RoboCop


ロボコップ  (2014年2月)

ヒット映画のリメイクは今に始まったことではないが、今回は「ロボコップ」だ。オリジナルの「ロボコップ」が公開されたのが1987年だから、その時から数えて27年、1993年公開のシリーズの最終第3作からは20年余が経っている。それに一昨年には、その「ロボコップ」を演出したポール・ヴァーホーヴェンの、同様にクラシック化した1990年のSF、「トータル・リコール (Total Recall)」が既にリメイクされている。「ロボコップ」がリメイクされても不思議ではないか。


オリジナルの「ロボコップ」は、エログロ、畸形、フェチ、等のキー・ワードと共に語られるヴァーホーヴェンが、やはり癖のあるピーター・ウェラーを主人公として撮ったことで、屈指の異形ヒーロー映画として映画史に名を留めることになった。


一方「ロボコップ」がシリーズになったとはいっても、作り手が変われば内容、テイストも変わる。「ロボコップ」もオリジナルのキッチュなテイストはヴァーホーヴェン独自のものであり、その後の「ロボコップ2」、「3」にはまったく受け継がれることなく終わった。正直アーヴィン・カーシュナーが演出した「2」はオリジナルの毒も畸形性も薄められてしまって印象に残らず、今では綺麗さっぱり忘れている。


そして今回のリメイクで演出を務めるのは、ブラジル出身のジョゼ・パディーリャで、聞いたことがないなあと思っていたら、リオ・デジャネイロで起こったバス・ジャック事件をとらえたドキュメンタリー、「バス174」の監督だった。「バス174」は数年前アメリカでも注目され、HBOでも放送されるなどしたから、ドキュメンタリー好きなら誰でも知っている。そのパディーリャがドキュメンタリーではなくドラマの、しかも「ロボコップ」のリメイクを演出する。


ドキュメンタリー→ドラマ路線と言えば、近年では「キャプチャリング・ザ・フリードマンス (Capturing the Friedmans)」を経て「キング・オブ・マンハッタン (Arbitrage)」を撮ったニコラス・ジャレッキという例が思い浮かぶが、それでもそんなに多くはいまい。だいたいドキュメンタリー畑の人間は、最後までドキュメンタリー一辺倒という方が多い。ドラマとドキュメンタリーでは、題材に対するアプローチの仕方がまったく違うからだ。それでも、ドキュメンタリーとはいえ人間ドラマと言える「キャプチャリング・ザ・フリードマンス」と、「キング・オブ・マンハッタン」を撮ったジャレッキはまだわからんではないが、「バス174」から「ロボコップ」というのはかなり違和感ある。あるいは「ロボコップ」をSFというよりも社会派ドラマだと考えれば、実は通底して共通するものが見えてくると言えるか。治安が決していいとは言えないだろうリオでは、本気でロボコップの到来を待ちわびている民衆が多いのかもしれない。


作り手以外の最大のポイントは、やはりマーフィの人選だろう。その新しいロボット俳優として起用されたのは、AMCの「ザ・キリング (The Killing)」のジョエル・キナマンで、元々作り物くさい顔の上にぼそぼそと口を大きく開けずに喋る。なるほどこれはなかなか悪くないキャスティングだと思わせる。


オリジナルではそのマーフィとペアを組む制服警官として、ナンシー・アレンが扮したアン・ルイス警官がいた。ブライアン・デ・パルマ作品の常連であるアレンは、多少肉のついたぽっちゃりと可愛げのある色気を発散するタイプで、「ロボコップ」では主人公のウェラーを差し置いて全3作に出ている、いわば裏主人公だ。特にまだ第一線で男性警官と同等に職務をこなす女性警官というものを見慣れてなかった日本で、制服に身を包んだぽっちゃりアレンと痩せぎすのウェラーとのコンビはかなり斬新で印象に残った。毎回アレンを見るのを楽しみにしていた男性ファンは多いはずだ。


今回はそのルイス警官が消え、代わりにアビー・コーニッシュがアレックスの妻クララを演じている。さらに息子までいる。要するに仕事ではなく家族における環境の方に重点が置かれている。一方で悪徳大企業のオムニコープは、CEOのセラーズにマイケル・キートン、ロボコップを開発する科学者のノートンにゲイリー・オールドマンが扮している。セラーズのマッチョな右腕マトックスにジャッキー・アール・ヘイリー、マーケティングのジェニファー・イーリー、ジェイ・バルシェル、そしてロボコップ配置推進派のTVパーソナリティにサミュエル・L・ジャクソンと、このキャスティングはかなり楽しい。


そして実際、ヴァーホーヴェンの「ロボコップ」を期待しさえしなければ、今回のリメイクはなかなかよくできていると言えるのではないだろうか。ごく一般的な犯罪に銃器が使われ、一般人が一般人を銃で乱射して大量殺戮するという事件がほとんど日常茶飯的なものになりつつある現在、「ロボコップ」が現実化する可能性は、高まってこそいても決して減じていない。ロボコップみたいな存在を欲しているのは、決してジャクソン演じる右傾のTVレポーターだけではない。


近年のスーパーヒーローは、スーパーマンにせよバットマンにせよスパイダーマンにせよ、うじうじ自分の存在理由について悩んでばかりいる者が多く、正直言ってそんなの頼りにならない。民衆が欲しているのは、四の五の言わずに悪人には容赦なく鉄槌を下す、ロボコップ的な正義の味方なのだ。むろんそれはそれで暴走すると怖いのは映画が描いている通りなのだが、それでもロボコップ的存在がいればと夢想する者は多いだろう。


一つ惜しいと思ったのが、あれがあればなあと思ったテーマ音楽で、オリジナルであのテーマが流れると、待ってましたロボコップ、という興奮があったのだが、今回はそういう耳に馴染みやすいテーマがなかった。今回もシリーズ化できるかどうかの鍵は、テーマ音楽が握っていたように思うのだが。また、クライマックスでは、人間や上司に銃を向けることのできないようプログラムされたロボコップが、いかにして自分を窮地に陥れた人間に向かって銃を向けるか、そして撃つことができるのかという葛藤を克服するかが焦点になっている。その解決法が、うまくギャグをブレンドして思わず笑ってしまったオリジナルと、シリアスで通した今回のテイストの差を端的に現していた。たぶんヴァーホーヴェン版に軍配を上げる者の方が多いとは思うが、しかし、今回のヴァージョンでも第2弾ができてもいいかな。












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2028年。オムニコープ社は生身の人間に代わる人型ロボットと大型の攻撃用ロボットを世界主要都市に配置し、治安を維持していた。しかしアメリカではロボットに人間に攻撃を加えることのできる能力を持たせることに不安を感じている人々も多く、世評はロボットを信頼して多用するかどうかで割れていた。オムニコープ代表のセラーズ (マイケル・キートン) は人々の信頼を勝ち得、政治家からお墨付きを得るために、専任科学者のノートン (ゲイリー・オールドマン) を焚きつけて、人間の感情の機微がわかる新型ロボットの開発をせっつく。一方デトロイトでは犯罪が多発しており、アレックス・マーフィ刑事 (ジョエル・キナマン) はクルマに仕掛けられた爆弾のために大怪我を負う。マーフィを助けるためには身体のほとんどをロボット化せざるを得ず、セラーズとノートンは、基本的に心はマーフィだが、身体をロボット化したロボコップを製作する‥‥


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