State of Play


消されたヘッドライン  (2009年4月)

ワシントンD.C.で若く精力的な政治家コリンズ (ベン・アフレック) の女性アシスタントがサブウェイのホームに飛び込んで死亡する。ほとんど時を同じくしてホームレスの男が撃たれて殺され、偶然そばを通りかかった男も撃たれる。ワシントン・グローブ紙の記者キャル (ラッセル・クロウ) は大学でコリンズと一緒に学んだ学友であり、事件を担当する。一見なんの関係もない二つの事件のように見えたものが、コリンズがアシスタントと浮気しており、自殺ではなく殺された可能性が出てきたこと、そして殺されたホームレスのガール・フレンドがキャルに接近してきたことで俄かに接点を持つ。キャルは新米記者のデラ (レイチェル・マクアダムス) と共に調査を開始する‥‥


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最初「State of Play (ステイト・オブ・プレイ)」のタイトルを聞いた時は、なんでまた、と思った。この作品、オリジナルがあり、しかもつい数年前にTV放送されたばかりの英国製のミニシリーズなのだ。当然アメリカでもBBCアメリカが放送しており、結構話題になった。ロンドンとワシントンD.C.という違いはあるとはいえ、同じ英語を話し、それなりの数のアメリカ人も既に見ている話を、わざわざまたアメリカでリメイクする意味はあるのか。


とはいってもそのミニシリーズ、私は見ているわけではない。職業柄アメリカで放送される話題になった番組は少なくともざっとは目を通すため、お、ビル・ナイってやはりうさん臭さが似合うなあとか、ケリー・マクドナルドってわりといいな、くらいの印象は持ったわけだが、かといって早送りなしでリアルタイムに見ていたら、プライムタイムの6時間を消費してしまう。地元のアメリカ製で是非とも目を通しておきたい番組は他にも山ほどあるのだ。同じ英語圏でも、他国で作られた番組まで真面目に見ているだけの時間の余裕はなかった。


そういうわけで話は聞いていても見ていない人間もそれなりにいるのは確かであり、そういう層を頭に入れて製作したのだろうとは思うが、しかし、それでもやはりその製作意図には疑義を挟まずにはいられない。外国語映画の「Shall We ダンス?」や「マーサの幸せレシピ (Mostly Martha)」をアメリカ人向けにリメイクするのとはわけが違うのだ。本当に、なんでまたわざわざ今頃リメイクなんだ? なんて思いながらも結局見に行っちまったわけだからまんまと敵の術中に陥ってしまったわけだが、それでも釈然としない思いは残る。


映画は冒頭、D.C.の人気のない場所でホームレスと思える男が撃たれて殺され、一方、議員のコリンズのリサーチャーをしていた若い女性がサブウェイのプラットフォームに転落して死亡する。一見何の脈絡もないように見えた事件だったが、事件を担当したワシントン・グローブ紙の記者キャルは二つの事件の間に繋がりがあることを突き止め、新米記者デラと一緒に (こき使って) だんだんと事件の本質に近づいていく。キャルはコリンズと同窓で、ルームメイトの仲だった。


主人公キャルを演じるのがラッセル・クロウ、コリンズをベン・アフレック、デラをレイチェル・マクアダムス、クロウの上司キャメロンにヘレン・ミレン、コリンズの妻アンにロビン・ライト・ペン、事件の鍵を握るPRマンのドミニクにジェイソン・ベイトマンという布陣で、オリジナルがあることを知らなければ、単純にうまいキャスティングだと感心できる。


因みにオリジナルでキャルを演じているのはジョン・シム、コリンズがデイヴィッド・モリッシー、デラがケリー・マクドナルド、キャメロンがこちらは男性でビル・ナイが演じている。さらにオリジナルのキャストをチェックしていたら、今、若手では最有望株の一人ジェイムズ・マカヴォイまで出ているのを知って驚いた。ただしマカヴォイの役名ダン・フォスターというのは映画にはなく、どうやらナイが演じているキャメロン・フォスターの息子かなんかだと思われる。


いずれにしてもオリジナル・キャストに唸らされるのは、その時は確かにナイを除けばまだそれほど知名度があったとは思われない面々の、その後の活躍だ。シムはその後「時空刑事1973 (Life on Mars)」で過去に遡る刑事という一風変わったSF刑事ドラマに主演、これもアメリカでもたいそう話題になり、ABCが同名タイトルのリメイクを製作した (またかよ)。モリッシーはこちらも話題となった「ヴィヴァ・ブラックプール (Viva Blackpool)」に主演、こちらもなんと、ヒュー・ジャックマン製作出演でアメリカではCBSがリメイクの「ヴィヴァ・ラフリン (Viva Laghlin)」を製作している (本気か)。マクドナルドだってコーエン兄弟の「ノー・カントリー (No Country for Old Men)」やエミー賞を受賞した「ある日、ダウニング街で (The Girl in the Cafe)」等でアメリカでも知られるようになった。


ただし、アメリカ版「ライフ・オン・マーズ」は結局1シーズン限りでキャンセルされ、「ヴィヴァ・ラフリン」に至っては3話放送されただけでキャンセルされている。つまり、TVにおいてすら英国版オリジナルをアメリカでリメイクする意味はない。ほとんど間髪を入れずに英国版オリジナルがアメリカでも見られる現在、リメイクを製作する意味はないことになんで気づかない。ここ数年で、英国製TV番組をアメリカでリメイクして曲がりなりにも成功しているのは、NBCの「ジ・オフィス (The Office)」ただ1本だけで、残りはすべて失敗している。「オフィス」だって、視聴率的には大した成績ではないものの、批評家受けがいいためになんとか持っているという印象の方が濃厚だ。要するに、リメイクを製作する意味はほとんどない。うまみがあるとすれば、オリジナルの知名度があるという点のみだろうが、それが特に大きなメリットになるとも思えない。


そしてそのことは当然「消されたヘッドライン」にも言える。ほとんどすべての前例がリメイク製作に意味はないことを証明している時、リメイク製作はほとんど自殺行為にしか見えない。もしかしてハリウッドの威信をかけてD.C.を舞台にしてもっと面白くできたという自負があったとか。しかし、そうすると今度はオーストラリアンのクロウと英国人のミレンとカナディアンのマクアダムスという、アメリカ人以外が主要メンツというのが納得し難い。さらに演出は英国人のケヴィン・マクドナルドだ。要するに、やはりなぜリメイクを作らなければならなかったのかというのがまったくわからない。


たとえばトニー・ギルロイとかピーター・モーガンあたりにオリジナルでD.C.を舞台にするポリティカル・スリラーを書いてくれと頼めば、それだけで充分水準以上の作品を仕上げてくるだろう (因みにギルロイは今回再脚本化に手を貸している。) あるいはオリジナル脚本のポール・アボットに新しい作品を書かせてもよい。そういう作品を見れることの楽しさに較べれば、つい最近の作品のリメイクを見る楽しさはどう考えても半減する。少なくとも大人の映画ファンは私と同じ考え方をすると思うし、その方が興行収入にも繋がりやすいんじゃないのか。たとえハリウッド・スターを起用してリメイクを製作しようとも、オリジナルを見た人間がこの作品をパスする可能性は高いだろう。これだけのメンツを揃えても興行成績はほとんど大したことなかったという事実が、私の意見を裏付けていると思う。


さらに邦題の「消されたヘッドライン」というのもかなり頭をひねる。特に内容とかけ離れているわけではないのだが、それでも、キャルが書いた記事が握り潰されたということはなかった (と思う)。ヘッドラインというのが日本語として通りがいいかということも怪しい。たいていの人は一見してクルマの消されたヘッドライトとカン違いする確率の方が高いと思う。オリジナルの邦題がもしかしてそうなのかと思って調べたら、「ステート・オブ・プレイ〜陰謀の構図〜」となっていたので、ノヴェライズとかが「消されたヘッドライン」になっているということでもなさそうだ。


それにしても結構面白くて楽しんだ作品に、なんでこんなに文句言わないといけないんだ。演出も演技もきびきびとめりはりが利いて水準以上なのに、口を開くと真っ先に愚痴が出る。面白いは面白いが、しかしやはり最終的な印象は、壮大な金と時間と人材の無駄遣いというものだ。これだけの金と人材を投入できるのなら、なんでそれでオリジナルの話を作らないのか、本当に理解に苦しむ。ある意味、それこそがハリウッドの存在理由かと思わないこともないが。たぶんこの作品、最終的に皆から文句ばっかり言われるのに、結構色んな人が見ていて面白かったという類いの隠れたヒット作になるんだろうという気がする。


現時点の唯一の不安は、一昨年、やはりBBCアメリカでアメリカでも放送され、話題になったまた別のポリティカル・スリラー「ザ・ステイト・ウィズイン (The State Within)」が、またリメイクされないかということだ。タイトルも似ているし。ハリウッドが学習してくれてますように。








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