Red Dragon
レッド・ドラゴン (2002年10月)
Red Dragon
レッド・ドラゴン (2002年10月)
昨年「ハンニバル」を製作した、ハリウッド最後のインディペントの大物プロデューサーと呼ばれているディノ・デ・ラウレンティスが、レクターものの第一作「レッド・ドラゴン」をまたまた新しく製作した。またまたというのは、ラウレンティスは86年に既に「レッド・ドラゴン」をTV映画として製作しているからで、実はその時の「レッド・ドラゴン」である「マンハンター (Manhunter)」は、監督があのマイケル・マン、ハンニバル・レクターを演じたのはエミー賞をとった「ニュールンベルグ」や「L.I.E.」等で最近とみに株が上がっているブライアン・コックス、FBIエージェントのグレアムを演じたのは、現在「CSI」で人気俳優となっているウィリアム・ペーターゼンと、これはこれでなかなかのメンツが揃っていた。因みに「マンハンター」というタイトルは、オリジナルの「レッド・ドラゴン」というタイトルをまるでカンフー映画みたいだからということで却下したラウレンティスのアイディアであるそうだが、今となっては「マンハンター」というタイトルの方がよほど古くさく感じる。
マイケル・マンというと、代表作に今でも「ヒート」でも「インサイダー」でもなく、この「マンハンター」を挙げるものがいるくらい、実は知る人ぞ知る隠れた名作である。とはいえやはり一昔前の、しかもTV映画であるからして、いかんせんそれを実際に見たことのある人が少ない。かくいう私もその一人で、多分探せばヴィデオかDVDになっているんだろうが、新作を劇場でこなすのが精一杯で、それでも見落とす作品が幾つもあるのに、わざわざヴィデオを借りてきて見る気にもなれず、これまで未見である。多分ラウレンティスも、せっかく傑作と言われている番組を製作したのに誰も見ていないことが気に入らず、しかも商売としてはきっと名声、実入り共にでかい映画としてもう一度製作したかったんだろう。それにアンソニー・ホプキンスにもう一度レクターをやらせてみたかったのではないか。
規模のでかいハリウッド映画として製作しているだけあって、今回の「レッド・ドラゴン」の出演者の顔触れには圧倒される。FBIエージェントのグレアムにエドワード・ノートン、ハンニバル・レクターにアンソニー・ホプキンス、連続殺人犯にレイフ・ファインズ、ノートンの上司にハーヴィ・カイテル、盲目のヒロインにエミリー・ワトソン、嫌みな新聞記者にフィリップ・シーモア・ホフマンと、監督とプロデューサーが選り取り見取りに好きな俳優を選んだら、皆一発でOKしたという感じだ。ほとんど大した出番のないノートンの妻役のメアリ-ルイーズ・パーカーだって、他の映画にでれば主役だろう。
で、結局内容であるが、当然マン演出の「マンハンター」と比較されるのは最初からわかりきっていたことで、さらには前回のリドリー・スコット演出「ハンニバル」や、ジョナサン・デミの演出した「羊たちの沈黙」あたりとも較べられるのは必至である。監督としては不安半分やる気半分といったところであろうが、やはりこれは少しくらい心臓に毛が生えていないと、怖くて手が出せないだろう。その大任を任されたのは「ラッシュ・アワー」シリーズのブレット・ラトナーで、アクション・シーンがこなせるところと、「天使のくれた時間 (The Faimly Man)」のようなわりと描き込むドラマも両方撮れるところが評価されに違いない。
「マンハンター」を見ていないので私は見較べることはできないが、色んなところで見たり聞いたりしたのを総合してみると、どちらができがよいかではなく、とにかくTV映画とハリウッド大作としての製作規模の違いが最大の特色であるようだ。しかし、そりゃあまあ、それは最初から予測されたことで、こっちが最も知りたいのはホプキンスとコックスのレクターではどちらがすごいか、ノートンとペーターゼンではどちらがはまっているか、トム・ヌーナンとファインズのシリアル・キラーとではどちらが怖いか、あるいはエミリー・ワトソンとジョーン・アレンのヒロイン度比較等々であるのだが、その辺は見る人によって意見は違うようだ。ただし私がUSAトゥデイで読んだ話によると、少なくとも原作者のトマス・ハリスはわりと話を端折った「マンハンター」よりは、今回の「レッド・ドラゴン」の方が気に入っているらしい。でも、これは原作者の意見だからな。あまり内容に手を入れられていない方を気に入るのは当然だろう。
私はまだ記憶に新しいスコットの「ハンニバル」を思い出しながら見ていたのだが、「ハンニバル」の方が作り手の美意識が人一倍強く感じられたが、物語として見ると、「レッド・ドラゴン」の方が話としてはよりまとまっているかもしれない。私としては「ハンニバル」の方が好きだが、多分「レッド・ドラゴン」の方がより一般受けするだろう。実際、私の知人の意見は、「ハンニバル」よりは「レッド・ドラゴン」の方が面白かったが、しかし、一番面白かったのは「羊たちの沈黙」であった由。まあ、その辺がごく一般的な意見のような気がする。
私が最も気になったのは、今回の「レッド・ドラゴン」では豊富な人材を惜し気もなく起用したために、誰も彼も少しずつ、皆もったいないような使われ方をしているという点 。なんか、ガラ・コンサートでも観ているみたいで、皆さん少しずつ出てきては見栄を切って退場していくというような感じなのだ。特にそれを感じるのはエミリー・ワトソンで、ヒロイン役とはいえ、登場してくるのは作品も半ばを過ぎた頃からあたりで、それでもそれから特に出番が多くなるというわけでもない。もったいないなあと思いながら見てしまうのは生来の貧乏性のせいだろうか。
また、ホプキンスの映画であった「ハンニバル」に較べ、「レッド・ドラゴン」では本質的なシリーズ主人公であるホプキンス演じるレクターの出番はまだそれほど多くなく、その点でも薄味の印象は否めない。シリアル・キラーを扱った映画で何が薄味かと言われそうだが、そのシリアル・キラーを演じるファインズも、これははっきり言ってどんなに身体を作っていようとも優男過ぎる。ここはもう少し鬼気迫るというか、迫力ある面構えが欲しかったところだ。彼だと格好よすぎるのだ。それに彼だって、出番が増すのは作品も半ば近くになってからである。
しかし、シーモア・ホフマンの嫌らしい新聞記者は、あの嫌らしさを出せるのは彼ならでは。あと、これまた大して出番があるわけではないのだが、ノートンの上司役に扮するハーヴィ・カイテルが、適役かどうかはともかく、その大して活躍もせんのにいつもその辺をうろちょろしているとでもいうような使われ方が、例えばニコラス・ローグの「ジェラシー」での刑事役を彷彿とさせ、私は一人で受けていた。カイテルって、なぜだかそういう外部の人間的な使われ方をする役が非常に多い。あ、そうそう、私はあまりマンハッタンで夜遊びをしないのでそれほど多くのスターを目にしたことがあるわけではないのだが、一度カイテルはソーホーで見かけたことがあり、作務衣のような服を着て、信じられないくらい可愛い娘の手を引いて散歩していた。またまた話は変わるのだが、ロビン・ウィリアムスの娘も、びっくりするくらい可愛い。なぜ俳優の娘ってああも可愛い子が多いのか。父親は、癖のあるなかなかいい顔をしているとは思うが、やはりハンサムというのとは違うと思うのだが。