音楽番組には目のない方だが、音楽そのものはともかく、理論や歴史、楽器の発展や変遷とかいうことにまで興味があるわけではない。というわけで、20世紀のポップス音楽の変遷を、特にレコーディングという観点からとらえる「サウンドブレイキング」に、最初さほど興味を持っていたわけではなかった。
番組を見たのは、本当にたまたま、TVが点いてて、めったに見ない公共放送のPBSにチャンネルが合っていて、本当に偶然に「サウンドブレイキング」を放送中だったからに他ならない。最近ではTV番組はほとんどDVRに録画してあるものを見ているため、ライヴでTVを見るというのはニューズとスポーツ以外ほとんどなく、たまたま放送中の番組を発見するという機会はまずないから、「サウンドブレイキング」を見れたのは僥倖と言っていいだろう。
全8回シリーズの第1回は「レコーディングというアート」で、プロデューサーの果たす役割を検証する。ポップ・ミュージックにおいてはプロデューサーの力は絶大だが、それはあまり表面には出てこない。しかしジョージ・マーティンがいなければビートルズが世に出ることはなかっただろうと言われるほど、マーティンがビートルズに果たした功績は大きい。
例えば「イエスタデイ (Yesterday)」は、レコードで聴くヴァージョンがやっぱり最上だろうと思う。生のソロを聴いているのでもない限り、サビでストリングスの絡まない「イエスタデイ」なんて考えられない。しかし最初は反対していたポール・マッカートニーを説得してストリングスを入れさせたのが、マーティンだ。
「エレノア・リグビー (Eleanor Rigby)」のストリングスは、アルフレッド・ヒッチコックの「サイコ (Psycho)」と同じということで、最初流れていたあのバーナード・ハーマンの「サイコ」のテーマが、気づいたら「エレノア・リグビー」になっていたという演出は、かなり感心した。ヒッチコックとビートルズが同じ文脈で登場するなんて想像したこともない。
フィル・スペクターは、実は私は人を殺して刑務所入りした犯罪者ということでしか知らなかったのだが、60年代を代表するプロデューサーの一人だ。何十回も録音にダメ出しし、数人でいいはずのストリングスを何十人も集めてよく言えば音に厚みを増し、悪く言えばこけ脅しを効かせてヒット曲を連発した。若い頃は「シャイン (Shine)」のノア・テイラーにそっくりで癖のあるいい顔が、今ではいかにもの犯罪者面だ。このエピソードではその他にもドクター・ドレ等、レコーディングにプロデューサーが果たす役割の大きさを示す。
番組第2回は「サウンドによるペインティング」と題し、多重録音による音の広がりを紹介する。ビートルズの「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band)」が与えた影響は、絶大なるものがあった。私は個人的には「サージェント・ペッパーズ」を特に面白いとは思ってなかったのだが、要するに曲そのものよりも、マルチトラッキングの嚆矢という歴史的に画期的な曲ということに意味があった。
ボストンが、バンドではなく、リーダーのトム・ショルツ一人がすべてをマルチトラッキングでこなしていた文字通りのワンマン・バンドだったというのも、初めて知った。ツアーはさすがに一人では無理だから、そのパートの人材を集めて急遽ボストンを作った。要するにマイク・オールドフィールドがしていたこととほぼ同じだが、ボストンの場合はポップスでもあり、確かに実際にバンドを組んだ方が見場もよく、売れるだろう。
実はメリル・ガーバスのチューン・ヤーズという存在は知らなかったのだが、ループを使ってコンサート会場でマルチトラッキングして見せる。NBCの「トゥナイト (Tonight)」で、音楽ネタをよく使うジミー・ファロンが似たようなことをよくするし、今年のグラミー賞でもエド・シーランが同様にパフォーマンスしていた。あれは格好いい。番組ではイモジェン・ヒープも同じことをやって見せる。
その他にもエピソード毎に色々な発見があって楽しいのだが、一方で、言及されない多々のアーティストやバンドが多いことにも気づかざるを得ない。番組第一回では、世界に音楽プロデューサーはジョージ・マーティンとフィル・スペクターとドクター・ドレの3人しかいないのかという気になるし、番組第2回ではマルチトラッキングを使うのがビートルズとビーチ・ボーイズとピンク・フロイドとフリートウッド・マックとユーリズミックスとベックだけなのかと思ってしまう。
むろん彼らが一時代を画した面々ということに疑いを挟む余地はないが、しかしあまりに漏れているアーティストが多過ぎやしないか。マルチトラッキングというと、私なんかは反射的に「ボヘミアン・ラプソディ (Bohemian Rhapsody)」を筆頭とするクイーンの楽曲を連想するのだが、クイーンのクの字も登場しない。番組が労作であり、発見も多く、楽しめることは間違いないのだが、しかしそうであればあるほど、足りないものにも気づいてしまう。