Righteous Kill


ライチャス・キル  (2008年9月)

NYPDのターク (ロバート・デニーロ) は生っ粋の刑事だったが、時として感情的になる嫌いがあった。そんなタークとルースター (アル・パチーノ) は長年コンビを組んでうまくやっていた。殺人事件が起き、死体の傍らにはわざわざ詩を書いた紙が残されていた。さらに殺人が起き、事件は連続殺人事件の様相を呈してくる。しかも被害者は過去にタークやルースターとなんらかの関係があった犯罪者ばかりであっただけでなく、状況から、すべての手がかりはタークを犯人として示していた。NYPDのペレス (ジョン・レグイザモ) とライリー (ドニー・ウォールバーグ) は、タークに的を絞って捜査を始める‥‥


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マイケル・マンの「ビート」に続くロバート・デニーロとアル・パチーノの共演昨だ。しかし今回は特に積極的に誉められているわけではなく、むしろどちらかというと貶している媒体の方が多いのだが、それでもデニーロとパチーノだし、ニューヨークが舞台だし、アクション・スリラーだし、ま、いいかと見に行った。


冒頭、長年のNYPD生活から引退も間近の刑事ターク (デニーロ) が、自分の罪を告白するシーンから始まる。どうやら激情型の彼は、うまく司法から逃れている犯罪者に個人的に正義の鉄槌を下しているらしい。引退を前に先走り過ぎているらしいのだが、それが現代社会では認められないのは言うまでもない。


そういう彼をサポートしているのが、コンビを組んで30年になる相棒のルースターと、男女の付き合いのある鑑識課のカレン (カーラ・グギノ) だ。しかし連続殺人の犯人がタークの可能性が大きいとなると、彼らだってかばい切れない。同僚のペレスとライリーは表面上は普通にタークとつき合いながら、裏でタークの足取りを調べ始める。そして調べれば調べるほど、タークは黒という心証が支配し始める‥‥


デニーロとパチーノというと、誰がどう見ても映画史の1ページを占める大物俳優だ。たぶん現役演出家の多くはデニーロとパチーノを自分の作品で共演させたいと夢見たことがあるに違いないだろうが、この二人を共演させてつまらない作品を撮ったりするとほとんど自分の首を絞める結果になりかねない。それで同一作品ではあるが共演とは言えないフランシス・コッポラの「ゴッド・ファーザー2」以来、誰もが夢想するだけで本気で二人を共演させようとは考えなかった。マイケル・マンの「ヒート」までは。


そして今、「ライチャス・キル」だ。ただし「ヒート」の時とは違って、デニーロもパチーノも全盛時代のオーラを求めようとするのはさすがに無理がある。むろん、だからこそ今のデニーロとパチーノを起用するというアイディアがわりと簡単に実現する。デニーロがあと20パウンド痩せていた時代にこの企画が実現できたとは到底思えないが、しかしそうでもなければまた我々の目が黒い時に二人が共演できたとも思えないから、これはこれでこの作品を楽しむのがファンの正しい姿勢というものだろう。


と思っていたからこそ見に行ったわけだが、どうも世評はそうではないようで、なんか、この作品を誉めている意見をほとんど聞かないし目にしない。正直言って、特に誉める作品ではないと私も思うのだが、しかしこの映画は誉めたり貶したりする類いのものではないんじゃないか。


だいたい、大物デニーロが作品の冒頭、自分の犯罪の告白をするシーンからして、これは作品の登場人物の刑事タークというよりも、現しているのは俳優デニーロだ。見ている観客がデニーロという人間を知っているからこの導入部が意外性があって機能する。もし観客がデニーロを知らなければ、意外性のある出だしという点ではてんで的外れも甚だしい。


その後も映画をドライヴするのは、果たして本当にターク=デニーロは連続殺人犯なのか、もしそうだったとして、どうやってそれを正当化するのか、それとも本当にターク=デニーロは悪人のままで終わってしまうのかという疑惑/サスペンスだ。むろん「ヒート」だってデニーロが演じたのは基本的に犯罪者だが、犯罪者というのと悪人というのは必ずしも一致しない。だからこそ「ヒート」ではデニーロにも肩入れできたわけだが、「ライチャス・キル」ではたとえそれが正義の鉄槌という名目がありこそすれ、キャラクターに感情移入することは難しい。むろんそれによって本当にデニーロが犯人なのか、彼がやったのかという疑惑がサスペンスとなって引っ張ることができる。


一方、そういう展開からでもわかる通り、デニーロ - パチーノ共演といっても、おかげで実質上「ライチャス・キル」は、デニーロ主演、パチーノ共演という印象の方が強い。ま、デニーロをサポートする強力な相方が必要だったのはわかるから、ここはこれを受け入れるしかあるまい。それでもちゃんと最後に二人の見せ場を持ってくるのだが、なんか、これってほとんどお約束の展開じゃないのかと思ってしまった。「ヒート」の焼き直しだ。でも、しかし、やはりこういう展開にするしかなかったんだろう。なまじ大物を共演させると、作品の内容と期待度を両方案分しないといけないから難しい。


主演の二人ばかりに目が向かいがちだが、脇を固めるのがドニー・ウォールバーグ、ジョン・レグイザモ、カーラ・グギノ、ブライアン・デネヒー、ラッパーの50セントと、実は周りもかなり強力だ。特にデニーロ-パチーノに絡むもう一組の刑事ペアをウォールバーグとレグイザモが演じているわけだが、この二人、昨年TVミニシリーズの「ザ・キル・ポイント」で共演しており、その時はレグイザモが悪役、ウォールバーグが刑事役だった。さらに主演のレグイザモがそこでやりたかったことは、明らかに自分流の「ヒート」の焼き直しだった。この二人がデニーロとパチーノ作品に出ないかと打診されれば、内容なんか関係なく一も二もなく承諾したろう。


「ライチャス・キル」は、レグイザモとウォールバーグというデニーロ/パチーノ心酔者が、この二人 (というかデニーロ) が怪しいと裏で手を回すのだが、それはむろんひねった愛情の裏返しだ。特にやはりレグイザモには、可愛さあまって憎さ百倍的にデニーロをつけ狙うストーカー的偏執さが感じられる。考えたらレグイザモとデニーロは「ザ・ファン」で既に共演しているのだが、そこではデニーロが演じていたのが偏執狂的なベイスボール・ファンだった。


紅一点的な役のタークの恋人カレンに扮するグギノは、TVで主演していない時は映画でいつももったいないと思う使われ方をしているのだが、実はそれはここも例外ではない。彼女の魅力が詰め込まれた「カレン・シスコ」みたいな作品を映画で見たいと思うのは無理な注文か。また、先週見てなかなか感銘を受けた「フローズン・リヴァー」主演のメリッサ・レオが、とある事件の追い込まれた被害者という役どころでここでも出ている。彼女はどうしても被害者役でタイプキャストされやすい。だからこそ「フローズン・リヴァー」での起死回生の当たり役が大きく印象に残る。


演出はジョン・アヴネットで、パチーノの前作 (で、こけた) 「88ミニッツ」も撮っている。最近は映画ではヒット作を目にしないが、昨年のTVのデブラ・メッシング主演の話題作「ザ・スターター・ワイフ」とかも撮っている。調べてみるとTVではたぶんウォールバーグの代表作と言っていいだろう「ブームタウン」を製作演出していた。しかし本人はなんか映画で一発当てたいだろうなあ。







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