Space Cowboys

スペースカウボーイ  (2000年8月)

1950年代、空軍にチーム・ダイダロスと呼ばれる4人のエリート・パイロット・チームがいた。しかし彼らは軍のパワー・プレイに巻き込まれた挙げ句、史上初の有人大気圏外飛行というお手柄をチンパンジーに横取りされてしまう。そして半世紀近く経った現在、元ソ連の通信衛星アイコンが寿命に達し、地球衝突が免れない事態となっていた。しかしアイコンが内部に使用している電気回路は遠い過去の遺物であり、誰も設計理念を把握しておらず、現代のパイロットでは修復は不可能。その結果、設計者がNASAに呼ばれるが、誰あろうチーム・ダイダロスのコーヴィンこそがその設計者であり、コーヴィンは過去を清算するべく、チーム・ダイダロスが宇宙へ飛んでアイコンを修理しようと申し出る。かつて彼らの夢を砕き、今またNASAで今回のミッションの指揮をとるボブ・ガーソンは要求を聞き入れ、そしてダイダロスの面々が宇宙へ飛び立つ日がやってくる‥‥


所々の理由により、今週見るはずだった「インビジブル (The Hollow Man)」の代わりに、クリント・イーストウッド監督主演の「スペースカウボーイ」を先に見ることになった。そしたらそれがとんでもなく面白いのだ。イーストウッドは好きな監督の一人ではあるのだが、前回の「トゥルー・クライム」を見逃し、その前の「真夜中のサバナ」はあまりにも長過ぎてたるかった(うちの女房は途中で寝てた)ので、実は今回あまり期待していなかった。役者としてもなあ、もうばりばりのアクション・スターとは言えないし、いくら「老人」を表に出して予防線を張ろうとも、宇宙を舞台としたアクション・ドラマで主役が勤まるのだろうか。イーストウッドのアクションは、元々若い頃から切れがあったわけじゃないし‥‥まあ、だからこそ逆にこの歳まで結構動きが鈍いと言われながらもやっていけるわけだが。


と、あれこれ思い煩っていたわけだが、そしたらそんな心配は杞憂だった。「真夜中のサバナ」は、題材があまりにも文芸的過ぎたようだ。あれだってもっと切って短くしたらもっと面白くなったのにと思ったが、今回はそんな心配も不要、最初から最後まで安心して見ていられた。ツボに入った時のイーストウッドの演出は、ハリウッドでも文句なしのトップ・クラスである。冒頭、モノクロ画面で始まった若い頃のチーム・ダイダロス、パイロットのホーキンスとコーヴィンが乗る飛行機が、雲を引き裂いて空を翔ける。おお、これは! あの全編ほとんどコックピットに座ったままで、顔だけでアクションしていた稀有の名作「ファイヤーフォックス」ではないか! と、いきなり興奮する。このシーンだけで、この映画はもう約束されたも同然。後は職人芸を堪能した。


チーム・ダイダロスの4人のうち、主人公のフランク・コーヴィンを演じるイーストウッドは当年とって70歳、タンク・サリヴァンを演じるジェイムス・ガーナーは72歳、ジェリー・オニールを演じるドナルド・サザーランドは66歳、一番若いホーク・ホーキンスを演じるトミー・リー・ジョーンズですら53歳と、半世紀以上を既に生きた、これは中年でも壮年でもなく、やはり老人と呼ぶのがぴったりの主人公たちの映画である。その老人たちが、童心に帰って昔からの夢を果たそうとする。いやあ、しびれます。主人公のイーストウッドを別にすれば、パイロットであり、大人の恋愛といったシーンもあり、そして最後に見せ場をさらってしまうジョーンズが役の上では最大の儲け役。軽めに性格づけがされたサザーランドもいい味出している。今では宣教師となっているガーナーが最も出番が少なく、損しているが、だからといって別に悪くない。


実は細かい点を言えば、ちょっと変、とか、ここ辻褄が合わないんじゃないの?とか、ここもうちょっと書き込んでてくれれば、とかいう点もなかったわけではない。なんてったって、真面目に考えれば話自体があり得ない。いくらジョン・グレンのような高齢の宇宙飛行士の例があるとはいえ、不摂生で太り気味のアメリカのご老体どもが、たった3週間の訓練で宇宙に飛び出せるようになるわけがない。蓋然性という点から見れば、「2001年宇宙の旅」よりもありそうもないことに見えるし、他にも些細なストーリー上の欠点を上げれば切りがない。しかし、これはいわば大人(老人)のお伽噺なのだ。誰も「ピーターパン」にあり得そうもないからと文句をつけるものはいまい。それと同じだ。それでもスペース・シャトル打ち上げの瞬間なんて、「アポロ13」よりもこっちの方がもっと興奮した。抑えるべきところはちゃんと抑えている。


よくできた映画に当然の、脇の出来もいい。ホーキンスと恋人関係になってしまうNASAのサラ・ホランドに扮するマーシャ・ゲイ・ハーデンは、ロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズを映像化した「悪党」のスーザンよりも、今回の方が断然いい。コーヴィンの不倶戴天の敵、ボブ・ガーソンに扮するジェイムズ・クロムウェルは、この人がいいのは最初からわかりきってはいたが、やはりいい。背が高すぎて他の人と並ぶといつも頭の天辺が画面から切れそうで、一枚の絵として見た場合の全体のバランスを崩すという点で、役者としては損している面があると思うが。ちょい役だが、イーストウッドの妻バーバラに扮するバーバラ・バブコックも気に入った。


実は先週、映画の公開を前に深夜のトーク・ショウ「トゥナイト」に、主演の4人が揃ってゲスト出演していた。もちろん彼らはスターだとは思うが、今では皆全盛期を過ぎており、「ハンサム」だとかいう形容詞をつけるのは憚れるし、かつてのようなカリスマがあるわけではない。しかし4人揃うと、いまだにおお、っていう存在感があってびっくりした。司会のジェイ・レノも完全に圧倒されて何喋っていいかわからないっていう感じだったし、腐っても鯛(失礼)とはこのことか。流石だったね。そしたら、映画の中でも4人が「トゥナイト」に出演するというシーンがあって、笑ってしまった。レノは映画の中で既に4人と対面しているくせに、いざ本当に自分の番組に4人がゲストとして出演したら、上がってしまってほとんど何も言えなくなってしまったようだ。


その他に忘れてはならないのが、後ろに控えて作品の縁の下の力持ちに徹する音楽の使い方である。これがディズニー(ハリウッド・ピクチャーズ)だったら、作品の出来を音楽でごまかすが如く、これでもかとばかりにうるさい音楽を大音量で休みなしに投入するところだ。「アルマゲドン」とか「ロック」とか、つんぼになるかと思ったよまったく。映画は最後、フランク・シナトラの「私を月まで連れてって (Take Me to the Moon)」が被さって終わる。結構意外な選曲に聞こえたが、それでもジーンときた。スクリーンが涙で曇るという体験をしたのは本当に久し振りだ。しかしアメリカで生まれ育ち、アポロ計画とかが身近だった世代ならもっと胸に来るものがあるのだろう。実はこの最後のシーンで、手塚治虫でこういう終わり方をしたマンガがあったことを思い出した。あれは「火の鳥」だったか「ザ・クレーター」だったか、とにかく、ほとんどそっくりの終わり方をした作品があった。あれは何だっただろう。気になる。もう一度読んでみたい。いずれにしてもいいものを見せてもらいました。80になっても90になっても元気に次の作品を撮ってもらいたい。思わず合掌したりなんかして。






< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system