Real Steel


リアル・スティール  (2011年10月)

元プロ・ボクサーのチャーリー (ヒュー・ジャックマン) は、チャンプになるという夢がかなわず引退した今も、今度はロボットを使った賭けボクシングで糊口を凌いでいた。しかしそれすらも思うようにはいかず、ロボットにつぎ込む金の借金だけが嵩み、ガール・フレンドのベイリー (エヴァンジェリン・リリィ) からもほとんど見放される寸前だった。チャーリーには前妻との間に11歳になる息子のマックス (ダコタ・ゴヨ) がいたが、彼女が死亡したため、マックスの養育という仕事が回ってくる。義理の姉デブラ (ホープ・デイヴィス) は喜んでマックスの親代わりになることを承諾し、チャーリーに金をわたすが、しかし既に予定に組まれている夏の休暇の間だけ、チャーリーがマックスの面倒を見ることになる。チャーリーと共にロボットの墓場で部品を調達していたマックスは、そこであわや谷底に転落しそうになったところを、一台の朽ちかけたロボットに助けられる。マックスはそのロボットを持って帰り、修理してロボット・ボクサーとして復活させようと試みる。アトムと名付けられたそのロボットは古い型で、今では古いテクノロジーとして使われなくなった、視覚による学習能力を持っていた。アトムはチャーリーの動きを真似し、操縦者として巧みなマックスに操作されることで、ダーク・ホースとしてめきめきボクシング界に頭角を現してくるが、しかし現チャンピオンのゼウス関係者は、当然そのことを快く思っていなかった‥‥


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近年は「オーストラリア (Australia)」を除いてウルヴァリン以外の印象がほとんどないヒュー・ジャックマンが久しぶりに生身の人間として出てくる「リアル・スティール」、とはいえジャックマンはやはり自分の分身としてのロボットを操縦するという役回りで、どんどん人間じゃない方向に向かっている。


今回ジャックマンが演じるのは、元ボクサー転じてロボット・ボクシングでボクサー・ロボットを操縦するどさ回りの賭け操縦士という役どころ。ヴィデオ・ゲームでは当然こういう設定のゲームが既にあるだろう。というか、基本的に格闘系のゲームは多かれ少なかれこれと同じことをしている。


いずれにしてもロボットを戦わせるというアイディアは、日本人にはすでにお馴染みだ。我々には既に手塚治虫の「鉄腕アトム」があるし、横山光輝の「鉄人28号」もある。「ガンダム」もあるし「エヴァンゲリオン」もある。特に今だと、浦沢直樹が「プルート」を描いているので、史上最強を決めるためにロボットを戦わせる「鉄腕アトム」の「地上最大のロボット」を思い浮かべる者は多いと思う。「リアル・スティール」でロボット同士を戦わせるというアイディアで、私が真っ先に連想したのもそれだった。


人間の命令には従わなければならないロボットを、本人の意思に関係なく戦わせるという「地上最大のロボット」は、ガキの頃に一度読んだきりだが、泣きながら読んだ悲しい話だったことはよく覚えている。今回も思わずそういう話を想像した。


しかしもちろん、「リアル・スティール」はそういうお涙頂戴の話ではない。それなりの感動ものではあるが、「リアル・スティール」が描くのは、スポ根もの、ずばりクラシックと言えるボクシング映画「ロッキー (Rocky)」に近い。というか、今回は間にロボットというワン・クッション入るだけで、ほとんど同じとさえ言える。


一方で、作り手が日本のマンガ、アニメーション、その手のものに親しんでいることは確かだ。チャーリーとマックスが最初に手に入れるロボットの名は「ノイジー・ボーイ (Noisy Boy)」だが、このロボット、胸に漢字で「超悪男子」と名が記されている。メイド・イン・ジャパンのロボットで、英語の音声命令には反応しないが、「ミギ、ヒダリ、アッパーカット」という日本語で動く。ヴィデオ・ゲームに親しんでいるマックスが、そういう日本語なら使えたりする。それにしてもノイジー・ボーイを超悪男子とするセンスには感心した。これ、なんかオリジナルがあるのだろうか。


さらに、その後マックスがロボットの墓場から見つけてくる時代遅れの旧型ロボットは、アトムと命名される。やはり「鉄腕アトム」の方だったか。


「鉄腕アトム」こと「アストロ・ボーイ (Astro Boy)」は、アメリカでもTV版が放送されているし、一昨年にも映画化された。だからアメリカ人にもよく知られている。しかし「地上最大のロボット」はどうかと思って調べようとしたが、IMDBのエピソード・リストは完全じゃないし、Wikipediaによると、アメリカで放送されたエピソード数は、日本版オリジナルより少ない。ウィキペディアでは193話あるエピソード数が、アメリカで放送されたヴァージョンに言及するWikipediaでは104話になっている。この中に「地上最大のロボット」はあるかとチェックしてみたんだが、どうも第30話の「ザ・スーパー・デューパー・ロボット (The Super Duper Robot)」が怪しそうだと睨んではみたものの、確認する術がない。「地上最大のロボット」が前後編と2話仕立てなのに、「スーパー・デューパー・ロボット」は一話限りだ。よくわからない。


監督は「ナイトミュージアム (Night at the Museum)」のショーン・レヴィで、彼がカナダ出身ということを知って、ますますわからなくなった。カナダでは「アストロ・ボーイ」は放送していたのだろうか。それともこの内容はレヴィではなく脚本家や、もしかしてプロデューサーが意図したものなのだろうか。


ついでにいうと、「地上最大のロボット」というタイトルはおかしい。これはやはり「地上最強」もしくは「史上最強」になるべきだろう。「地上最大」だと、ただでかければいいことになってしまう。とかなんとか、いつものようにどんどん思考が脱線して行ってしまうのだった。


ところで「リアル・スティール」のアトムは旧型ロボットで、すでに時代遅れとなった視覚追認による形態模写でボクシングする。ということは、模写する相手が強ければ、実際にアトムも強くなれる。一方、先進型の他のロボットは、iPadかヴィデオ・ゲームのコントローラみたいのを使って操作する。慣れやプログラミングによってはこちらの方が高度な操作ができるのだろう。


実際テクノロジーの進化ということを考えれば、人間の生身の身体の運動能力なんか、テクノロジーの方がすぐに追い越しそうだ。一方日本のマンガ/アニメを見てみると、アトムは自立型で一人でなんでもできたものが、「鉄人28号」では金田少年がリモート操作するようになり、「マジンガーZ」や「ガンダム」、「エヴァンゲリオン」では人が乗り込んで操縦しないといけなくなる。これはテクノロジーの進歩に逆行している。


むろん彼らが図体がでかいから、ロボットの視点に近い方が操縦がしやすいということもあろうが、それだってロボットの視覚を追認できれば、遠隔操作でも思うように動かせないことはないだろう。というか、基本的にロボットの存在意義は、人間が危険の及ばない遠くから操作できるという点にこそあるはずだ。テクノロジーが進めば、人がロボットの内部から操作するという形態はなくならなければならない。進化の道筋は明らかにそう引かれている。


そうではないのはロボット操作がスポーツという方向に枝分かれした場合だろう。これだって、実際には自分が痛い思いをせずにロボットを戦わせるという多少卑怯なスポーツだが、でかいだけあって迫力はある。そしてアメリカだと結局、「エイリアン2 (Aliens)」でシガーニー・ウィーヴァーが乗り込んで操縦したロボットのように、どうしても肉弾戦に持っていきたい。


最終的には「アバター (Avatar)」のように、ほとんどロボット、というか仮想空間が現実化する。自分の身代わりとして造られたはずのロボットや仮想世界に再び意識や感覚を持たせてわざわざ同化するのだ。ロボット・ボクシング、近い将来に本当に現実のものとなりそうな気がするが、その時にリモート操作だけではなく、操縦者乗り込み型もできる可能性も高いと思う。と、2列前の席で両手を挙げて万歳をしながら燃えている女の子を見ながら思うのだった。








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