Sexy Beast

セクシー・ビースト  (2001年6月)

ジュライ・フォース (7月4日) の独立記念日に合わせ、今年度最大の話題作 -- スピルバーグの「A.I.」のことだ -- の公開が始まった。私が住んでいるアパートには映画館の前を通って帰るのだが、既に金曜の夜、「A.I.」に長い行列ができている。こういうハリウッド大作は何週間もやるし、公開初日に見なくては、というような、インディ映画の監督には感じる義理立てをまったく感じないので、「A.I.」は来週以降に回し、英国産の評判のスリラー「セクシー・ビースト」を見に行く。


ロンドンでのギャング稼業を引退して、スペインで元ポルノ女優の妻ディーディー (アマンダ・レッドマン) と悠々自適の生活を送っているガル (レイ・ウィンストン) のもとに、かつて一緒に仕事をした男、ドン・ローガン (ベン・キングズリー) が現れる。最後にもう一度、ロンドンの銀行の金庫破りをガルに手伝わさせようというのだ。悪意の塊であるドンは、どんな手段を用いてもガルにうんと言わさせようとするが、ガルは首を縦に振らない。ドンの態度は次第に硬化し、二人の間に不穏な空気が流れ始める‥‥


ガルが居を構えている山の斜面の瀟洒な別荘が、まるでアリゾナかニュー・メキシコという感じがしたので、彼はアメリカに隠居したのかと思っていたら、スペインということだった。映画の冒頭、その斜面を巨大な岩が転がり落ち、ガルをかすめて別荘のプールに落下するという人を食った演出で、映画の雰囲気を決定づける。面白いのは、コメディ・スリラーと銘打たれているこの作品で、思わずも本当に笑いが漏れるのはこのシーンだけしかないのだが、しかしこのシーンだけで、この映画がコメディだということを納得してしまうことである。完全な捨てエピソードなのだが、こういうシーンの撮り方で監督のセンスが試される。転がる巨大な岩の視点から見た大地のでんぐり返りなんてまったく話の本筋とは関係ないのだが、そういうのが印象に残るんだよなあ。


その後、ガルとドンの話は平行線を辿り、ロンドンの銀行を襲うという話が全然実現しない。その金庫破りがクライマックスとなるコミック・スリラーだとばかり思っていたんだが、いっこうに二人の話し合いに決着がつかないため、舞台がロンドンに移らない。結局この映画は、ガルとドンの虚々実々の駆け引きにそのほとんどを費やしてしまう。最後にもちろんロンドンでの銀行破りが描かれるのだが、その時点では映画の一番大きな山は既に終わっているという印象を受ける。よくも悪くもドンに扮するキングズリーの印象が強烈なため、彼が画面に現れないシーンの印象が薄まってしまうのだ。


この間「アンネ・フランク」で善人の典型とでも言うべきアンネの父オットー役を演じるキングズリーを見て、流石に彼はうまいなあと思ったばかりなのに、今回はまったく同情の余地のない悪役で、しかも見事にはまっている。こういう、まったく正反対の役を演じて、しかも両方とも地のように見させることのできる役者を演技派と呼べなくて、いったい誰を演技派と呼べばいいのか。どんなに演技派と言われようとも、結局その演技の質はいつも同一のものでしかないロバート・デニーロとは完全に異質の役者がキングズリーだ。


監督のジョナサン・グレイザーはジャミロクワイやレイディオヘッドのミュージック・ヴィデオを撮った流行りのヴィジュアル派で、これが初監督作。洋の東西を問わず、最近は本当にミュージック・ヴィデオ出身の監督が多い。私は凝った映像を見せられることには異議はないので、それはそれで結構だ。冒頭のプールで寛ぐガルの撮り方からでも、すぐにヴィジュアル派であることがわかる。


非常に面白かったのだが、私にとっての難関は、登場人物の喋るロンドンの下町訛りにあった。ただでさえいまだにアメリカ英語のヒアリングも完全というわけでもないのに、アメリカ人ですら苦手意識を持つ者の多いクイーンズ・イングリッシュ、その下町訛りは、これはもう強敵としか言い様がなかった。半分も聞き取れたかねえ。そういう、大まかなストーリーを追うのがやっとという理解度でも面白いと思わせるということは、実際に面白い証拠なのだが、時々、アメリカ圏外の英語映画、あるいはアメリカ南部を舞台とする映画は字幕が必要だと本気で思う。


アメリカの批評家はオリジナリティを高く評価する。この映画もそうだが、この間見た「メメント」が非常に高く評価されていたのは、これまでに見たことのなかったことを試していたからということに他ならない。「トゥームレイダー」がそれなりの金をかけたアクション・シーンを満載しているのに評価が低いのは、そのアクションも含め、すべてどこかで見たことがあるような印象を与えるからだ。「セクシー・ビースト」は、結局中間管理職的にドンやロンドンのギャングから押さえつけられるガルの悲哀や家族愛等を含め、イギリス版「ザ・ソプラノズ」であるというのが私の印象だ。でもこの映画では本当の主人公はやっぱりキングズリーなんだけれども。







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