Sin City   シン・シティ  (2005年4月)

連続少女強姦魔を追う刑事ハーティガン (ブルース・ウィルス) は、犯人 (ニック・スタール) を捕まえる寸前に相棒 (マイケル・マドセン) の裏切りによって撃たれてしまう。一方、娼婦のゴールディ (ジェイミ・キング) を殺した疑いをかけられたマーヴ (ミッキー・ローク) は、逃げながらも殺人鬼のケヴィン (イーライジャ・ウッド) を追いつめる。シェリー (ブリタニー・マーフィ) と一夜を共にしたドワイト (クライヴ・オーウェン) は、回り回ってシェリーの元恋人ジャッキー・ボーイ (ベニシオ・デル・トロ) が殺される現場に居合わせるが、よりにもよってジャッキー・ボーイは刑事だったことが判明する‥‥


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先月、カン違いして間違えて「ホステージ」を見てしまった「シン・シティ」をやっと見てきた。「シン・シティ」はフランク・ミラー作の同名グラフィック・ノヴェル (要するにマンガだ) の映像化である。それをハリウッドでは様々な実験色の濃い作風で知られるロバート・ロドリゲスが演出した。原作に近くモノクロを基調に仕上げ、ところどころに血の赤や黄色がアクセント的に用いられるなど、今回もいつもながらのロドリゲスっぽい実験精神が横溢している。


視覚的な印象もそうなら内容も人を食っており、基本的に「シン・シティ」は、まったく異なる3つの話をまとめたものだが、最初マクラにジョシュ・ハートネットが出てきて、で、これがどうなるのかと思っていたら話はすぐ次のブルース・ウィルス篇に飛び、さらにすぐミッキー・ローク篇へと飛び、さらにクライヴ・オーウェン篇へと、それぞれの話は舞台がシン・シティであるということを除けば、ほとんど繋がりはない。つまり「シン・シティ」はオムニバスなのだ。しかもウィルス篇は話は8年間 (だったと思う) にまたがっているなど、時間軸ですら一定でない。


それらを強引に一本にまとめているのだが、力技でまとめるというよりも、最初からまとめることなんかまるで考えていなかったようで、それなのに最初と最後にハートネットを持ってきて一応辻褄をつけているように見せているのだが、あまり色んなものを詰め込みすぎているので、それが効果があったのかどうかもよくわからない。どこにハートネットが出てくる意味があったのかなんて考えてしまう。


さらに特筆すべきは、ほとんど使い捨てのように用いられる有名どころのハリウッド・スターの大量起用で、ちょっと挙げるだけでも、ジェシカ・アルバ、ロザリオ・ドーソン、イーライジャ・ウッド、ブルース・ウィリス、ベニシオ・デル・トロ、マイケル・クラーク・ダンカン、カーラ・グギノ、ジョシュ・ハートネット、マイケル・マドセン、ジェイミ・キング、ブリタニー・マーフィ、クライヴ・オーウェン、ミッキー・ローク、ニック・スタール、ルトガー・ハウアーといった、他のところでは主演級の俳優が大挙して出演している。もちろんそのために一人当たりのスクリーン・タイムはどんどん減ることになる。


一応ウィリスが主演みたいにクレジットされ、ポスターでもでかでかと真ん中を占めてはいるのだが、事実上最も出番が多く、印象を残すのは、第2話で主演のロークだろう。次がオーウェンでその次がウィリスといったところか。とはいえここでのロークは、まったく別人のムキムキマンのようにメイクが施されており、しかも最近ロークの顔を見た記憶はなく、一目でこれがロークとわかる者はほとんどいまい。実際私がこれがロークだということを知っていたのも、こないだデイヴィッド・レターマンがホストの深夜トークの「レイト・ショウ」を見ていたら、ローク (歳をとった) がゲストとして招かれ、お喋りと「シン・シティ」の宣伝をして帰っていったからだ。これを見ていなかったら、私もマーヴを演じているのがロークだということに気づかなかったに違いない。


だいたい、顔が命の俳優で、本人だとわからないくらいメイクをするのはほとんど犯罪的である。本人にとってはプライドと、金がないからなんでも演じなければならないといった差し当たっての状況を天秤にかける必要があるのは間違いないだろう。ボリス・カーロフやロン・チェニーといった、本人の演技力よりも演じた怪人の顔で後世に名を残した俳優の名をふと思い出し、そういう役者って、やっぱりいくらかは悔しい思いをしたんだろうなあ、ロークもやっぱりそうなんだろうか、それとも逆に楽しんでやったんだろうか、などとふと考えてしまう。シャーリーズ・セロンが「モンスター」でまったく別人になったのとは次元の違う話だからな、などと、マーヴの顔を見ながらどんどん連想が横にそれていく。


実際、ほとんどみんなちょい役にしか過ぎない数多の俳優陣は、それぞれ結構楽しんで演じているように見える。デル・トロなんて、ファンが見たらいくらなんでもそりゃないんじゃないのと思うに違いない役をあてがわれているが、もしかしたら本人は楽しんで演じたのかもしれない。アルバもかなり大きくクレジットされているわりには出番自体は大したことはない。とはいえ、それぞれ短い出番ながらほとんどがそれなりに印象を残すのは、マンガとして絵になっているから、デフォルメが効いているから、つまり、うまくツボを押さえているからだろう。特にはまっているなと思ったのが冷血殺人鬼を演じるウッドで、何を考えているかよくわからない表情と雰囲気や、変態っぽい身体の動きがよくマッチしていた。やっぱりこの人、普通の人間っぽく見えない。同じシリアル・キラーでも、スタールの方はまだ普通の人っぽく見えるため、あまり印象に残らない。


私は、実は監督のロバート・ロドリゲスをあまり買っていない。これまで見た作品は、デビュー作の「エル・マリアッチ」から「フロム・ダスク・ティル・ドーン」、「スパイ・キッズ 3-D」まで、皆、発想は面白そうだと惹かれて見に行って、騙されたと感じて帰ってきたものばかりだ。彼の山師的な傾向や才能は、むしろディレクターとしてよりもプロデューサーの方が向いていると思っていた。「シン・シティ」は、こういう実験精神、マンガ的な過剰さが最も成功した、あるいは少なくとも私の性向に初めて合致した作品と言える。つまり、初めて彼の作品を面白いと思った。


ロドリゲスの、他人を信用せず、自分で撮影、編集、音楽までをすべて一人でこなしてしまう思い込みやヴァイタリティは、うまく行っているうちはいいが、人気がなくなるとすぐ業界から干されてしまいそうだが、彼のマルチ・タレントに触発されるインディの映画作家も多いことだろう。それでも、だからといって原作のミラーだけでなく、盟友のクエンティン・タランティーノまで共同監督としてクレジットさせてしまう発案はいかがなものか。この作品の根本のクレジットが原作者のミラーにあるのは見れば誰だってわかるし、当然タランティーノも色んなアイディアを出したんだろう。それで監督を増やしてしまうのは、友好的、懐が深いというよりは、本人の一人よがり加減を露呈するだけに過ぎないと思うんだが。やっぱりタランティーノ一家なんだな、この人、と思うのであった。






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