Snow Falling on Cedars

ヒマラヤ杉に降る雪  (2000年1月)

イーサン・ホウク、工藤夕貴主演、「シャイン」のスコット・ヒックス監督がデイヴィッド・グーターソン作のベストセラー「ヒマラヤ杉に降る雪」を映像化した。ヒックスは1994年のベストセラー「ヒマラヤ杉に降る雪」の映像化を早くから考えていたが、当時まだ無名のオーストラリア出身のドキュメンタリー作家ヒックスは、とにかく「シャイン」を完成させなければならず、企画は棚上げになっていた。「ヒマラヤ杉に降る雪」は、「シャイン」の大成功により様々なスタジオからオファーを受けたヒックスが、改めて取り組み、完成させたものである。


ある小さな海沿いの町で、一人の漁師が溺死体となって発見される。彼は死の数日前、日系二世のミヤモト・カズオと土地の件で揉めていたことが証言される。しかもミヤモトはその漁師が死ぬ直前に、海上で彼と接触していたことが判明する。それを最初から明らかにせず隠していたことが、検察側の心証を悪くし、事態をこじらせる。果たしてミヤモトが漁師を殺したのか、それとも事故死だったのか、裁判は進み、真相は次第に明らかになる‥‥


非常に美しい映像で、詩的な雰囲気が横溢する作品である。一人の人間の死亡事件の謎がその核となるわけだが、じわじわと盛り上がっていき、それほど展開に起伏があるわけではないため、評のほとんどがまずその見事な映像に向かったのはしょうがないだろう。実際ため息が出るほど素晴らしい映像は、「JFK」のロバート・リチャードソンが担当している。ただでさえ映像で見せるシーンが多い上、特に工藤とホウクの幼い頃のシーンは極力セリフを廃したイメージの喚起力によって二人の関係を表現しているため、想像力のない者には退屈に映るかも知れない。それにしても、よくこの二人の幼い頃だと充分信じることのできる俳優を探しだしてきたものだ。特にホウクの若い頃を演じる少年は、本当にホウクが幼い時にこのシーンを撮りだめしてあったと思えるほどホウクの感じを出している。


長じての工藤とホウクも申し分ない演技である。ホウクって、深夜のトーク・ショウとかにゲスト出演しているのを見るとただのハンサム目のアメリカの若者って感じでとりたてていいとも思えないのだが、スクリーンの上だと映えるなあ。髪に櫛も入ってないような役柄(地元の新聞を父亡き後一人で切り盛りしている)で、なんであんな格好よく見えるのだろう。不思議だ。私が同じことをしたら、きっと寝坊したのかと訊かれてそれで終わりである。ただし、雪の降り積もる地方の話ゆえ、一応まがりなりにもスーツを着ているホウクが長靴を履いてたりして、私の女房はそれがおかしかったと言っていた。そうだったのか、私はそんなこと気づかなかったぞ。男と女ではやはり見ているところが違うようだ。


対する工藤も頑張っている。作品の中では、アメリカ生まれの工藤は二世ということになり、基本的に英語/日本語はぺらぺらの設定であるのだが、それもうまくこなしていた。一世である工藤の親の話す英語がたどたどしい英語で、その下の工藤の世代が流暢な英語を喋るという、細かいがこの部分を外すとまったく説得力がなくなるという部分をしっかりと押さえているのに感心した。工藤は英語を特訓したのだろう。ただし、工藤の母親はちょっと英語がうますぎた気もするが。


役柄上、工藤はいつも苦悩しているのだが、彼女はそういう表情をすると眉が八の字になるんだな。まあ普通、人はそうなのだろうが、工藤が映るシーンではほとんどそういう顔ばかりになるので、つい気になってしまった。ところで工藤の役名はミヤモト・ハツエといい、皆からハツという愛称で呼ばれている。これをアメリカ人が発音すると、どうしてもハトゥとなってしまう。ホウクがハトゥと言う度に、私は違う、これはハツなの、と心の中で訂正していた。それから工藤はクレジットではYouki Kudohとなっていた。なるほどそれだとアメリカ人もユウキと綺麗に発音できるわけか。


言い忘れたがこの作品も脇が非常にいい。ミヤモトの弁護を担当するマックス・フォン・シドウ!は凄い。手が震えながら弁護を担当するのだが、あんたの手が震えているのは演技か、それとも現実にそうなっているのをヒックスがうまく演出したのか、とにかく圧倒的な存在感である。蛇足だがフォン・シドウは猫を飼っているという設定なのだが、その猫がうちの飼い猫にそっくりだったので、こいつがスクリーン上に登場した時は思わずおお、と思ってしまった。うちの猫も私がテーブルに向かっていると飲みかけのコーヒー・マグをくんくんするんだよ、女房は猫がテーブルの上に乗ると厳しく叱りつけるのだが、私は女房がいない時はほっといている。それがまったくあんな感じなのだ。うちの猫は手足の先が白いが、それ以外はほとんど顔も同じだった(本当か?)。


裁判官役のジェイムズ・クロムウェル、この人は最近HBOのTV映画「RKO 281」で大金持ちの新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストに扮したのを見たばかりだったので、なおさらその演技の幅に感心させられた。「ベイブ」からすっかり遠いところまで来てしまいましたね。それから忘れちゃならないサム・シェパード。「ライト・スタッフ」以来あなたは私のヒーローです。その元気な姿が見られるだけで私は幸せです。これからも末永く頑張って下さい。


「シャイン」が97年のベスト作品の一つと思っている私にとって、ヒックスの次回作は気になるところであった。しかし、元々ゆっくりと盛り上げていく原作を丁寧に映像化していることもあり、スロウな展開をともすれば「退屈」と評する媒体もあって、「ヒマラヤ杉に降る雪」は「シャイン」に較べ好意的に迎えられているわけではなかった。今更第2次大戦時の米国北西部を舞台に、主人公の一人が日本人というマイノリティで、しかもほとんど無名ということも(たとえジャームッシュ作品に出ていようとも、工藤を知っているアメリカ人は数えるほどしかいまい)、公開前から大したヒットにはならないだろうと目されている所以であった。


しかし結論から言うと、ヒックスは「シャイン」の時よりもうまくなった。特に現在と過去を自在に繋ぎ合わせる術は、編集の手もあるだろうが、音の使い方といい、間の持たせ方といい、「シャイン」よりさらに洗練されている。「シャイン」でも見せたが元々エモーショナルなシーンの演出には天性のものを感じさせる監督である。これからのハリウッドを背負って立つ代表的な監督になる日は近いと見た。問題は、原作のある場合を映像化する場合におうおうとして起こることだが、原作に緻密に書き込まれた雰囲気、プロット、構成を2時間でまとめるために、映画ではどうしても色々な点で省略を行なわなければならないところにある。


そのため、まあ、予想できたことではあるが、原作には及ばないとする評が実に多かった。ところが、原作を読んでいない者は、だいたい激賞しているんだな。私も原作は読んでいないので、そうか、あまりよくないのか、と思って見に行ったら、これが実によくて、なんでこの作品がこんなに貶されなければならないのか不思議だった。私が読んだ評の一つでは、「文芸作品を映像化する場合で失敗する究極の例」と、身も蓋もない書き方をしてあったのだ。そりゃあ、あなたが原作に対して持っていたイメージとは異なっていたかも知れないが、そこまで言うか、というのが実感である。


まあ確かに思い返すと、ホウクと工藤の現在の気持ちというのは、描かれ方が弱かったかな、とか、ホウクが最後に意を決して事件を再検証するためにドッグに繋がれた船を見に行くシーンとかは、唐突すぎたかな、という気はしないでもないが、うーん、原作を読んでいるとこの辺の積み重ねがないと、あまりにも不用意にクライマックスを迎えてしまうように見えるのかも知れない。でもなあ、どうやったらあれ以上うまくまとめることができるんだ。教えて欲しいよ。






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