Salt


ソルト  (2010年8月)

CIAエージェントのイヴリン・ソルト (アンジェリーナ・ジョリー) は、かつて身分を偽りながら恋に落ちたマイク (オーガスト・ディール) と今では幸せに暮らしていた。ある時ロシアの元大物スパイがCIAにタレ込んでくる。訪米予定のロシア大統領を暗殺する計画が進められているというのだ。その暗殺者の名はイヴリン・ソルトといった。いきなり大統領暗殺の疑惑をもたれたソルトは、そのまま留まるよりも逃げて自ら潔白を証明する道を選ぶ。その時からソルトは逃亡者の身となった。ソルトの専門は身の回りの品を用いて武器に転じることであり、今、彼女をその武器を最大限に利用して反撃に転じる‥‥


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「ナショナル・トレジャー (National Treasure)」のジョン・タートルトーブが三度ニコラス・ケイジとタッグを組んだディズニーの夏の大作、「魔法使いの弟子 (The Sorcerer’s Apprentice)」の評がまったくよくない。それだけでなく、実際予告編を見ても面白くなさそうに見える。これだけ金がかかっていて、なんでこんなにつまらなそうなのか不思議に思えるくらいだ。


この作品、去年の確か今頃ニューヨークで撮影していた。タイムズ・スクエ アをフェラーリで飛ばすというシーンがあって、それをドライヴァーがステアリング操作を誤り、何千万円というフェラーリを事故ったというニューズがかなり大きく報道されていた。また、うちのオフィス近くの6番街でも一週間ばかりロケしていた。ハリウッド大作は金をかけてこそではあるが、しかし、この映画、 6番街の14丁目から23丁目までのほぼすべての交差点に大きな投光器を設置して夜の撮影に挑んでいた。間のストリートには所狭しとばかりに関係者のトレイラーが停めてあって、まるっきり街並みが変わり、なにやら騒然とした雰囲気だった。


ここまで規模の大きい撮影は、 ニューヨークといえどもめったにお目にかかれないな、いったいなんという映画? と思いながら歩いてたら、アヴェニュー沿いのほとんどの街灯に、「The Sorcerer’s Apprentice」撮影のため駐車禁止というビラが貼られていた。それでこの映画のタイトルを知り、今、公開となっているのだが、しかし、あれだけ金と時間をかけて大規模の作品を撮っても、面白そうに見えない作品に、わざわざ金を時間を費やして見に行く気にはなれない。女房も見る気なしと言っているし、既に今夏最大の失敗作と烙印を捺され、客が来てないのが、そう思ったのは私だけじゃない証拠だろう。それで結局、「魔法使いの弟子」はパスし、その翌週から始まった「ソルト」を見に行くことにする。


「ソルト」は、アンジェリーナ・ジョリーがロシアの二重スパイだったとして弾劾されるCIAエージェントを演じるアクション・スリラーだ。最初はこの役、実はトム・クルーズを念頭において企画されたものだそうだ。随所に挟まるアクションが男性俳優顔負けの派手なものになっているのは、だから故ないことではない。このアクションを「ナイト&デイ (Knight & Day)」のクルーズが演じると考えると、素直になるほどと思える。


しかし通り一辺倒のアクションでは人が飽きてきたと考えたクルーズは、同じアクションでもよりユーモアを絡めた「ナイト&デイ」を優先したため、そのお鉢がジョリーに回ってきた。そのため主人公を男性ではなく女性が演じることになり、よりアクション色が強調されて視覚的に印象に残ることになった。主人公のジェンダーを変えたことは、結果として効果的だったと思う。


ニューヨークではこの映画の公開と時を同じくして、ロシアの女性スパイが素性を暴かれて国を追放になるという事件が起きた。映画ではない、現実の話だ。007じゃあるまいし、今時スパイなんてのが実際にいるのかと思ったのは私だけじゃないだろう。そりゃあま、機密情報というのは今でも存在するだろうが、それを危険を冒してまで入手する必要があるのか。


北朝鮮がアメリカの動向を窺うならまだわかる。しかし今ではほとんど同盟国に近い印象すらあるロシアが、わざわざアメリカにスパイを送り込む必要があるのか。知りたいことがあれば訊けば教えてくれるのではないか。そこまで簡単に事は運ばないかもしれないが、しかし、スパイかあ。21世紀の今時。と思ったのは私だけではもちろんなく、TVでの街頭インタヴュウでも、スパイ? 007? 今時? と違和感を表明する者の方が多かった。正直言って国家間のスパイよりは、「インセプション (Inception)」でレオナルド・ディカプリオが演じた、企業秘密を盗む企業スパイの方が、そのとる手段はともかく、存在には説得力がある。しかもこの女性スパイ、ちょっとちゃらちゃらしている印象があるとはいえ、美人なのだ。


映画の冒頭で、北朝鮮でスパイの嫌疑をかけられて拘束されたソルトと、西側で拿捕された北朝鮮のスパイが人質交換という形で交換される。それも実際にあった。アメリカだってロシアにスパイを送り込んでおり、彼の地で拘束されたアメリカ人スパイと、今回ニューヨークで捕まったロシア人スパイを交換することで話にケリをつけたそうだ。映画みたいに国境線上でお互いに武器を持って監視しながら、という感じではなく、それぞれ飛行機に押し込まれて送り返されただけ、というのが実情らしいが、考えたらその方が最も効率的でありそうに思える。わざわざ国境で一瞬即発の状態を作り出すまでもあるまい。


むろんこれらの話は、「ソルト」公開に当たっては有利に作用した。現代ではロシア・スパイ、もうそんな時代じゃないだろ、と思っている人間の方が大半だ。だから基本的に「ソルト」に興味があるとはいっても、そこはその他多くのハリウッドのスパイ映画同様、金をかけたアクションやドンパチを見るために劇場まで足を運ぶのであって、本気で現代に生きるスパイの生き様に興味があったり惹かれているわけではない。実在すら疑っている者が多い。


それがいきなり現実味を帯びた。いや、現実であることを再認識させられた。本物を目の当たりにさせられ、スパイ交換なんてニューズを見せられた挙げ句、まるでタイミングを図っていたかのように「ソルト」公開だ。CIAが「ソルト」に花を持たせようとした陰謀かと思いたくなるくらいの絶妙なタイミングだ。思うに、こういうあり得なさそうなことを現実に引き起こしてしまう底力、というか、運、勝負強さみたいなものを持っているからこそ、ジョリーはスターなんだろう。ハリウッドにいくら宣伝費をかけさせても、今回の事件ほど話題となり、耳目を集めたニューズ・ネタにはなり得なかった。


そういう、欲しいものは何でも手に入れる女、ジョリーが演じるソルトは、ロシア・スパイのダブル・エージェントだったという疑惑をもたれる。何もせずに待っているのが嫌なことと、家で待っている夫の身が心配で、ソルトはCIA本部から逃れ、追われる身となる。ソルトの専門は、身の回りにあるものを武器に転用する技術だった。果たしてソルトは本当にロシア大統領の命を狙っているスパイなのか‥‥


いやはや八面六臂の大活躍のソルトが最大の見どころであるのは言うまでもない。素のジョリーって決して運動神経がよさそうには見えないが、そこは演出と編集、撮影、音楽、CGのおかげで、スクリーンの上ではまったくそうは見えない。今回はさらに素性も定かではなく、その上、国籍性別まで自由自在だ。かつて007があまりにも人間離れし過ぎてギャグに近くなったために、人間くさいリアリティを再導入して復活してきた。人間ですらない「スーパーマン (Superman)」のようなスーパーヒーローだって弱さを克服して復活を果たしているというのに、それなのに今度は人質にとられそうな夫の存在という点を除けば、弱点のない女性版スーパー・エージェントの誕生だ。思うに、人間離れした強いヒーローというのはどの時代にも必要なんだろう。


こういう話だから、四の五の言わずに楽しんでいればいいのだが、一つ気になったのが、現実の地理の把握、描写だ。作品の半ば頃、ニューヨークに現れたソルトが、マンハッタンを離れる橋の上で車の中から脱出するというシークエンスがある。私もかつてクイーンズに住んでいた頃はよく利用したクイーンズボロ・ブリッジで、アッパー・ブリッジを使ってマンハッタンからクイーンズに向かう出口近くは、下りの右曲がりと左曲がりの急カーヴが連続して続く。ここを通る度に、面白いカー・アクションが撮れそうな場所だなといつも思っていた。


その場所がしっかりと利用されており、そう思っていたのは私だけではなかったことが証明された。それはいいのだが、そのシークエンスの最後で、実は車が一通を逆走している。本来ならば当然こちらに向かってくるはずの一般車両と正面衝突だ。これは映画であり、虚構なんだから、面白い絵が撮れればそれで充分という意見ももっともだと思うが、しかし、現実の場所を利用しているのであるからには、その制約を逆に逆手にとることはできなかったのかとどうしても思ってしまう。私が「アイ・アム・レジェンド (I Am Legend)」を評価するのは、この映画が街も出演者の一部ということを理解しており、この角を曲がれば何が見えるはずという地理をおろそかにしていないことで、舞台を知っている者にとっては、こういう細部への気配りは嬉しい。そのことが作品に奥行きを与えるのだ。「ソルト」にもそういう配慮があってもよかったと思う。


とはいえ「ソルト」が楽しめる作品であることは間違いない。悩めないと前に進めないスーパーヒーローばかりに頼らないといけない現在、こういう軸のぶれない存在というのは頼もしいのは事実だ。それが虚構でも現実でも、実際に自分の欲したものを最終的に手に入れてしまうジョリーが演じるのならなおさらだ。どう見てもシリーズ化を念頭に入れた終わり方になっていたし、ソルトが再び我々の前に姿を現す日も近い。








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