Run All Night


ラン・オールナイト  (2015年3月)

「ジュピター (Jupiter Ascending)」の監督がウォシャウスキー姉弟と気づくのが遅くて、あっと思ったら既に不評不入りで、限られた劇場で夜遅くにしか上映していない。しかしやはり、予告編で旬のミラ・クニスやエディ・レッドメインはともかく、ドーラン塗りまくりヘンな化粧のチャニング・テイタムを見たら、普通の映画ファンなら見る気なくすと思う。「マジック・マイク (Magic Mike)」のSF版じゃあるまいし、誰がこんなヘンな作品撮ったんだ、と思っていた。


それでたまたま監督がウォシャウスキー姉弟であることを知って、しまったと慌てて、わりと遠くでやっている劇場まで手を伸ばして調べてみた。ところが、やっと週末日中上映している劇場を見つけたと思ったら、私がはまったく惹かれない、というか、目が疲れる上にメガネのせいで鼻の付け根が痛くなるので率先して避けている3D上映だったりして、これでは見る気にならない。とういうわけで、今回はウォシャウスキー姉弟は諦める。「クラウド・アトラス (Cloud Atlas)」は頑張っていると思ったんだけどねえ。


で、今回の「ラン・オールナイト」だ。つい先頃「96時間/レクイエム (Taken 3)」で見たばかりのリーアム・ニーソンがまたまた主演、近年得意の怒れる壮年男もので、また世の中の悪い奴らや不条理相手に、これでもかとばかりに弾丸を撃ち込む‥‥というと聞こえはいいが、実はどれもこれも私生活では悩みを抱える問題だらけの男が、止むに止まれずアクションとヴァイオレンスに巻き込まれていくと言う方が近い。「ラン・オールナイト」では、ある元殺し屋が歳とってアルコール漬けになるという設定で、キャラクターとしては印象が近いのは「フライト・ゲーム (Non-Stop)」か。考えたら「ラン・オールナイト」も「フライト・ゲーム」も演出はジャウム・コレット-セラだ。よほどニーソンがお気に召したようだ。


「ラン・オールナイト」でのニーソン演じるジミーは、ギャングの殺し屋だったが、今では自責の念もあって、ほとんどアル中の廃人として、かつてのボスのショーンのお情けにすがって生きている。そういうジミーを嫌っていた息子のマイクは、今ではジミーと縁を切って、リモ・ドライヴァーとして自分の家庭を持っていた。しかしある時、マイクはショーンの息子のダニーのいざこざに巻き込まれ、消されようとする。マイクの危機を察知したジミーは、逆にダニーを撃ち殺す。そのことはジミーとショーンとの決別と報復とを意味していた。


近年、マンハッタンはあまりにも都会化され洗練されて、ギャングのような社会のはみ出し者的存在の収まりが非常に悪くなった。そのためマンハッタンでギャング、と聞いても違和感がある。既に「ゴッド・ファーザー (Godfather)」の時代は遠く、今ではリトル・イタリーとは名ばかりで、チャイナタウンにほとんど呑み込まれてしまっている。まだチャイニーズ・マフィアの方が納得できる。


そのためか近年ニューヨークでギャングというと、ほとんどがブルックリンで営業しているという印象を受ける。「ラン・オールナイト」のショーンもそうだし、昨年の「ザ・ドロップ (The Drop)」もそうだった。舞台が80年代とはいえ、「ア・モスト・ヴァイオレント・イヤー (A Most Violent Year)」で主人公がビジネスの拠点とするのもマンハッタンを川向こうに控えるブルックリンだった。今でこそパークスロープ一帯を中心とするお洒落な町というイメージが浸透しているが、東側に寄ると今でもニューヨークで最も危険な地域が存在するのもブルックリンだ。そういや「アンダーカヴァー (We Own the Night)」も舞台はブルックリンだった。


そしてこれらの映画は、皆等し並みにできがいいことも共通している。なぜブルックリンを舞台にギャングを撮るとできのいい映画ができるのか。そしてそのことは「ラン・オールナイト」も例外ではない。見る前までは、ちょっとニーソンを見る頻度が高過ぎるかなと思っていたのだ。どちらかというとまだ「ジュピター」の方に後ろ髪を引かれていた。実際の話、今は落ちぶれたアル中の昔ギャングの用心棒という荒筋だけを聞くと、「ラン・オールナイト」は陳腐だとすら言える。ところがどっこい、結構皆ツボにはまって、これがなかなかいいのだ。


コレット-セラによる演出は、「フライト・ゲーム」にも増してタイトでスピード感があり、ブルックリンでここまでやるかというカー・アクションも結構いいし、コモン演じる非情なプロの殺し屋というマンガみたいな設定のキャラクターですら、思わず手に汗握らせる。最後は、たとえ昔腕のいい殺し屋だったにせよ今ではろくでなしのアル中でしかないはずのジミーが、まるで007かジェイソン・ボーンみたいな活躍をするのだが、その時までに充分乗せられているので、気にならずに楽しんだまま最後まで見れる。


オープニングで主人公が撃たれてよれよれで、なんでこんな風になったかとこれまでを回顧するという出だしで思い出すのは、やはり引退した凄腕のヒットマンを描く、昨年のキアヌ・リーヴス主演の「ジョン・ウィック (John Wick)」だ。主人公に元雇い主のギャングが絡み、ちょっかいかけてきた無鉄砲な息子を撃ち殺すことでギャングとの全面抗争に発展するという展開も同じ。そして特定されていなかったと思うが、「ジョン・ウィック」も実は背景はかなりの部分ニューヨーク近郊だった。


ただし「ジョン・ウィック」は明らかにニューヨーク以外で多くを撮影しており、遠景だけはマンハッタンの摩天楼だが、中身はかなり西海岸っぽさを滲ませ、ホテルはなんかヨーロッパくさいなど、結果としてかなり無国籍的な印象を、意図的かどうか作り出していた。結構面白かった「ジョン・ウィック」が、「結構」ではなく「非常に」面白くなり得なかったのは、舞台をブルックリンに特定しないことでブルックリン・ギャング映画の流れに乗り損ねたからではないのか、と今になって思う。









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ジミー (リーアム・ニーソン) はかつてショーン (エド・ハリス) が率いるギャングの手先として、多くの者を闇に葬ってきた暗殺者だった。しかしその代償は、死んでも誰にも言えない罪の意識としてジミーに重くのりかかり、今ではアルコールなしでは生きられない身体になっていた。ショーンの息子ダニー (ボイド・ホルブルック) は稼業をもっと大きくしたいと考えていたが、今では完全な合法ビジネスに移行しているショーンは、ダニーの意見に耳を貸さない。勝手に進めていた話をチャラにするために、ダニーはビジネスの相手を撃ち殺す。その時相手を乗せてきたリムジンを運転していたドライヴァーに逃げられるが、そのドライヴァーこそ、ジミーの一人息子のマイク (ジョエル・キナマン) だった。ダニーがマイクを見逃しはしないことを誰よりもよく知っているジミーは、今では関係を絶っていたマイクの家を訪れ、そこに現れたダニーを撃ち殺す。今やジミーとマイクは、ショーン配下のギャングの全員から追われる身となっただけでなく、さらにショーンはプロの殺し屋 (コモン) にもダニーとジミーの暗殺を依頼する‥‥


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