Sky Captain and the World of Tomorrow   

スカイ・キャプテン ワールド・オブ・トゥモロー  (2004年9月)

第二次大戦前夜、ヒンデンブルグ号はニューヨーク、エンパイア・ステイト・ビルに繋留しようとしていた。折しも世界中から著名な科学者が行方不明になるという事件が相次ぎ、さらにニューヨークが何者かわからない飛行船団や巨大ロボットによって襲われる。正義の味方スカイ・キャプテンことジョー (ジュード・ロウ) が呼び出され、さらに新聞記者のポーリー (グウィネス・パルトロウ) は特ダネを追ってジョーと共に行動を開始する‥‥


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現代では、実写とCGの区別がどんどん曖昧になってきている。ディズニー/ピクサーやドリームワークスによるCGアニメーションはどんどんリアルになってきているし、「ファイナル・ファンタジー」は、わざわざ実写とアニメーションの境界の手触りを率先して求めていた。やがてそう遠くない将来に、コンピュータに本物の役者の3D画像を記憶させておけば、それを利用して机の前に座っているだけでフィーチャー映画が一本作れる時代になるのかもしれない。


「スカイ・キャプテン」は、少なくともそういう時代に一歩近づいたことを実感させる映画だ。世界を股にかけたヒーローの活躍を描くSFアクションでありながら、基本的に役者はスタジオの中から一歩も外に出ていない。役者はその多くをグリーン・スクリーンの前での演技に費やし、背景のほとんどは合成による後付けだ。本当に近年のCG技術の進歩には目を見張るものがある。


とはいえ、いくら技術が進歩したとはいえ、それが実写並みの存在感、重さを獲得するというレヴェルにまではまだ達していない。そのため、特にTVでの予告編を見ると、やはりかなりちゃちいという印象は免れず、正直言って、あの予告編だけでは少なくとも私は見たいという気にはまったくならない。それでも、もしかしたらこの作品が、将来の映画製作というシステムに大きな影響を与える最初の作品になるかもしれないという可能性には見過ごせないものがある。ここは好き嫌いで端折っている場合ではないかもしれない。


「スカイ・キャプテン」が時代設定を第二次大戦前夜に設定しているのは、なかなかうまい戦略と言えるだろう。CG画像の、ともすればキッチュなイメージが、昔のSFという印象とうまく合致しているからだ。巨大なロボットは「ゴジラ」や「キングコング」を彷彿とさせ、現代の日本人には何よりも「20世紀少年」のロボットを思い起こさせる。そして「20世紀少年」が何よりも読む者にノスタルジーを喚起させるのと同じように、「スカイ・キャプテン」もレトロだ。


そして、そういう背景をバックに演技する役者の微妙なズレ加減が、「スカイ・キャプテン」の印象を決定している。特にそういう印象を与えるという点で大きく貢献しているのが、グウィネス・パルトロウ演じる新聞記者のポーリーだ。ヒーローものの場合、ヒーローその人/もののキャラクターより、その隣りにいる生身の人間の方が強く印象に残るか、あるいは超人離れしたヒーローを観客/読者に提出するための媒介者として大きな役割を受け持つことがままある。スーパーマンにとってのロイス・レーンのようなもので、レーンがいなかったらクラーク・ケントなんて誰も覚えていまい。「スカイ・キャプテン」でも、ジュード・ロウ演じるスカイ・キャプテンよりも、パルトロウのポーリーの方が印象に残る。基本的にスカイ・キャプテンは、その大半を自家用機のコックピットの中で過ごしているという印象が強く、新聞記者という役どころのポーリーの方が、自分の足を使って事件現場を訪れるからだ。


おかげで「スカイ・キャプテン」は、地味なスカイ・キャプテンよりもおきゃんなポーリーの映画、さらに言うと、そのポーリーを演じるパルトロウが、グリーン・スクリーンの前で、実際には何も起こっていないはずの中空を見上げ、そこにさも何かがあるように驚いて見せるといったようなシーンの印象が濃厚な作品になってしまった。要するに、いくらパルトロウの演技がうまくても、やはりそこには実際には何も見えてはいなさそうな、中途半端な役者のリアクションがそこかしこに横溢している。そしてもちろん、ある程度はそれを狙った演出であるのも間違いなく、監督のケリー・コンランは、撮影中、ここを見上げて、そこにロボットがいるから驚いた表情をして、ダメダメ、本気で驚いたら、みたいな感じで演出していたんじゃないかと思わせる。


こういうスタイルは意外にもある程度功を奏していて、実はまったく期待してなかった「スカイ・キャプテン」であるが、それなりに結構楽しめる。ある瞬間などは、実際に童心に帰って心ワクワクさせてくれるのだ。しかしその一方で次の瞬間には、まったく退屈だと感じてしまう。別に前の晩に睡眠が足りてないというわけでもないのに、SFアクションを見に来て眠くなったりする。というわけで、この映画、面白いのか面白くないのかよくわからないという、非常に摩訶不思議な珍無類の作品になってしまった。たぶん、観客の世代によって受ける印象がまったく違うのではないかと思われる。もちろんコンピュータ・ゲームで育った若い世代には違和感なく受け入れられるだろうし、一方で「スーパーマン」や「フラッシュ・ゴードン」世代にもアピールするんじゃないか。私のような「ゴジラ」、「ガメラ」世代だってそれなりに楽しめる。


いずれにしても、この作品はハリウッドでしか撮れまい。この実験精神、そして製作に何千万ドルもかかっているのは間違いないのにもかかわらず、まだ無名の新人監督にそういう作品を撮らせてみるという進取のスピリットだけは、やはり誉めてしかるべきではないかと思う。なんか、今後CGは実写に取って代わるのではなく、CGにしかできない方向で進化していくのではないかという印象を強く受けた「スカイ・キャプテン」であった。






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