Suicide Squad


スーサイド・スクワッド  (2016年8月)

私見ではスーパーヒーローは飽和状態になりつつある。右を向いても左を向いてもスーパーヒーローという状態が常態になりつつあり、印象としては悪を倒すためにスーパーヒーローが必要なのではなく、数多いるスーパーヒーローに仕事を与えるためにヴィランを捏造しているという感触が強い。


手持ち無沙汰になったりエゴだけが肥大化したスーパーヒーローは仲間割れを起こすようになり、あるいはアンチヒーローとして自分の欲求を満たすためだけにのみ行動するようになった。スーパーマンとバットマンは仲違いし、マグニトとゼイヴィアは袂を分かち、アベンジャーズは瓦解する。デッドプールは世間のことなどちゃんちゃら気にしない。


しかしよくできたもので、というかそのために今度は悪が活躍する場がまた出てきた。結局この世は正義も悪も交えて回っているのだった。


とはいうものの、従来のスーパーヒーローがこれまで通りに動けるかというとやはり窮屈で、ちょっと羽目を外すと叩かれたり邪険にされたりする。致命的だったのはスーパーマンがバットマンと仲違いした挙げ句にやられてしまったことで、これではこれまでのように、敵が襲ってきたといって安易にスーパーヒーローに頼ってばかりではいられないということに、遅まきながら人々も気がついた。


そこで生まれたのが、悪には悪を、毒には毒をもって制すというアイディアの、スーサイド・スクワッドだ。マーヴェルの「デッドプール (Deadpool)」は、この考えに近い。「スーサイド・スクワッド」は「デッドプール」ほどギャグをかますわけではないが、ちゃんとギャグの要素も入っている。


一方その「スクワッド」、マーヴェルの「デッドプール」に対して、これではいかんとDCコミックスが対抗して製作したものだとばかり思っていたが、そもそもの発端となるコミックは既に1959年に現れているそうだ。今あるように体裁が整ったのは1987年で、現在ヴァージョンは2011年から発売されているそうだから、特に「デッドプール」に影響されたわけでもないらしい。わりと昔から、スーパーヒーローが現れたらそれに対するアンチヒーローも結構すぐに生まれたようだ。結局、悪があるところには正義が現れ、正義があるところには必然的に悪も生まれるようで、どちらか一方だけが繁栄するという風には世の中はなってないらしい。喜ぶべきことか悲しむべきことか、よくわからない。


スーサイド・スクワッドの発案者アマンダ・ウォーラーに扮するのがヴィオラ・デイヴィスで、現在ABCのションダ・ライムス・ドラマ「殺人を無罪にする方法 (How to Get away with Murder)」に主演して見事エミー賞を受賞。脂の乗っている時期だ。彼女の指揮下でスクワッドを束ねるリック・フラッグに扮するのがジョエル・キナマン。前回見た時はロボコップで、今回は悪党どもの束ね役と、なかなかストレスの高そうな役ばかり。


その悪党どもから成るスクワッドのリーダー格に抜擢された、デッドショット−フロイド・ロートンを演じるのがウィル・スミス。どうやらスミスが先頃公開された「インディペンデンス・デイ: リサージェンス Independence Day: Resurgence」」に出てなかったのは、先にこれに出ることが決まっていたからか。「インディペンデンス・デイ」では事故で死んだことになって英雄視されてポスターになっていたのに、その実は裏で超絶の腕を持つスナイパーとなって、どんなに汚い仕事でも金さえもらえれば請け負っていた。しかし最後はどちらも人類じゃないもの相手に命掛けて戦っているわけだから、これは単に同じ人物のコインの裏表というだけかもしれない。


ジョーカー役はジャレッド・レトだが、彼がスクワッドの一員というわけではなく、メンバーなのはジョーカーに首ったけのハーレイ・クインだ。演じているのはマーゴット・ロビーで、彼女が紅一点というわけでもないのに最も印象に残るのは、元々まともな女医だったのが、ジョーカーに惚れてしまったために切れて向こうの方に行ってしまった一途な悪女というキャラクターと、その切れ具合いのせいだろう。


福原かれんのカタナは、マーヴェルの「ウルヴァリン (The Wolverine)」の福島リラ/ユキオに対するDCコミックスの返歌と言えるか。日本を舞台にした「ウルヴァリン」で日本人の女性刺客が登場するのはわかるが、「スーサイド・スクワッド」のゴッサム・シティ的な場所で、政府要人のガードに銃ではなく刀を持った女性が登場する。AMCの「ザ・ウォーキング・デッド (The Walking Dead)」には、カムイみたいな二刀流のキャラがいるし、「カタナ」とか「ニンジャ」とかは既に世界共通語だ。それにしても外国で刀を持つのは女性ばかりになるのはなぜだ。銃ばかり発砲する男に対するステイトメントの一つという気もする。


他にも様々なキャラクターや背景を持ち込み、ややもすれば消化不良になりそうなところを、話としてはちゃんとまとめているところには感心する。こういう複数ヒーローものは、これまではどちらかというとアベンジャーズやX-メンを持っているマーヴェルの専売とばかり思っていたが、どうしてどうしてDCコミックスも結構やる。


これでスーパーヒーローだけでなく、アンチヒーローも複数キャラクターによる分業が確定した。公開して数週間になるのに、いまだに客足が落ちず、ずっと興行成績の上位をキープしているところからも、人気のほどが窺える。これでシリーズ化は確定だし、複数ヒーローものはオレたちの方が得意と絶対思っているに違いないマーヴェルが、これでデッドプールに新キャラを増やすか、あるいは新しい複数キャラクターのアンチスーパーヒーローものを立ち上げてくるのもほぼ間違いあるまい。


あるいは、もしかしたら既にそういうコミックスはもう世に現れているかもしれない。近年、私がマーヴェルやDCコミックスの映像化を見た後で次を予想すると、その展開はずっと前に織り込み済みだったというのばかりだ。考えると、スーパーヒーローのいがみ合いや対立、アンチスーパーヒーローの出現が、既に何年も前から世に出ていたというのも、なかなかすごい話ではある。


「スクワッド」には、ちゃんとバットマンもカメオ出演していた。ということは、この分だとバットマンが本格的に話に関わってくるのも時間の問題だ。元々バットマンはスーパーヒーローに中でも最もいちびりですねやすく、扱いにくい存在だった。スーパーヒーローの中では最もアンチヒーローに立ち位置が近い。それとも既にこれも織り込み済みか。










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スーパーマンとバットマンが仲違いしたために世界の平和と安寧が脅かされていると感じた政府高官のアマンダ・ウォーラー (ヴィオラ・デイヴィス) は、悪には悪をもって制すしかないと、刑務所にいる極悪人をスカウトして逆に悪に対峙するしかないと考える。ウォーラーは渋る政府要人を説き伏せ、名だたる悪人たちを寄せ集め、スーサイド・スクワッドを誕生させる。彼らの首に自爆装置を埋め込み、もし命令に背いた時はそれを爆発させると脅したりすかしたり宥めたりしながらスクワッドを統制しようとするが、もちろん一筋縄でいく奴らではなかった‥‥


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