Shaft

シャフト (黒いジャガー)  (2000年7月)

本当はケネス・ブラナー監督/主演のシェイクスピア・ミュージカル「Love's Labour's Lost (恋の骨折り損)」を見に行きたかったのだが、マンハッタンの単館上映で私の住むクイーンズまでやってこない。ブラナーはいい時と悪い時の差が激しく、「空騒ぎ」のような私がその年のベスト10に数えるような作品を監督しているかと思えば、「フランケンシュタイン」のようなほとんどお笑いになってしまった駄作を平気で作ったりする。ミュージカルの「恋の骨折り損」が果たしてどうかと、ほとんど怖いもの見たさで心待ちにしていたのだが、疲れた身体で仕事帰りにマンハッタンで映画を見ようという気も起きず、休みの日にわざわざマンハッタンに行く気も起きず、だらだらと公開して一月経ってしまった。ここまで待ったからには意地でもクイーンズに来るまで待つつもりだが、なんか、そのまま劇場から消えそうな気もしてきた。なんてったってマンハッタンですら単館でしかやってないしなあ。


と悶々とした挙げ句、結局こちらも公開して既に3週目に入ったサミュエル・L・ジャクソン主演の「黒いジャガー」のリメイク、「シャフト」を見に行ってきた。別にとても見たかったわけではないが、他に食指が動く映画がないし。少なくともこちらは私の住むアパートから車ですぐの所でやっている。ホラー映画のパロディ「スケアリー・ムーヴィ (Scary Movie)」なんて、劇場で予告編を見ただけで全部もう見た気がするし、ブルース・ウィリスの子供向け心暖まる「キッド (The Kid)」なんて、勘弁してよとしか言い様がない。近くでやっていたらコーエン兄弟のディレクターズ・カット版「ブラッド・シンプル」でもよかったんだが、これもやってないし。


さて、「シャフト」であるが、実は私がこれを見る気が起きなかった理由が、あのいかにも70年代っぽいテーマ曲を使用した予告編にある。どうしてだろう、「スパイ大作戦」のラロ・シフリンのテーマ曲を現代風にアレンジした「ミッション・インポッシブル」は全然気にならない、というよりはむしろ格好いいと思うのだが、アイザック・ヘイズの声が渋い「シャフト」のテーマは、えらく古くさく聞こえるのだ。これはほとんどオリジナルそのままで現代風にアレンジしていないせいもあると思うのだが、おかげで見に行く気がしなかった。私は何を隠そう70年代ファッション、アフロ・ヘアにラッパのパンツ、サイケな衣装というものがどうしても好きになれないのだ。もちろん現代が舞台の今回の映像化でサミュエル・L・ジャクソンがアフロ・ヘアをしているわけはないのだが、おかげで映画そのものに距離を感じてしまったのだ。


そんなわけで恐る恐る見に行ったわけだが、いざ始まると出だしは快調。テンポがよくてこれはもしかしたら結構掘り出し物かもと期待する。実はこの映画、ニューヨークが舞台の私にとってはご当地映画なのだが、冒頭のシーンの舞台となるレストラン界隈が私のオフィスの近くで、私はこのシーンを撮影しているところを目撃しているのだ。いや、本当のことをいうと、会社の帰りがけにこのシーンの撮影用にストリートを小道具で飾り立てしているのを見かけただけなのだが、クリスマスでもないのにやたら派手な電飾つけてるなあ、何の映画だろうと思いながら帰ったのだが、そうか、これだったのか。撮影中のサミュエル・L・ジャクソンを見たわけでもないのに、なんか映画に親近感を感じるぜ。


と思っていたのも束の間、段々と映画は支離滅裂になってくる。別に収拾がつかなくなるほどではないが、間口を広げ過ぎたなあという感はいかんともしがたい。今回の悪役はクリスチャン・ベイル、ヒロインはトニ・コレットで、ベイルが犯した犯罪を目撃したコレットが逃げ回り、ベイルがそれを追いかけ回すという展開なのだが、ベイルは「アメリカン・サイコ」の方が切れまくっててよかったし、コレットも「シックス・センス」ほど重要な役というわけではなく、別に彼女じゃなくてもいい。怯える顔はよかったが。ジャクソンの同僚を務めるヴァネッサ・ウィリアムスも、そんなに出番があるわけじゃなし。それもこれも焦点が絞りきれてないせいという気がした。これはどう考えても脚本も書いて演出した監督のジョン・シングルトンのせいだな。黒人監督のシングルトンはとにかくどうしても人種差別を自分の作品に盛り込みたいようで、彼がこれまでに演出したすべての作品にそれは共通している。実際人種差別は現実に存在しているのだからそれはそれでいいのだが、でも自分で自分の枠を狭めているような気がする。そろそろ脱皮の時ではないか?






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