Slumdog Millionaire


スラムドッグ・ミリオネア  (2008年12月)

ジャマール (デヴ・パテル) はインドで国を挙げて圧倒的人気のあるインド版「フー・ウォンツ・トゥ・ビー・ア・ミリオネア」で、あと一問正解すると全問正解で最高賞金の2,000万ルピー獲得という正念場に来ていた。国民は熱狂、しかしそれを快く思っていない者の手によってジャマールは拉致され拷問を受ける。果たして彼は不正をしていたのか。ジャマールは、極貧の家庭に生まれ、ここまで来た自分の半生を語り始める‥‥


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とにかくこの映画、評判がいい。批評家評もいいが、とにかく巷での評判が圧倒的で、猫も杓子も誉める。しかしTVでかかり始めたコマーシャルを見ても、実はどんな映画かよくわからない。なんか、アメリカじゃないところを舞台にしているようだが、一瞬映るインドだかアラブ系だかの主演俳優にもまったく見覚えはない。一応見る気になったので、あまり前情報を仕入れすぎるのもなんなので、ほとんど何の映画か実はよくわからないまま劇場に足を運ぶ。


とにかく、上述したこと以外ほとんど事前に内容を知っていなかったため、まず、いきなり作品の冒頭でスクリーン上にインド版「フー・ウォンツ・トゥ・ビー・ア・ミリオネア」のシーンが登場して喫驚する。インドでも「ミリオネア」やっているということも、まああってもおかしくはないわけだが初耳なら、国を上げての人気番組だということも当然まったく知らなかった。ポスターをよくよく見ると、「ミリオネア」の選択肢デザインが意匠に用いられているのに気づくのだが。


いまだに貧困率の高い地域もかなりあるインドの場合、TV番組を街の電器屋の店頭で見るというのも結構よくあるみたいで、「ミリオネア」放送が始まったとたん、わらわらとどこからか人が沸き出してきて、道路に座ってTVに熱中する。なんか「君の名は」放送時に銭湯ががらがらになったという終戦直後の日本みたいだ。その主人公ジャマールは、「ミリオネア」であと一問正解したら全問正解で2,000万ルピーを獲得するという、前人未到、空前絶後の偉業を達成する直前まで来ていた。


そこへ何者かが現れジャマールは拉致される。その男たちはジャマールが何か不正をしているものと確信し、口を割らせようとしていたのだ。とはいえ、いくら不正の疑いがあったとはいえ、この現代で拉致して拷問するか、普通。しかもジャマールに拷問を与えているのは、よりにもよって警察であったことが後で判明する。うーん、まだ今のインドではこのくらい普通のことなのかもしらん。


ところでこの2,000万ルピー、ドル換算で約40万ドル、円だと4,000万円だ。100万ドル (ミリオン) ないからミリオネアというのは嘘八百になってしまうわけだが、それでもインドの標準から見れば楽勝で一生遊んでいられる以上の大金だろうということはよくわかる。ジャマールの極貧の少年時代が描かれ、その対比が効いているからだ。だからこそそれだけ注目される人気番組になったんだろう。他に娯楽もなさそうだったし。インドが映画大国なのは、他に娯楽がないからという理由が大きい。


主人公ジャマールは、極貧の家に生まれ、幼い時に母は対立宗教民族の者に殺され、以来兄サリーム (マドゥール・ミタル) と共に、自分たちの才覚によって生き延びてきた。この、兄弟がガキの頃の描写が、これでもかと思うくらい念入りに描かれており、先進国環境の視点で見ていると、かなりびびる。ウォシュレット的衛生管理と180°正反対の世界が「スラムドッグ・ミリオネア」だ。あの手のスラムというのは、まあスラム自体は貧しい国なら必ずあるだろうが、そこに人々がうじゃうじゃいるという規模の点で、インドのスラムに勝るものはあるまい。


スラムというと、フェルナンド・メイレレスの「シティ・オブ・ゴッド」、あるいは「シティ・オブ・メン」のリオのスラムを連想しないでもないのだが、その極貧ぶりはブラジルはインドに遠く及ばない。スラムが作品のテーマだったわけではないが、やはりインドのスラムの描写が印象的なスザンネ・ピエールの「アフター・ウエディング」てのもあった。特にこの作品に出てきた幼い少年は、「スラムドッグ・ミリオネア」のジャマールの幼い時を演じた少年を強烈に想起させる。


そのインドの、こちらはドキュメンタリーのカルカッタのスラムを写しとった「未来を写した子どもたち (Born into Brothels)」、あるいは「スラムドッグ・ミリオネア」同様ムンバイ (ボンベイ) が舞台の「ザ・デイ・マイ・ゴッド・ダイド」のスラムが、世界でも最も劣悪な環境を写し撮った作品と言えるのではないか。「スラムドッグ・ミリオネア」に至っては、文字通り肥え溜めに住んでいるのと同じなのだ。スクリーンから匂ってきそうだ。将来匂いつきの映画上映システムができたとしたら、私は絶対「スラムドッグ・ミリオネア」はそういう施設では見ない。


原作はヴィカス・スワラップで、調べたところ、既に邦訳もされていた (邦題:「ぼくと1ルピーの神様」。) 主人公の兄弟はムンバイを中心にインドを転々とするが、インドから一歩も出ない。しかし、演出は英国人のダニー・ボイルだ。ボイルがわりと人間の生理を直接描くことが好きなのは、既に出世作の「トレインスポッティング」に現れており、彼が子供同様汚いことが好きなのは知っていた。彼が「ザ・ビーチ」みたいにアジアに惹かれているようなのも、「28日後」のようなホラーも撮るのも、あるいは「ミリオンズ」みたいなハートウォーミングな子供ものを撮るのも、すべてその延長線上にあるような気がする。一方でその正反対のわりとイメージがきれいな「サンシャイン2057」みたいな作品も撮っているが、キー・ワードはやはり子供、生理、うんこ、その辺にあるかと思う。


実はこの作品、大部分で英語がしゃべられてはいるが、上述のように舞台はインドから一歩も出ない。登場人物はほぼ全員インド人だし、たとえボイルが撮っていようとも基本的にこれはインド映画といっても通用するだろう。というか、これはインド映画以外の何ものでもない。そのインド映画がごく普通にアメリカの映画館にかかり、ごく普通の一般人が見、誉めるので口コミでまた話題になる。


近年、アメリカにおけるインド圏の人口の増加ぶりは目覚ましいものがある。ニューヨークでも、クイーンズの一部やニュー・ジャージーにはハリウッド映画と一緒にインド映画 (ボリウッド・ムーヴィ Bollywood Movie) を常時上映している劇場もそれなりにある。劇場でポスターを見て、ああ、ボリウッド・ムーヴィかと知れるだけで、それ以上の内容はまったく知らないしインド人以外は見ていないと思うが、いつでも何かしらその手の映画がかかっていることを見ると、その需要があるほど人はいるということだろう。


先シーズンのFOXの勝ち抜きダンス・リアリティの「アメリカン・ダンス・アイドル (So You Think You Can Dance)」では、ほとんどアメリカでは知られていなかったと思われるそのボリウッド・ダンスがフィーチャーされていたりもした。インド人は、今やチャイニーズやコリアンを抜いて、アメリカに移住してくる比率の高さでは一番ではないか。スペイン語を除けば、マンハッタンを歩いていて普通に耳にする外国語の頻度では、今では中国語でも韓国語でもなく、ヒンズー語 (私の印象に間違いがなければ) がその筆頭だ。


実際私の住むコンドミニアムの向かいに住んでいる夫婦もインド系だ。こないだ、ムンバイのテロと相前後して長い間帰郷していたみたいで、1、2か月ほどまったく姿を見かけなかった。以前住んでいたプリ・ウォー (Pre war) と呼ばれる戦争前に作られた堅牢な住宅と異なり、夏に引っ越した今の部屋は壁が薄く、その隣りの生活音が結構よく聞こえる。それがぴたりと聞こえなくなった上、インド系の住人がいると必ず廊下で匂うあのスパイスの香りまでしなくなった。期間の長さを考えると、旅行というよりはやはり実家に帰省していたのだろう。


一方、その時にムンバイ・テロがあったものだから、もしかしたら万が一帰省中に災難に巻き込まれたということはないだろうな、さらにもしかしてそのテロの実行者に関係しているということはないだろうなとあらぬ妄想をたくましくしていたのだが、年が明けたら帰ってきて、普通に生活している。こないだたまたま会ったら、二人して、廊下の明かり消えてるけど、通いのスーパーはバルブ替えてくれないね、文句言うべきか、そうそう、クリスマス前からゴミも出してくれてないんだが、休暇とるなら誰か代わりのものをよこすべきではないのか、なんて生活色のある立ち話ができたところをみると、テロとは関係なかったみたいだ。少しほっとする。


過去、日本映画で「スラムドッグ・ミリオネア」と同じ感じでアメリカで話題になった作品は、「Shall We ダンス?」をおいて他にないと思うが、たとえ「Shall We ダンス?」が英語で撮られたとしても、ここまで話題になっただろうか。もしかしたらなったかもしれない。しかし私の印象では、「スラムドッグ・ミリオネア」はインド映画だ。インドを舞台としていても明らかにハリウッド (欧米資本) 映画だった「ガンジー」や、中国が舞台でもやはりハリウッド映画だろう「ラスト・エンペラー」とは一線を画しているインド映画だ。たぶんこの感触は、上述のように本人がアジア的感性を持っているボイルが演出していることによることも大きいと思う。いずれにしても年末の各種映画賞で、「スラムドッグ・ミリオネア」が軒並み作品賞にノミネートされていたりするのを見ると、中国の時代はいつの間にやら過ぎ去って、実は世界は既にインドの時代に移行していたのかと思わされたりもする。やはり最終的にはマン・パワーか。








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