実はニコール・キッドマン主演の「奥さまは魔女」を見に行こうと思っていたのだが、評が芳しくない。それにどうも今回はサマンサを演じるキッドマンが世の女性陣の好感を得てないらしく、まず、女房が頑強に反対する。女房のオフィスでも女性同僚はあんな映画の何が面白そうに見えるわけ? と意見は一致しているそうだ。たぶんキッドマンが出ているから見たいと思う男性陣と、あまりにも印象が定着している「奥さまは魔女」のリメイクということで、ほとんど感情的に反発する女性陣との受ける印象の差という気がする。


いずれにしても女房を中心にあまりにもネガティヴな意見を周りで吹聴されたせいで、だんだん私も、そんなに面白くなさそうだったら今回は見ないでもいいかあ、という気に傾いてきた。というわけで今回は多少後ろ髪を引かれるような気はしないでもないが、まるっきりタイプは別のドキュメンタリー「ライズ」を見に行った。


「ライズ」は、L.A.のストリート・ダンス・シーンで近頃注目されている、クランプ (Krump) あるいはクランピング (Krumping) と呼ばれるダンスに入れ込む人々をとらえる作品である。どういうダンスかというと、ほとんど痙攣しているとしか思えないような高速筋肉ふりふり運動を最大の特色とし、それにヒップ・ホップ的な要素も加味している。たぶん実際に痙攣を意味するcrampから来ているんじゃないかと推測する。


クランプは、L.A. の最もやばい地域であるサウス・セントラルで始まった。ということはこのダンスを踊るのは基本的に低所得者層、端的に言って黒人層だ。しかもそのそもそもの始まりは、L.A.でプロのピエロとして働くトミー・ザ・クラウンが、92年のロドニー・キング殴打事件とそれに続く暴動に触発されて創始したということになっているらしい。そのため、その跡を継ぐクランプ・ダンサーは多くがほとんど素顔がわからないまで顔にピエロまがいのメイクを施し、実際、誕生パーティ等のピエロとして生計を立てている者が多い。その一方でこういうメイクには当然、戦闘に赴く戦士たちの装いの意味もあろう。


L.A.で最も金のない地域に生まれた彼らにとって、踊ることは最も手っとり早く自己主張できる手段だった。彼らにとってはクランピングはすなわち生きる目的であり、同義ですらある。そのため勢いクランピングにかける情熱も並々ならないものがある。現在ではクランピングは亜流も多数生み出すまでになっており、彼らはお互いにライヴァル視して現在に至っている。


「ライズ」ではそのうち、トミー・ザ・クラウンとその直系のグループ、および対抗するグループが、いわゆるラップ・バトルのように巨大会場でクランプ・ダンスのバトルを行う。両グループから交互にダンサーが出てきて踊り、会場の観客の声援の大きさによって勝者を決めるという、ラップ・バトルと同様の進行だ。これがまた尋常じゃないくらい盛り上がる。たぶん、何も知らずにたまたまこのバトルを目撃することになった者の反応は、最初唖然、そして苦笑か爆笑になるんじゃないかと思うが、そう思うくらいクランプは常軌を逸している。実はあまりのこちらの想像を絶した超絶ダンスに、私も圧倒され、開いた口が塞がらず、そしてどうしてもところどころ笑ってしまう。笑いすぎて涙がこぼれるくらいだ。


「ライズ」は観客を獲得しにくいドキュメンタリーということもあり、L.A.ではどうかは知らないが、NYでは特に強く推されているというか、多くの劇場で拡大公開しているわけではない。私が住むクイーンズでも近場ではやってなく、それでクイーンズでは特に黒人人口密度の高いジャマイカ (もちろんクイーンズのジャマイカだ) の劇場まで足を運ばなければならなかった。


そういう場所と映画の内容ということもあるだろう、別にその映画館に来たのは初めてというわけではなかったのだが、今回に限っては場内が異様な雰囲気で盛り上がる。我々夫婦以外はすべて黒人観客という中にいたせいもあったのかもしれないが、ほとんど場違いな場所にいるという空気をひしひしと感じてしまった。ここはL.A.ではないのだが、やはりクランピングは黒人の専売特許であり、他の人種が入り込む余地はない、みたいな他の観客の無言のプレッシャーを感じてしまったのは気の回しすぎか。


私は昔一度似たような体験をしたことがあるのだが、その時は知人が撮影を担当したゲイ・コメディが上映されるというので、ヴィレッジの劇場に赴いた。そしたら、当然というかなんというか、観客の90%以上がゲイのカップルで、私の席の前も後ろも右も左もゲイのカップルが座り、お互いに腕を回して (なぜだかゲイのカップルって必ずと言っていいほど人前でもいちゃつくのを止めない) それぞれの世界に浸っている。さすがにその時は、自分が部外者、異邦人という感覚を嫌というほど味わったのだが、今回の「ライズ」は私にその時の感覚を思い出させただけでなく、そこはかとなく身の不安まで感じてしまった。つまり、たぶん、やはり「ライズ」は黒人にとっては部外者が興味本位に鼻を突っ込んでいい作品じゃなく、我々は彼らがそう思っているその匂いを感じとってしまったという気がする。


作品を見終わってトイレに入ると、黒人少年たちがたむろってこちらをちらちらと窺っており、なんかいい気分じゃないなあと思いながら手を洗っていると、こういう場所でひげを剃った奴がいるのか、使い捨てのひげ剃りが置かれている。うーん、映画館というよりも単なる公共施設のトイレだな。しかし、普通、空港以外のトイレでひげを剃る奴は、だいたいがホームレスと相場が決まっているのだが。やはり黒人文化、黒人の流儀というのは厳然としてあるなということを実感させられた「ライズ」鑑賞であった。






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Rize   ライズ  (2005年7月)

 
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