Spotlight


スポットライト 世紀のスクープ  (2015年11月)

特にカソリック教会の神父による子供の虐待というテーマに食指が動いたわけではないが、とにかくこの映画、評がいい。来年のオスカーに引っかかってくる最初の本格的候補作との下馬評も高いので、では、と足を運ぶ。


小児虐待、幼児愛好等は、性的にはたぶんごく普通の私から見ると、本当にまったくわからない分野だ。特に中年になって、この子たちは、もしいれば私の子供とたぶん同じくらいの年齢と考えると、クソガキどもとは思っても、男の子だろうが女の子だろうが性的な興味なぞまったく発生しない。


ところが世の中には、そういう趣味を持っている者が結構いる。そしてそれが人を教え導く聖職者にもわりといる。というのは、まったく不愉快な事実なのだが、2000年代、ボストンでそれが公けになり、さらには全米、引いては全世界規模にまで連なる大きなスキャンダルになった。


カソリックには懺悔、告解というシステムがある。罪を告白して赦しを得るわけだが、その懺悔する相手から虐待されるというのがどツボに入るというのは、理解できる。誰にも言えない罪だからわざわざ教会に来て懺悔しているのだ。それなのにその罪を告白した相手からいたずらされたりしたら、逃げ道がない。こういう、聖職者や教師という人を教え導く立場の者が、地位を悪用して自分の誉められない私欲を満たそうとするのは、本気で腹が立つ。


自分が住んでいるのが手抜き工事の欠陥マンションだったり、病気予防のために接種したワクチンが粗悪品だったりするのも当然腹が立つが、しかし、これらは最終的にはおそらく金と時間で問題は解決できる。しかし聖職者によっていたずらされたりレイプされたりした子供が、たぶん賠償や謝罪によっても消えない一生残る心の傷を負っただろうというのは、想像に難くない。


あまりにも言語道断で、理不尽で醜悪で本気で不愉快なので、できればこういう題材の作品は本当は見たくない。これが「ダウト (Doubt)」なら、別に気にせず見れる。事実を元にしているとしても、「ダウト」はあくまでもフィクションだ。しかしこれが事実を映像化した「スポットライト」だと、そうはうまく割り切れない。そこには現実に被害を被った人物が存在している。それでエンタテインメントとして映画を見に行って不愉快な気分になるのは嫌なので、「スポットライト」は、題材を聞いた時は見る予定リストの上位には入れてなかった。見ると決めてもわりと重い腰を上げてという感じで映画館に足を運ぶ。


するといきなり、チケット売り切れというアナウンスをしている。とにかく評判がいいことだけは確かなようだ。どちらかというとアート系小品っぽいのは確かなので、チケットが売り切れるほどだとは思わなかった。しかしチケット売り切れって、近年ではほとんど「X-メン (X-Men)」以外じゃ聞いたことがない。


そこで慌ててその場で次の劇場を探す。こういうことができるのも、インターネットとスマートフォン、それに道を知らなくても目的地まで連れてってくれるGPSの普及のおかげだ。昔はいざ見る作品を決めて家を出たが最後、もしチケットが売り切れならその場で諦めて帰るか、その辺で2時間時間を潰して次の回の上映まで待つしかなかった。便利な時代になった。


いずれにしても、パラムスのマルチプレックスでも上映しているのを発見する。クルマで20分ほどかかるが、今すぐ出れば時間的にはいい感じで着くはずだ。ここはでかいし、まさか売り切れってことはないだろう。とはいえなんせ大型モールの中に入っており、だいたいここのモールに来る時はホリデイ・シーズンで人がごった返している。


その上最近のテロ関係で人が過敏になっており、先週もエッジウォーターの、日系スーパーのミツワのすぐ近くにあるマルチプレックスでテロ騒ぎになって、人々がパニックになって場外に逃げ出したというのがニューズになっていた。なんでもなかったようなのはよかったが、しかしそういうのもあるので、実は最近はあまり大型のマルチプレックス、特に人が多く集まるモールの中にあったり隣接しているマルチプレックスは、なんとなく気が進まない。ここまでして見に行って、面白くなかったり、不愉快な気分にさせたら怒るぜと思いながらクルマを走らせる。


そして無事予定通り現地に着いてチケットを買い、上映が始まると、それまでの懸念などまるでなかったかのように、俄然話に引き込まれる。確かに重い話ではあるのだが、事実を掘り起こしていく過程がスリリングでエンタテイニングなのだ。被害者は語りたがらない、加害者も口を閉ざしている。かつて事件に携わった検察も弁護側も共に非協力的で、何をいまさら的な嫌悪感を隠そうともしない。それでも小さなアリの穴から堤防を崩すように、一つ一つ小さな事実を掘り起こし、積み重ね、実際に何が起こったかをたゆまぬ調査と取材で再検証する。その中には自分たち自身が犯したミスもあった。


何人もの役者が登場するが、主人公と言えるのは、編集部のチーフのロビーを演じているマイケル・キートンと、その部下のマイクに扮するマーク・ラファロだろう。ラファロは多少時代は異なるが、やはりボストンを舞台にした「インフィニットリー・ポーラー・ベア (Infinitely Polar Bear)」にも最近出ていた。今が事実を民衆に問う時と記事にしようとするマイクが、渋るロビーを叫ぶように説得しようとするシーンは、この映画の白眉の一つ。


新編集長のマーティに扮するリーヴ・シュレイバーは、ショウタイムの「レイ・ドノヴァン (Ray Donovan)」の武闘派とはがらりと印象の異なるインテリを演じ、意外にいい。ひねくれた弁護士役のスタンリー・トゥッチも印象を残す。記者のレイチェル・マクアダムス、ブライアン・ダーシー・ジェイムズも適材適所という感じで、こういう風に出てくる役者が皆悪くないと感じさせる映画のできがよくないわけがない。マクアダムスは「消されたヘッドライン (State of Play)」では新米記者だったのにここでは中堅どころで、順調に成長している。


演出はアメリカ映画界最後の良心と私が勝手に命名しているトム・マッカーシーで、今回もその名に恥じないでき。本当にいい人なんだろう。役者上がりながら近年は出演作はほとんどなく、俳優業から演出へとほぼ完全に切り替わったようだ。これで「扉をたたく人 (The Visitor)」「ウィン・ウィン (Win Win)」と来て「スポットライト」か、順調にキャリアを築いているなと思ってフィルモグラフィをチェックしたら、なんと今年3月にアダム・サンドラー主演で「靴職人と魔法のミシン(The Cobbler)」というコメディを撮っていた。アダム・サンドラーという名前とファンタジック・コメディというコピーのために、私の目の前を素通りして行ったと思われる。まったく気づかなかった。










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2001年、ボストン・グローブ紙は新編集長のマーティ・バロン (リーヴ・シュレイバー) を迎え、インターネットに押され、先行きの明るくない経営をなんとかしようと策を練る。バロンは、本来なら大スキャンダルになって然るべきのカソリック教会の神父による性的な虐待事件が小さな三面記事のまま終わっていることに着目し、この事件を掘り下げるようスタッフに要求する。チーフのウォルター・ロビー (マイケル・キートン)  以下、マイク・レゼンデス (マーク・ラファロ)、サッシャ・ファイファー (レイチェル・マクアダムス)、マット・キャロル (ブライアン・ダーシー・ジェイムズ) のスポットライト・チームは調査を始めるが、教会のガードは固い上に、被害者も羞恥心が強く、事件のことを語りたがらない。かつて事件を担当したことのある検察官や弁護士も協力的ではない。記者たちは地道に古い記事を収集し、被害者やサポート・グループに会って事件を掘り下げていくが、事態は遅々として進展しない‥‥


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