Resident Evil: Afterlife


バイオハザードIV アフターライフ  (2010年9月)

東京。アリスは 渋谷の地下に張り巡らされた要塞のようなアンブレラ社の中枢部に潜入、徹底的に破壊するが、ボスのウェスカー (ショーン・ロバーツ) に逃げられる。アリスはセスナ機でアラスカに向かい、そこで記憶を失っているクレア (アリ・ラーター) に再会する。二人はLAでアンデッドに包囲された刑務所内に、まだ生き延びている人間たちを発見する。その内部には、隔離されている謎の男クリス (ウェントワース・ミラー) もいた。生き延びた者たちは、人類存続の最後の希望である、沖合いに浮かぶ船アーケイディア号に向けて出発する‥‥


___________________________________________________________




















「バイオハザード」シリーズの最新作は、流行りの3Dだ。まあ、アクション満載のようだからそれなりに楽しめる3D作品に仕上がっているんだろうとは思うが、かといって、最近雨後の竹の子のように連続して公開されている3D作品には、実は正直言ってやや食傷気味であり、こういうギミックもたまに見る分には楽しめるが、こうも3D作品ばかりだと、さすがに飽きる。いつもより割り増しの金を出して、結果がM. ナイト・シャマランの「エアベンダー (The Last Airbender)」みたいだとがっかりだしなとも思ってしまう。


というわけで「タイタンの戦い (Clash of the Titans)」の時と同様、わざわざ3Dではない2D上映の回を選んで見に行く。3D技術は日進月歩で進んでおり、そのうち3Dが標準の上映システムになるかもしれないが、しかしとにかくあの3Dメガネをかけずに3D作品が楽しめるシステムを構築して欲しい。TVではもうメガネなしで3Dが見れるようになりつつあるらしいから、映画上映だって不可能な話ではないだろう。そうなったら3D作品をもっと高頻度で見てもいい。


「バイオハザード」シリーズは、最初の2本を見て後、シリーズ第3弾の「バイオハザードIII (Resident Evil: Extinction)」は見ていない。私は特に「バイオハザード」シリーズのファンというわけではないが、主演のミラ・ジョヴォヴィッチはかなり気に入っており、どうして「III」は見てないのかと思って公開当時をチェックしてみたら、「III」が公開された2007年9月は、「3時10分、決断のとき (3:10 to Yuma)」に始まって、「イースタン・プロミス (Eastern Promises)」「告発のとき (In the Valley of Elah)」「フィクサー (Michael Clayton)」「ラスト、コーション (Lust, Caution)」、その後も佳作傑作が目白押しでそれらの作品の公開が年末まで続いたここ数年で最も充実していた時期であり、これでは確かに「バイオハザード」新作が公開されても、見る暇はなかったなと納得した。


「アフターライフ」は冒頭、渋谷のスクランブル交差点で幕を開ける。元々が日本発ヴィデオ・ゲームだから、いつかは東京辺りが舞台になるのは当然と言える。「ワイルド・スピードX3 Tokyo Drift (The Fast and the Furious: Tokyo Drift)」ではやはり渋谷のスクランブル交差点をクルマが人を蹴散らしながら疾走し、今回はその人混みの中でいきなりアンデッドが人を襲う。スクランブル交差点で事件が起きるというのはお約束になりつつあるようだ。あれだけ人がうじゃうじゃいると、ここで何かやりたいと考えるのはよくわかる。


一方で、アメリカでは劇場公開されず、先頃ケーブルのホールマーク・チャンネルでプレミア放送された「Hachi 約束の犬 (Hachi)」のエピローグでは、渋谷駅のスクランブル交差点ではなく、銅像のハチ公がとらえられていた。それ以外でも近年、「バベル (Babel)」「ジャンパー (Jumper)」、TVでも「アイ・サヴァイヴド・ア・ジャパニーズ・ゲーム・ショウ (I Survived a Japanese Game Show)」等、渋谷北口の一角が東京、ひいては日本のイメージを代表している。その地下に、アンブレラ社の中枢部が人知れず構築されているのだ。これまた当然か。


冒頭、忍者紛いの背に二本の刀を差した忍者紛いのスタイルで登場したアリス、しかもおまけに分身の術まで使う。元々これまでのシリーズに二刀流のようなアクションはあったが、今回は特に場所が日本だからさも当然と言わんばかりのサーヴィスだ。「III」を見ていないから詳しくは知らないが、どうもアリスは「III」でアンブレラ社の手に落ちて人体実験のようなものを施されたらしい。それによって超人的身体能力を手に入れた (後でアリスはクローン化されていたということを知ったが、ここでの描き方はやはりクローンというよりも分身の術だ。忍者なんだからそれが正当だろう。)


しかし「アフターライフ」の冒頭でアンブレラ社のボス、ウェスカーとの格闘の最中、解毒剤のようなものを射たれたアリスは、超人的能力を失ってしまう。たぶんアリスが分身の術を使えたのは、ヴィデオ・ゲームでボーナス・ポイントをもらったりパワー・アップしたようなものだったのだろう。だからボーナス・ステージが終われば、最終的に生身に戻るのは当然だった。ちゃんと辻褄は合う?


アリスはその後、約束の地と思われたアラスカに向かうが、そこで何かの障害で記憶が混濁しているクレアと再会する。アラスカは最後の希望の地ではなかったのだ。アリスとクレアは共にアラスカを脱出してLAに戻り、上空から刑務所の中で孤立している人間たちを発見する。彼らは刑務所内に危険な男クリスを隔離していた。クリスは得体の知れない男だったが、彼の知識は刑務所を脱出して沖合いに浮かぶ船アーケイディア号に辿りつくのになんとしても必要だった‥‥


「III」からクレア役のアリ・ラーター、今回はクリス役のウェントワース・ミラーと、アメリカTV界で近年話題となった番組から二人が重要な役で出演している。ラーターはNBCの「ヒーローズ (Heroes)」で半悪人的二重人格をうまく演じていた。ミラーはFOXの「プリズン・ブレイク (Prison Break)」でも刑務所に収監されてそこから脱獄することに執念を燃やしていたのに、ここでも結局また二重に刑務所内に閉じ込められており、そこからまた別の意味で脱獄を敢行しないと生き延びることができない。よほど刑務所と縁があるようだ。


しかし今回は、刑務所の外に出てもそこはアンデッドが群れる世界であり、むしろ刑務所の中から外に出ない方が安全だ。それでも脱獄することが既にDNAに組み込まれているミラーは、皆の先頭に立って外に向かわざるを得ない。クリスが刑務所の中に二重に閉じ込められていても余裕たっぷりだったのは、彼がいずれ外に出され、さらに外部に向かうことが運命づけられていることを知っていたからだ。


「バイオハザード」は、既に「アポカリプス (Apocalypse)」でもそうだったが、もはや特にホラーとしては機能していない。これはSFアクションだ。アンデッド、ゾンビは、やっつけてもやっつけても後から後からうようよと不特定多数のゾンビみたいに (という比喩はヘンだが) こちらに迫ってくる、というのが怖さの本質のはずで、「ゆっくりと」、「数で圧倒」するところにポイントがある。今どんなにあいつらを蹴散らしても、最終的にはいずれやられてしまうのだという徒労、絶望が徐々に浸食して精神を蝕む怖さなのだ。


ゾンビが単体で走ってきたら、そんなの撃ち殺して返り討ちにしてやればいいことで、特に本人に高い身体的能力があるのでなければ、そんなの怖るるに足りない。このことは昨年の「ゾンビランド (Zombieland)」でも描かれていた。視覚的には、どんなにゾンビが怖い崩れた顔していようとも、そのうち慣れる。第一、そんなぼろ着て爛れた皮膚をあちこちべちゃべちゃとくっつけたり剥がしながらじゃ、走るに走れんだろう。だからこちらが本気で走れば振り切れる。


そして「バイオハザード」が決定的にホラーではないのは、その、集団で群れるしかないはずのゾンビに、スーパーゾンビ的親玉が登場したことにある。一回り大きく、その上動きも素早い首領格ゾンビが出現したことで、「バイオハザード」はホラーと決別することになった。主人公対敵のボスとの一対一の見せ場の対決が用意されている場合、それをホラーとは呼ばないのは言わずもがなだ。


この図式は既に「アポカリプス」で登場し、今回も同様の轍を踏んでいる。このことは、「バイオハザード」のオリジナルがヴィデオ・ゲームであることとも無関係ではないだろう。ホラー・ゲームといえども一種のシューティング・ゲームである「バイオハザード」は、ヴィデオ・ゲームである以上、クライマックスに親玉ゾンビとの対決が用意されているはずだ。それがゲームの最終的な目的だろう。だからゲームに範をとる限り、映画でもどこかで主人公が敵の親玉と対決してやっつけない限り、ゲーム・オーヴァーとはならない。


「アフターライフ」では中盤のクライマックスに、アリス/クレア組対スーパーゾンビとの対決が用意されている。もちろんこういうゾンビがいることの必然性は、ヴィデオ・ゲームにはともかく、少なくともこの物語においてはまったくない。それなのにスロウ・モーションを多用したアクション・シークエンスに、決めのポーズまで入る。ここで必要なのは観客の拍手喝采だ。どう見てもヒーロー・アクションものだ。


「バイオハザード」はむろん「アフターライフ」でも終わらない。次は洋上での閉ざされた密室アーケイディア号で展開することもできるし、まったく別の舞台を用意することも可能だ。案外人類が隠れて生息していた地底や、もしかしたら舞台は宇宙になるかもしれない。もちろん作り手には、こういう安易な予想を覆してくれる展開を期待する。








< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system