Reprise


リプライズ  (2008年6月)

フィリップ (アンダース・ダニエルセン・リー) とエリック (エスペン・クロウマン-ヘイナー) は幼い時からの親友で、二人とも将来は作家になりたいと思っていた。成長した二人は同時に原稿を出版社に送る。フィリップの原稿は採用されて出版され、一躍文壇の寵児となるが、エリックの原稿はボツになる。しかしフィリップはその後書けなくなり、精神の失調を来たす。一方、地道に書き続けるエリックにはようやく陽が当たってなんとか文筆業で暮らすことの目処が立つようになる‥‥


___________________________________________________________


劇場版「Sex and the City」が注目されていることは重々知っていたが、本当に猫も杓子も「Sex」という感じだ。特にニューヨークに住んでいるために地元のマスコミが頻繁にとり上げるせいもあるかと思うが、しかし私のように流行に疎い、というかあまり気にしないタイプの人間には、特に「Sex」がアピールするわけではない。というか、騒いでいるのは基本的に圧倒的に女性の方が多い。実際の話、デートでガール・フレンドから誘われるか女房が強硬に主張しない限り、率先して「Sex」を見に行こうと考える男性はそれほどいないだろう。うちは幸い女房も特に「Sex」を見たいとは思わないタイプなので、ここは安心して「Sex」はパスする。


一方、アクション方面でも見たいやつは既に見ているし、未見の話題作というとファンタジー系の「ナルニア国物語: カスピアン王子の角笛」くらいしかないが、こちらも正直言って趣味ではない。それで他に何かないかと思って見つけたのが、この「リプライズ」だ。これまで予告編を見たこともなければタイトルを聞いたことすらなかったのだが、これが結構評がいい。エンタテインメント・ウィークリーではA評価がついていたし、デイリー・ニューズでは上映中の数ある作品の中で、唯一5つ星評価がついていた。通常、マスコミが星評価をする場合、最高は4つ星というのが基本なのだが、時折最高5つ星を採用する媒体もある。いずれにしてもいきなり興味を惹かれ、では、と見に行ってきた。


オスロで育った幼馴染みの二人、フィリップとエリックは、二人とも作家になりたいという夢を持っていた。成長した二人はある時、二人同時にそれぞれが書いた小説を出版社宛てに投函する。その結果、エリックの原稿はボツになったがフィリップの原稿は出版され、一躍文壇の寵児となって注目を浴びる。しかしその後フィリップは精神の均衡を崩し、書けなくなって入院する。一方地道に書き続けたエリックもその甲斐あって出版界から認められるようになり、その一方でフィリップの面倒もあれこれとみてやろうとする。フィリップにはガール・フレンドのカリもいたが、発作的にどんな行動を起こすかわからないフィリップとの仲はうまくいっているとは言い難かった‥‥


監督のヨアキム・トリアーは、名前といいやたらと内省的な視点や内容、ジャンプ・カット気味の繋ぎ方等、海を挟んだ隣国デンマークのラース・フォン・トリアーに似てるなと思いながら見ていたのだが、実際この二人は遠い親戚筋に当たるそうだ。道理で。そのフォン・トリアー、案の定というか重い鬱にかかってしまい、映画が撮れなくなってしまったという話を昨年ニューヨーク・タイムズで読んだ。それでそういえば彼は今どうなってんだと気になってIMDbでチェックしたら、新作の「Antichrist」が製作準備に入ったという表記になっていた。どうやら回復したようだ。ああいう作品作りは、作っている本人からもかなりのエネルギーを奪うものだと想像する。


それにしてもあの辺の映像作家は、フォン・トリアーを筆頭に同じドグマ系のスザンネ・ピエール等、どうしても内省的になる。コメディ (と必ずしも言えないと思うが) を撮っているアキ・カウリスマキですら、素直に笑えるわけではないし、ベルギーのダルデンヌ兄弟もこの中に含めてしまってもいいかもしれない。寒いところでは家の中にいる時間が多くならざるを得ないから、どうしても煮詰まってそうなるんだろう。「リプライズ」も当然そうで、主人公の片割れフィリップは精神の均衡を崩して入院するし、彼と親友のエリックが神のように崇め奉っている作家は自殺するなど、やはり思いつめた世界と無縁ではない。


そしてまた、そういうぎりぎりのところにいる主人公がどういう行動を起こすかわからないせいで、作品が異様な緊張感を醸すところもフォン・トリアー作品を彷彿とさせる。「リプライズ」では退院したもののまだ不安定なフィリップが、時折いきなりカウント・ダウンを始めるシーンが何か所かある。自転車に乗っていて、いきなり目をつむって10、9、8、7‥‥とカウント・ダウンを始めるのだ。この、自転車に乗ってて目をつむるというのは、実は私もティーンエイジャーの時よくやったことがあり、スリリングで楽しいのだが、ここでの半分自暴自棄のフィリップは、わざわざ車も走っているところでほとんど生死の運試しのような感覚でこれをやるので、かなり怖い。一歩間違ったら本当に死ぬ可能性がある。


その後フィリップはガール・フレンドのカリが勤めている会社のビルに行ってエレヴェイタに乗り、そこでカウント・ダウンを始める。ぐんぐん昇っていくエレヴェイタの中でこれをやられると、こいつもかなり怖い。反射的にこちらはカウントがゼロになったら屋上かどこかから飛び降りるんじゃないかと想像してしまうからだ。それでカウントが進むと、怖くなって思わずスクリーンから目を逸らしてしまった。そしてまた、そこでフォン・トリアーの「ドッグヴィル」を見た時に、あまりに痛めつけられるニコール・キッドマンを正視していられなくて、やはりまともにスクリーンが見られなかったことを思い出した。この辺のほとんどマゾヒスティックにすら感じられる怖さ、しつこさ、緊張感は、あの辺の寒い国特有という気がする。


主演のフィリップに扮するアンダース・ダニエルセン・リーは、「ザ・ビリーヴァー」に出ていた時のライアン・ゴスリングとかなり印象が似ている。一方エリックに扮するエスペン・クロウマン-ヘイナーはクリストファー・ウォーケンとヒュー・グラントを足して割ったような顔立ちで、要するに二人ともハンサムだ。また、カリに扮するヴィクトリア・ヴィンゲは、こちらは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に出てきたビョークとの類似は否定しようがなく、おかげでこれまたフォン・トリアー作品を思い出す。どうやらヨアキムもラースも女性の趣味は似ているようだ。


スーパーモデルに北欧系出身が多いのを見てもわかるように、あの辺の人間は長身ですらりとしている者が多い。おかげで労せずして着こなしが様になる。この映画、女房と一緒に見に行ったのだが、出てくる俳優がことごとく手足が長いので、自分が着ると手首で余ってだぶだぶになるようなシャツやスウェター等が、きちりと手首のところで袖が終わっていることに痛く感銘を受けたらしい。しかしどんなに見場がよくても、周りが見えなくなるほど煮詰まってにっちもさっちも行かなくなるよりは、多少は見場なんてよくなくてもハッピーで生きていける方がよいと、こういう作品を見ると強く思うのであった。


とはいえ「リプライズ」が悲劇のまま終わっているわけではない。ラストはなんとはなしにそこはかとない希望が感じられる。それは淡いものであるが、確かに不幸一色ではない。初期のフォン・トリアー作品もそうだったが、「奇跡の海」だとかあるいは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」ですら、その力強さのために、悲劇の体裁をまとってはいてもマイナス志向という感じはあまりしなかった。「リプライズ」は力強さという点ではフォン・トリアーほどぐいぐい押してくるわけではないが、決して悲観的というわけではない。ヨアキムの今後は、どんどん悲劇の密度を増していったフォン・トリアーのようにではなく、できれば仕合わせの密度を高めてもらいたいと、個人的には希望する。







< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system