Robin Hood


ロビン・フッド  (2010年5月)

13世紀。英獅子王リチャードについて弓士としてフランス征服の遠征に従事していたロビン (ラッセル・クロウ) は、その奔放な振る舞いのために英軍内でも手の余る存在だった。しかしリチャード王は戦死し、ロビンは英国に帰る。その途中、フランスと通じているゴッドフリー (マーク・ストロング) によって待ち伏せされ、瀕死の重傷を負わされた一人の騎士の死を看取る。ロビンは彼の形見の刀剣を携えて故郷のノッティンガムに戻る。そこには重税や盗賊に苦しみながらもよき支配者たらんとするウォルター (マックス・フォン・シドウ) と、未亡人となったレイディ・マリアン (ケイト・ブランシェット) がいた。ウォルターに歓待されるが、しかしマリアンからは今一つ信用されないロビンは、一時ウォルターの息子の代わりとして、村を圧政や盗賊から守るよう要請される‥‥


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実は「ロビン・フッド」は、それほど誉められていない。「グラディエイター (Gladiator)」のリドリー・スコットとラッセル・クロウの黄金コンビ作品で、まあ「プロヴァンスの贈りもの (A Good Year)」のような例外的な作品もあるが、しかし「アメリカン・ギャングスター (American Gangster)」「ワールド・オブ・ライズ (Body of Lies)」等、この二人が組むと骨太アクションという印象が定着しているにしては、聞こえてくる「ロビン・フッド」評は、なにやら冴えないものばかりだ。


どうも弱い者の味方、義賊ロビン・フッドの伝説が誕生したのそもそもの発端を描く歴史ものにしては、様々な要素を詰め込み過ぎて、単純にヒーローものとして話を楽しむにしては、多少話が入り組んでわかりづらいのが一番のネックになっているらしい。庶民のヒーローを描くにしては、なんで話がわかりにくいのかというわけだ。


さらに、ロビン・フッドというテーマは多少手垢がつき過ぎているのも事実だ。さすがにダグラス・フェアバンクスとかエロール・フリンのロビン・フッドをすぐ思い出すほどオールド・ファンは今では少ないだろうが、それでも私の世代ならケヴィン・コスナーのロビン・フッドを思い出してしまう。今現在でも、TVでは英BBC製作の「ロビン・フッド」がBBCアメリカで放送中だ。これでは特にまた新しくロビン・フッドものを製作しようとする意図が見えない。特に観客が特に新しいロビン・フッドに食指をそそられるかというと、何か特別なサムシング・ニュウがない限り、見に行こうという気にならないのも充分わかる。


しかも今回の映画化では、ロビン・フッドは弱きを助け悪をくじく庶民の味方としては基本的に活躍しない。ロビン・フッドがそういう風に伝説になるまでを描く、いわば英雄の前日譚として製作されているからだ。一介の反抗的な弓の射手としてリチャード獅子王の十字軍遠征に従事し、王の死と共に英国に帰ったロビンが、そこでレイディ・マリアンと出逢い、圧制に抗し、シャーウッドの森に籠るまでを描く。ロビン・フッドの本当の活躍はそれからなのだ。


さらに、このロビン・フッド、昔からロビン・フッドの物語に親しんできた我々の視点から見ると、いささか歳をとり過ぎている。むさいし気のせいか腹が出ているようだし、これから庶民の味方として活躍するにしては泥臭過ぎる印象は否めない。その上、話は英国内だけの話ではなく、英国に踏み込もうとしているフランスも絡む。これでは庶民の救世主ではなく国の英雄なのだが、それがまた、なんとなくロビン・フッドとそぐわないような印象を受ける。


なんてネガティヴな印象が結構まとわりついているのだが、では作品が面白くないかというと、まったくそんなことはない。いつものスコットらしい骨太な演出とクロウのこれまた骨太演技が実はかなりよく噛み合って、なかなか見応えのある作品となっている。クロウだからロープを使って木から木へ渡り移るなんて、なんとなく我々がロビン・フッドに持っている軽業的所業ははっきり言って無理だが、しかし中年ロビン・フッドが、最終的にはこれもありと思わせられるのは、やはりこの二人の力によるところが大きい。


そしてなによりもこの作品のいいところは、作品がロビン・フッド前日譚であるという責任をきっちりと果たしている‥‥つまり、全篇にわたってロビン・フッドという伝説が誕生する予感を充満させているところにある。時代や圧政、野盗に苦しめられる人々を助ける、彼らの味方、ヒーローが出現してくる、そういう期待、予感が通奏低音となって全篇を支配しているのだ。要するに、近来で最も正統なヒーローものとすら言えるのが、「ロビン・フッド」なのだ。


近年、スーパーヒーローがその存在意義に悩む作品が多く発表されているが、ロビン・フッドの時代はそれとは無縁だ。真っ当に働いている自分たちを苦しめるものが悪なのであり、それは形を持って明確に存在している。とすれば、後は立ち上がるだけだ。そういうシンプルな真理を映画は体現してくれる。こういう作品は気持ちがいい。最近のヒーローは悩み過ぎだと断じたくなる。


むろんだからといってロビンが迷わなかったり惑わないというわけではない。彼は彼なりに自分の行動が正しかったか、これでよかったかと頭を悩ませるわけだが、行き着く先は誰の目にも明瞭だ。だからそこへ向かってストーリーが加速していく快感がある。弓を放てば、それは敵に当たるのだ。


クロウはそういうロビン・フッドをうまく体現している。かつてケヴィン・コスナーがロビン・フッドを、意外にもかなり様になってうまく演じたように、クロウも、意外にも最後にはちゃんとそれを信じられる。格好いいと思わせるアクションン・ヒーローとしての弓の射手としてのシーンもちゃんとある。


ロビンを助ける旧時代の領主ウォルターを演じるのがマックス・フォン・シドウ、その息子の嫁レイディ・マリアンにケイト・ブランシェットが扮しており、二人とも近年では最もよい。シドウは「シャッター・アイランド (Shutter Island)」よりもこちらが、ブランシェットも「ベンジャミン・バトン 数奇な人生 (The Curious Case of Benjamin Button)」よりもこちらの方がよかった。裏表のないシンプルな役を思い切り楽しんで演じたという感じ。


フランスと通じるゴッドフリーを演じるマーク・ストロングは、「シャーロック・ホームズ (Sherlock Holmes)」に続いての憎まれ役。どうもこういう役を振られやすい体質のようだ。思わずにやりとしたのがリトル・ジョンを演じるケヴィン・デュランで「3時10分、決断のとき (3:10 to Yuma)」ではクロウ演じる主人公のベンにいいようにあしらわれる格下に過ぎなかったものが、今回はロビンを支える側近だ。出世した。








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