる‥‥


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私は好きな俳優は山のようにいるけれど、だからといって彼らが出ている作品や番組だから必ず見るというほど惚れ込んでいる特定の俳優がいるわけではない。これが演出家なら、誰それが演出しているから内容はまったく知らないけどとにかく見るという監督もいないこともないが、俳優の場合、気にはなってもまずどんな作品に出ているのかが先に来て、それで面白そうなら見る。俳優だけでは通常見る見ないの基準にはならない。


そういう私の規範というか嗜好に、ほぼ唯一とも言える例外がいる。それが「シビル」に出ているタミー・ブランチャードだ。かつて「ジュディ・ガーランド物語 (Life with Judy Garland: Me and My Shadows)」で若かりし頃のジュディ・ガーランドに扮して印象を残し、さらに「ウイ・ワー・ザ・マルヴェイニース (We Were the Mulvaneys)」でも感銘を受け、昨年の「ザ・グッド・シェパード (The Good Shepherd)」でも私の目に狂いはなかったと思わせたブランチャードであるが、しかしだからといって特に作品に恵まれているかというと、そうとも言えないところがちと惜しい。


そのブランチャードが、16の人格を持つ分裂症 (今はそういわないんだっけ?) の女性シビルに扮し、16の人格を演じ分けるというドラマが、「シビル」だ。これはもう見るっきゃないだろう。半端な演技しかできない女優なら、聞いただけでしり込みするしかない演技力を要求する役だ。実力のある者ならやりがいがあるだろうが、下手な役者がやっちゃうと笑い話にしかなるまい。


因みにこの番組、実話が基で、この話を記したノン・フィクションの同名原作がある。日本でも早川書房から「失われた私」として出版されているが、現在はどうやら絶版みたいだ。1976年に一度、4時間のTVミニシリーズとして映像化されてもおり、その時にシビルを演じたのがサリー・フィールドだ。フィールドはこの時の鬼気迫る渾身の演技 (だったらしい) でエミー賞を受賞、これで認められて「ノーマ・レイ」に出演、アカデミー賞の主演女優賞も手にすることになる。


この話の舞台である1950年代は、たとえニューヨークといえども多重人格なんて話はまだ一般的なものではなかった。大学の専門の教授たちですらそういうものを信じてなく、シビルの相談相手として選ばれた心理学のコーネリア・ウィルバー教授は、彼女が女性ということで指名されただけに過ぎない。シビルの奇矯な振る舞いは単に女性特有のものだろうから、同性の方が話をしやすいだろうという判断によって選ばれたのがコーネリアなのだ。


コーネリアはしかし、何度もシビルと面談しているうちに彼女の症状が単にヒステリー的なものではなく、本当に人格が代わることを知る。もしこれが演技なら大したものだが、シビルがコーネリアを騙しても何の意味もない。コーネリアはシビルの多重人格を信じるが、しかし同僚の教授たちを説得することはできなかった。


今でこそ多重人格は一般的に認知されているが、1950年代にいきなりそういう概念を持ち出されても、多くの者は面食らっただけだろう。たとえそれが大学教授であっても。むしろ専門家の方がよほど説得しづらかろうと思う。実際の話、もし私がその当時にコーネリアの同僚であったとしたら、多重人格なんて噴飯ものと一笑に付したと思う。シビルという存在と、コーネリアという頭の柔らかい教授という二人が揃って初めて、多重人格という概念を学会、並びに人々に知らしめることができたのだ。今回コーネリアを演じているのはジェシカ・ラングで、前回はジョアン・ウッドワードがこの役を演じている。


コーネリアは辛抱強くシビルと接しているうちに、彼女の中に何人もの人格がいることに気づく。しかも歳や性別だけでなく、人種すら様々で、ある者は口と態度の悪いおてんば娘だったり、ある者はティーンエイジャーの男の子だったり、ある者は敬虔なクリスチャンだったり、ある者はフランス人の女の子だったりする。ある子はピアノが非常にうまいのに、シビルはピアノを弾けないのだ。そのそれぞれの人格が表面に現れた時を演じ分けるブランチャードに、この番組の意義があることは言うまでもない。


とはいっても、むろんこれは言うはやすく行なうは難い作業だ。正直言ってその演じ分けが完全に成功しているとは、ブランチャード・ファンの私から見てもにわかには断言しづらい。一人一人の人格で顔の表情、お国訛り、挙措動作を使い分けしないといけないのだ。はっきり言ってこれを完全にこなせる俳優なぞこの世に存在しないだろう。果たしてフィールドはどういう風に演じていたのか。


一方、これらの人格はあくまでもシビルの中に存在しており、畢竟シビルの身体を通して出てくるものだから、完全に演じ分けることに意味があるのではなく、多少のシビルらしさを残してこそ本物という見方もできる。いずれにしても間違いなく言えるのは、とてもとても演じるのが難しい役だろうということだ。


あるシーンでは、フランス人の人格ヴィッキーがフランス語訛りの英語でコーネリアと話している録音テープを、素面のシビルに聞かせるというシチュエイションがある。それを聞いたシビルは、下手くそなフランス語と評価するのだが、お前がそれをしゃべっているんだろうが、と茶々を入れたくなったのは、私だけではあるまい。


話が進んでくると、シビルの多重人格は、どうも抑圧された過去の記憶と関係があるらしいということがわかってくる。素面のシビルは素晴らしい父と母、祖母に囲まれて仕合わせな子供時代だったことを強調するのだが、他の人格はそうではないことを知っている。だんだんコーネリアに対して心を開いてきたシビルは、実は仕合わせな過去は糊塗されたものであったことを徐々に認め、それまでは心の奥底深くに閉じ込めていた本当の記憶を掬い上げて思い出せるようになる。それは、実はまるで優しくなんかない母から受けた体罰と心の傷だった。


番組では、そういう体罰を受けた幼い時のシビルも描かれるのだが、それを見て思い出すのは、アメリカ史上最も有名な凶悪犯罪の一つに数えられる、1960年代の虐待殺人事件を描いた「アン・アメリカン・クライム (An American Crime)」だ。「アメリカン・クライム」でも「シビル」でも、母親の立場にいる女性が、娘の立場の者を虐待する。前者では実際にその娘は死んでしまうし、シビルも癒えにくい心の傷を負う。シビルは別の人格を自分の心の中に構築することで、心と身体の傷から逃れようとしたのだ。


それにしても、母親の立場にいる者のこの残忍さはどうだ。「アメリカン・クライム」も「シビル」も、実際にあったことを映像化したドキュドラマなのだが、同性ならではの残忍さとでもいうか、非情である。「アメリカン・クライム」では虐待される側の子を演じたエレン・ペイジはコカ・コーラの瓶をおまんこの中に突っ込めと命令されるし、「シビル」ではまだ幼いシビルは氷浣腸を強制させられる。ある時はピアノを弾いている自分の横でシビルをピアノの足に縛りつけ、トイレをゆるさずお漏らしさせる。なんで自分の娘にそんなことができるのか。


一方で、だからこそいくつもの人格の中に逃げ込むしかなかったシビルの境遇を理解し、説得力を持たせることに成功しているとも言える。その鬼の母を演じているのは、現実には人のよさそうな印象の方が強いジョベス・ウィリアムス。演出を担当しているのは斯界では大ヴェテランのジョゼフ・サージェントで、IMDBで調べてみたら、これまでに演出作が85本もあった。


実はブランチャードで最も印象的な表情というのは、その泣き顔にある。現在、彼女ほど泣き顔で人の心を揺さぶれる女優というのは他にまず思いつかないが、それはここでも同じだ。むろん製作者もそのことは充分承知しているから、その手の役にブランチャードをキャスティングしやすい。しかしそのため、そういう役ばかり回ってくるという弊害も起こりやすい。「マルヴェイニース」ではレイプされて泣き寝入り、「グッド・シェパード」では耳に障害を持つ子で、やはりマット・デイモン演じる主人公から捨てられる運命にある。ジミー・キメルではないが、デイモンのクソッタレと言いたくもなる。そして「シビル」でも幼い時に虐待された女性だ。


むろんブランチャードの泣き顔を見ることに対しては異議はないが、しかしそういういじめられっ子や不幸になる役ばかり見るのも癪だ。ハッピー・エンドだったらしい、ピーター・フォークが (また) 天使に扮したCBSのTV映画「天使が街にやって来た (When Angels Come to Town)」を見逃していることが悔やまれる。







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Sybil


シビル   ★★1/2

 
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