Sherlock Holmes


シャーロック・ホームズ  (2009年12月)

シャーロック・ホームズ (ロバート・ダウニーJr.) とワトソン (ジュード・ロウ) の二人は、黒魔術を使うと噂されているブラックウッド卿 (マーク・ストロング) が、新たな女性の生け贄の犠牲者を出す寸前にそれを食い止め、ブラックウッド卿は死罪に処される。しかし後日、卿は生き返って墓から逃れ出、また市井の人々をその毒牙にかけ始める。一方、かつてホームズが心ときめかせたアイリーン・アドラー (レイチェル・マクアダムズ) が再びホームズの眼前に現れちょっかいをかけ始める。果たして彼女の真意はどこにあるのか‥‥


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私のミステリ好きは、小学生の時に読んだシャーロック・ホームズと怪盗ルパンにその端緒を発している。ホームズは私が本格ミステリ (コナン・ドイルにはそういう意識はさらさらなかったろうが) 好きになるに至った理由のほとんどを担っているし、冒険ミステリという点ではルパンに影響を受けた。まあ、本好きの子供のたどる一般的な道を私も辿ったわけで、私の場合、そのテイストは今でもほとんど変わっていない。


なかでも私がミステリ好きになった瞬間というのは、今でもはっきりと覚えている。ホームズの「銀星号事件」(私は英語タイトルの日本語表記は基本的にオリジナル・タイトルのカタカナ読みで統一しているが、やはりここは「シルヴァー・ブレイズ (Silver Blaze) ではなく、「銀星号」で行きたい) で、名馬銀星号が夜半に盗まれたのに、番犬は吠えなかった。だから何もおかしいことはなかったはずという人々に向かって、それがおかしいというのだと指摘してみせたホームズの一言は、本当に衝撃的だった。見方によって世界が反転するという本格ミステリの醍醐味の洗礼をホームズから受けたのは、仕合わせなことだったと思っている。


子供の頃に読んだジュヴナイル版ホームズを卒業して文庫版のホームズを読むようになると、ホームズが癖のある探偵であるということがわかってきた。ジュヴナイル版では名探偵としてのエッセンスだけしか読んでいなかったわけだが、ダイジェストされていないオリジナルの翻訳を読むと、こいつ、かなり見栄坊の、結構鼻につくやつと思うようになった。憧れとしての名探偵に血肉がつくと、ほとんど反動で今度はいかにも英国的なもったいぶったきざたらしさが目に見えるようになる。この第2の洗礼を乗り越えてなおも読み進め、全話読破すると、いっぱしのホームズ通だ。


シャーロック・ホームズというのは、この、いかにも英国プチブル高等遊民を代表する人物という印象が、私の中では固まっている。鹿打ち帽にインヴァネス、手にはパイプ、時には阿片にも手を出し、快刀乱麻の推理であざなえる縄を解く。視覚的には、まあやはり本の挿絵に大きく印象を受けている。そういえば英国の警邏警官も、ホームズ同様インヴァネスみたいのを羽織っている。ホームズのインヴァネスがそれを真似ているのだろうが、あれってそんなに機動性高そうには見えないのだが。


ところが今回のホームズは鹿打ち帽にインヴァネスというクラシックなホームズ像ではなく、トレード・マークの鹿打ち帽を被らず、革製みたいなジャケットを着て、アンダーグラウンドの賭け格闘技に参加するという武闘派になっている。かなり身体が鍛えられているのだ。やりたかったことは、新しいアクション型のホームズの造型であることは火を見るより明らかだ。


変わったのはホームズばかりではない。ワトソンは、これまではほとんどホームズの引き立て役以上のものではなかった。ボケがいるからこそ突っ込みが生きてくるのであり、ホームズが光り輝くためにも、ワトソンが絶妙のボケをかます、というか引き立てる必要があった。それが今回は、ワトソンもかなり行動的で、時にホームズ並みに活躍したりする。


さらにはホームズが過去恋したアイリーン・アドラーなる女性も登場する。ホームズの女性関係はシャーロッキアンの間ではかなり研究されている話題であり、アドラーとかつて恋仲だったとする意見は多くの支持を集めている。アドラーは印象としてはホームズより活動的であり、こういうアクション重視の作品には登場は不可欠と言える。いずれにしてもそのため、今回の映像化はホームズものというよりも、まったく新しいヴィクトリアン朝を舞台とする探偵ものという印象の方が強い。


実際、今回のホームズは、得意の推理で謎を喝破し、変装して夜の街を徘徊して推理を検証するといういつものスタイルではなく、身体を張ってのアクションで事件を解決に導くという印象の方が濃厚だ。ちゃんと推理や変装や阿片等のいかにもホームズというシーンもあるし、ブラックウッド卿の死からの復活や黒魔術というものも理詰めで解決されるのだが、それよりも印象に残っているのが、ホームズと図体のでかい相手とのアンダーグラウンドでの格闘シーンや、波止場での派手な爆発を交えたアクションだったりする。そして最後は建築中のテムズをまたぐ橋の上でのブラックウッド卿との決闘というと、印象はどちらかというとホームズというよりルパンだ。


実際の話、「シャーロック・ホームズ」はホームズものというよりも、乗りで言うと、アメリカ風のでこぼこコンビを主人公にしたアクション刑事/探偵TV番組、例えば「スタスキー・アンド・ハッチ (Starsky & Hutch)」や「ジョン・アンド・パンチ (CHiPs)」、「マイアミ・バイス (Miami Vice)」の方によほど印象が近い。というか、この方面を最初から目指したんじゃないかと思う。


そしてこういう印象を最も強力に受けるのが、誰あろうホームズを演じるロバート・ダウニーJr.というキャスティングにあるのは言うまでもない。確かにダウニーはかつて英国を代表する俳優のチャップリンを演じたこともある。今度は英国を代表する探偵のホームズを演じることも不思議ではない。しかし、それでもダウニーJr.といって今真っ先に思い出すのは、チャップリンではなく、誰だろうと「アイアンマン (Iron Man)」に決まっている。アメリカン・コミックの化身で今最も旬の俳優の一人であるダウニーJr.がホームズを演じることで、今回の映像化の印象がひとまず決定している。今年のゴールデン・グローブ賞では、ダウニーがホームズとしてノミネートされているのはドラマ部門ではなく、コメディ/ミュージカル部門なのだ。


近年、特にアメリカのTV界では、特に演技力を要求されるようなドラマ番組を製作する場合、英国の俳優、それもシェイクスピアを経験しているような俳優を起用する場合が多い。FOXの「ハウス (House)」のヒュー・ローリーを筆頭に、ABCの「イーライ・ストーン (Eli Stone)」のジョニー・リー・ミラー、FOXの「メンタル (Mental)」のクリス・ヴァンス、同じくFOXの「ライ・トゥ・ミー (Lie to Me)」のティム・ロス等、アメリカで活躍する英国人俳優には事欠かない。そしてわざわざアメリカ風のアクセントで喋る。


それなのにそのシェイクスピアと並んで英国を代表する、たぶん知名度という点では英国発のキャラクターとしては1、2を争うに違いない超有名英国人シャーロック・ホームズを、よりにもよって現在アメコミ・ヒーローとして人気のアメリカ人ダウニーJr.が演じる。英国にはホームズを演じることのできる英国人俳優はいないのかと思ってしまう。アクセントもまったく英国風を意識していないようだ。「チャップリン」の時もこんな喋り方をしていたんだっけ?


いつだったかのエミー賞で、米語を意識せず地元の英語訛り? の英語を喋るローリーに対し、「スクラブス (Scrubs)」のザック・ブラフがほとんど何言っているかわからず驚くというシーンがあったが、多少強調はあるにせよ、英語と米語のアクセントの違いは厳然としてある。それなのにアメリカ英語を喋るホームズかあ。アメリカ人でも英国人でもない私の方が、本式のホームズを恋しく思ってしまった。アメリカというマーケットを意識したキャスティングにせよ、これでは印象がアクション寄りになってしまうのも致し方あるまい。


アメリカでは、ホームズと較べ、実はアルセーヌ・ルパンは驚くほど知られていない。ホームズよりよほど行動的で情熱的で女性にやさしくハンサムなルパンを、感じとしては知らない人の方が多い。ルパンこそほとんどアメリカナイズする必要すらなくアメリカ人に受け入れられそうなキャラクターという気がするし、むしろダウニーJrもホームズよりこちらの方が似合っているのではという気すらする。そのルパンがほとんど知られておらず、ホームズをわざわざアメリカナイズして映像化する。


たぶんワトソンをこちらは英国人のロウが演じているのは、ダウニーJr.に対するバランスという意味合いも大きいだろう。そのワトソンも今回はかなりアクションの比率が高い。ホームズの引き立て役ばかりではないのだ。これまでのシャーロック・ホームズ作品としてのキャラクター比率がホームズとワトソンで8:2くらいだとしたら、今回は7:3か、あるいは6:4くらいにはなっている。ホームズも孤高の名探偵としてではなく、パートナーが必要になったということか。


ホームズに絡むキャラクターとしてたぶん元恋人のアイリーン・アドラーを演じるレイチェル・マクアダムスも、英国俳優ではなく、こちらはカナダ人俳優だ。むろんアドラーは元々アメリカ人という設定だからそのことに特に違和感はないが、今度は逆に、なんでアメリカ人女優じゃだめだったのかとも思ってしまう。ジュリア・ロバーツだと歳をくい過ぎているか。


アメリカでも結構カナダ製のTV番組、例えば最近では「デグラッシ (Degrassi)」とか「フラッシュポイント (Flashpoint)」だとか「ダーハム・カウンティ (Durham County)」といったドラマを見る機会がある。別にアメリカで撮られていても不思議ではない内容なのだが、しかし、アメリカ製ドラマとはやはり微妙に印象が異なるのだ。ただし、マクアダムスは私の印象ではホームズ、ワトソン、アドラーという3人の中心人物の中では、最もぴったりイメージと合っている。監督だけは英国人ガイ・リッチーが担当しているが、元 (離婚したんだよな?) マドンナの夫のリッチーは、やはり生っ粋の英国人というよりもアメリカ寄りという気がする。


こないだ「ニンジャ・アサシン (Ninja Assassin)」を見た時、ほとんど中国も韓国も日本も一緒くたのハリウッド式強引さにうーむと思わされたが、それはそれで世界から見ればそうも見えるだろうなと思ったりもした。しかし、英国の顔ホームズがこうも堂々とアメリカナイズされることは、ニンジャが中国で修行することより大きな事件という気がする。それともこれはホームズの新時代へ向けての第一歩となるのか。感じとしては楽勝でシリーズ第2弾が作られてもおかしくなさそうだし、既にこれだけヒットしているところを見ると、十中八九製作されると思う。ダウニーJrがアイアンマンとホームズという、まったく接点のない二足のわらじを当分履き続ける可能性が高そうだ。








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