Shirlock Holmes: A Game of Shadows


シャーロック・ホームズ: シャドウゲーム  (2011年12月)

ホームズ (ロバート・ダウニー・Jr.) は巷で人々を不安に陥れている犯罪がモリアーティ教授 (ジャレッド・ハリス) によるものだと確信、捜査を始めるが、他方アイリーン (レイチェル・マクアダムス) はモリアーティの毒牙にかかり、さらにモリアーティはホームズに対し、これ以上邪魔をするようならワトソン (ジュード・ロウ) もその標的にすると脅す。ワトソンは結婚が決まっており、ホームズとワトソンはそのバチェラー・パーティで散々羽目をはずす一方、命を狙われたタロット占いのジプシー、シム (ノオミ・ラパス) を助ける。どうやらシムの長らく消息を絶っていた兄が、モリアーティの計画に大きな役割を持っているらしかった‥‥


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ホームズことダウニーJr.がケバい女装をした予告編を見た時は、さすがにこれは悪乗りし過ぎだと思って、かなり見る気が失せた。これは「アイアン・マン (Iron Man)」じゃないのだ。ホームズに口紅つけて女装させるというのは、かなりシャーロッキアンの心情の微妙なところに触れるのではないかという気がする。あるいは、最初からわざとそういう反応を狙って話題作りをしようとしていたのかもしれない。


一昨年の「シャーロック・ホームズ」をそれなりに楽しんで見たことは事実だが、だからといって武闘派ホームズを完全に受け入れたわけではない。それもありかと認めてはみても、やはりこちらの心の中に住んでいるホームズは推理の人であって、考えるより先に手の出るタイプではないのだ。第一、ホームズがウィンクなんかするか。


むしろ昨年、PBSが放送した英国製TVシリーズ「シャーロック」でタイトル・ロールを演じたベネディクト・カンバーバッチ演じるホームズの方が、よほどこちらの考えるイメージに近い。ああいう癖のある方が、いかにもホームズという感じがする。ダウニーJr.だと、どうしてもアメリカ人くさすぎる。それこそが演出のガイ・リッチーのイメージするホームズ像だったんだろうが、いまんとこまだこちらとしては、ダウニーJr.=ホームズをすんなり咀嚼できていない。


とはいっても、そういうホームズだと最初からわかっていれば、こちらもそれなりに見る前から心の準備はできる。見ようか見まいか迷ったが、結局ホームズというよりは、むしろほとんど19世紀版007を見るようなつもりで劇場に足を運ぶ。


まず驚かされるのは、レイチェル・マクアダムス扮する「あの人」ことアイリーン・アドラーが、冒頭でさっさとモリアーティ教授の手にかかって毒殺されてしまうことだ。むろんこれは実は死んでなく、後半ホームズと一緒になってモリアーティと勝負するための伏線だろう。


ワトソンは結婚を控え、男たち同士で独身最後の羽目をはずすバチェラー・パーティを盛大に行うのだが、ワトソンもホームズも、こんなにたがをはずしちゃっていいのというくらいの乱痴気パーティを繰り広げる。さらにホームズが危険が迫っている新婚のワトソン夫妻の後をつけ、女装して汽車の中で盛大にアクションを繰り広げる、上述のシーンもこれまた派手だ。


ホームズは原作でもモリアーティ教授と格闘して滝壺の中に落ちていくのだが、そういうところだけはちゃんと原作をなぞっている。このシーンが原作ファンにとって一際印象に残っているのは、すわホームズが死んでしまったのかという衝撃もそうだが、それよりも、それまではたとえ拳闘の素養があろうとも知性の人であったホームズが、実際に相手と格闘する武闘派の印象を与えるほぼ唯一のシーンだったがためだろう。リッチーにとってはしかし、このシーンが彼のホームズ像となったという印象が濃厚だ。


現代ではスーパーヒーローは生きにくいというのはこのサイトでもこれまで散々書いてきたが、これは同様に正義の味方である名探偵も例外ではない。謎を作ってくれる悪役がいなくては、名探偵は存在する理由がなくなってしまう。そのため、現代の名探偵、スーパーヒーローは受け身では成り立たず、事件を起こさせるため、相手を挑発する。ここでもスーパーヒーロー存在のためのテーゼは生きている。名探偵が存在するためには、まず悪を行う犯罪人が必要なのだ。悪人は悪ければ悪いほどいい。そのために、時にはわざわざ自らが道化役となって相手を挑発する。「シャーロック・ホームズ」がコメディであるのも故ないことではない。


実は「シャーロック・ホームズ」は、自分がスーパーヒーローになるために自らが事件を起こした「グリーン・ホーネット (The Green Hornet)」と、考え方の上では五十歩百歩だ。どっちもコメディになってしまったのは、そうしないと名探偵、スーパーヒーローが逆に本当に完全に悪者になってしまうからとも言える。


ホームズはまた、コナン・ドイルの諸作で最初に登場した時に、既に時々事件が起こらなくて退屈を持て余してドラッグに手を出していた。名探偵ではあってもそれが必ずしも正義を意味しないことは、この世に最初に登場した名探偵が既に証明している。このような名探偵を現代に復活させようとしたら、これはパロディにするのが手っ取り早いというのは言えるかもしれない。


今回のヒロイン役としては、前半で消えるアイリーン・アドラーの代わりに、ジプシー女のシムが登場、「ミレニアム」シリーズのノオミ・ラパスが演じている。ホームズの兄マイクロフトを演じているのはスティーヴン・フライで、ダウニーJr.と異なり、こちらはどこから見ても英国人だ。かつて伊丹十三が、どうしても真似のできない英国人の特徴として、髪を刈り上げると耳の後ろの高さに刈り上げたラインが来る、みたいなことを挿し絵入りでどこかに書いていたが、フライを見るとその挿話を思い出す。


で、結局、見た後の印象としては、一昨年の第1弾より、今回の方をより楽しんだ。なんといっても最初に見た時の違和感は今回はなかったわけだし、こういうもんだと知っていたから、すんなりと楽しめた。部屋に同化するホームズという視覚ギャグは、もしこれを前回やられたらいっそ不快になっていたんじゃないかという気すらするが、今回は素直に笑ってしまった。実際、どこにいるかわからなかった。今回、特に作品を誉める声は聞かないが、それでも興行成績があれだけ騒がれた前作にさほど引けをとらないのは、面白いと思って見ている者の多い証拠だろう。作り手もシリーズ第3弾があるかどうかはまだ見当ついてないようだが、作られるならまた見てもいいかな。








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