Ray   レイ  (2004年10月)

レイ (ジェイミー・フォックス) は幼い頃、目を患って視力を失ったが、その前からピアノに親しんでいたこともあり、長じてピアノ・プレイヤーとして身を立てる。目は見えなくとも生来の押しの強さと天性の才能で段々と頭角を現してくるレイだったが、同時にドラッグにも手を出し、しかも女性にも手が早かった。彼の才能が芽を出し、ヒットを連発すればするほど、私生活ではドラッグと女性問題が逆に大きくなっていくのだった‥‥


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「レイ」のような偉人伝/伝記物は、ハリウッドが得意とする分野の一つである。特にドラマと音楽の両方を一緒に提供できる映画という媒体が、ミュージシャンのドキュドラマに食指を伸ばすのは当然だ。ミュージカルという分野が、人工的に過ぎると感じる者が多いため昔ほどの人気がない現在、音楽的な業績を残したミュージシャンのドキュドラマは、今後も増えこそすれ減ることはないだろう。


とはいえ、この種の作品で主人公が本当に偉人と言えるような清廉潔白な人間であることはほとんどない。むしろそうでないところにドラマが生まれるからだ。特に音楽を生業としている人物を描いた場合だと、ほぼ確実に主人公はドラッグに手を出しているし、身持ちが悪い。「ローズ」だろうが「ドアーズ」だろうが「歌え、ロレッタ」だろうが「ジプシー」だろうが「バード」だろうが「ティナ」だろうが、考えると、思い出すことのできる音楽関係のドキュドラマはすべてそうだ。あるいは「シャイン」のように精神的に問題があるか、「セレナ」のように、いずれにしても悲劇的結末を迎えるかだ。もっと昔に遡って「ベニー・グッドマン物語」辺りになると品行方正であったような記憶もあるが、今ではそういう主人公では逆に人が見に来ないだろう。


要するにドラマの主人公になるには、本人がある程度の偉業を成し遂げた逸材であると同時に、その人生がドラマティックであり、できれば悲劇的なシチュエイションがあるとより望ましい。それを考えると、存命で今後ハリウッドが映画化確実なミュージシャンというと、ローリング・ストーンズ、マイケル・ジャクソン辺りが筆頭だろう。マイケルのシチュエイションを「悲劇」ととらえるかは人によると思うが、マイケル以降、彼ほど世界の音楽シーンに影響を与えた人物は現れていない。穴としてエリック・クラプトン辺りも可能性は高いと思う。あとはマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン辺りを本気で製作しようと考えるプロデューサーが現れるかどうかだな。


ビートルズは既に色んなところで描かれているが、どちらかというと素行的に問題が少ないビートルズ自身が描かれにくいのはわかる。ビートルズで最も可能性があるのは、既に何年も前に物故しているとはいえ、やはりジョン・レノンだろう。とはいえ先だってABCが中継した「アメリカン・ミュージック・アウォーズ」を見ていたら、本邦初公開の新発見のビートルズ初来米時のテープを紹介しており、それを見たホストのジミー・キメルが、全米生放送番組というのに、「冗談じゃなく退屈」と、まだいる狂信的ビートルズ・ファンに刺されかねない本音を漏らしていた。実は、私も思わずかなり同感と感じてしまった。やはり優等生は時が経つと風化してしまう。


さて、「レイ」であるが、その主人公のレイ・チャールズは今年亡くなった。チャールズが危ないことを見越してこの映画が製作されたのかは知らないが、タイミングとしてはまるで図ったかのようだ。あるいは、死後もこうして話題を提供するところこそが天才と呼ばれる所以なのかもしれない。


別に私はチャールズを同時代で聴いた世代ではないので、実はそれほどチャールズに対して思い入れというのはない。チャールズの全盛期はほとんど知らず、一番記憶に残っているのは、9/11後の追悼コンサートで、ステージで「アメリカ、アメリカ‥‥」と歌ったあのシーンであり、次が「ジョージア・オン・マイ・マインド」でしかない。つまり、私はほとんどチャールズのことを知らない。


それで、稀代のパフォーマーとして謳われるチャールズを描くこの作品で、私が最もへえと思ったのが、レイの音楽の才能ではなく、目が不自由にもかかわらず、やたらと女性にも手が早いという事実であった。目が悪いというハンディキャップは、女好きということに対してほとんど影響しない。というか、そういうハンディキャップなんか、一つの才能さえあれば、ハンディキャップにもなりはしない。男は顔じゃない、才能なんだと改めて思わせてくれた。あとは本人にその気があるかどうかだ。


もう一つ感心したのが、チャールズのビジネスマンとしてのもう一つの側面である。別に音楽業界に限らないだろうが、そういう、才能がすべてであるような業界にいても、ビジネスの才覚というものは必要とされる。そういう場でネゴに応じる手腕も大事なのだ。それとやはり、運だろうが、これは才能の一部と言ってもいいかもしれない。


ミュージシャンの半生を綴っているわけだから、その音楽のパフォーマンス・シーンに見どころが多いのは当然だが、最も盛り上がるのが、チャールズと、愛人でありバック・コーラスでもあるマージ (レジーナ・キング) との関係がこじれ口喧嘩となり、今後のつきあいはビジネスの上だけだ、わかったわと、泣きながらも完璧なハーモニーを聞かせるシーンで、聞かせどころとは最初からわかっていても鳥肌ものだ。やはり私生活に問題が多ければ多いほどドラマになる。


チャールズを演じるジェイミー・フォックスは、トム・クルーズと共演した「コラテラル」に続き、出演作が相次ぐ。特に今回は完全な主演であり、クルーズのような相方の力を借りなくても充分ハリウッド大作の主演が務まることを証明した。実は「レイ」の話を聞いて私が即座に思ったのは、チャールズを演じるのはサミュエル・L・ジャクソンだろうということなのだが、いつの間にやらちょっと癖のある黒人俳優というと、誰もがフォックスを思い浮かべるまでになっている。今年もそろそろオスカーを睨んだ作品が公開され始める時期になったが、フォックスが最初の主演男優ノミネート当確といったところか。






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