Quarantine


クアランティン  (2008年10月)

LAの消防隊員に密着してその仕事ぶりを追うという任務を仰せつかったレポーターのアンジェラ (ジェニファー・カーペンター) は、カメラマンのスコットと共に消防署の中を撮影するのに余念がなかった。そこへサイレンが鳴り、アンジェラは消防車に乗って同行する。そのアパート・ビルの2階では老女が正体をなくして幽鬼のように動き回っていた。消防隊員の一人はその老女に咬まれて大量の出血をしてしまう。彼らが病院に行くためにビルの外に出ようとした矢先、政府機関と思われる、防毒スーツに身を包んだ得体の知れない男たちが、外からビルを完全に包囲してアンジェラたちを隔離してしまう。そして老女に咬まれたり返り血を浴びたりした者たちが次々にゾンビ化していく。いったいこのビルでは何が行われていたのか‥‥


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4年ぶりに2週間の休暇をとって帰省して帰ってきて、休暇の余韻を吹き払い、さあ、これからいつも通りの生活に復帰だ、休暇ボケしている暇はない、普段通りの生活ということでまた映画も見ないとと思って、まずはリドリー・スコット演出、レオナルド・ディカプリオ、ラッセル・クロウ主演の「ボディ・オブ・ライズ」からだなと思っていた。そしたら、私に較べていつも時差ボケのひどい女房がまったく回復できずに昼間起きられず、ディカちゃん見たいから今回は別の見に行ってと言う。


それで本来なら今週「ボディ・オブ・ライズ」、来週クリント・イーストウッドの「チェンジリング」かエドワード・ノートン、コリン・ファレルの「プライド・アンド・グローリー」、ヴィゴ・モーテンセン主演の西部劇「アッパルーザ (Appaloosa)」、アン・ハサウェイが評判の「レイチェル・ゲッティング・メアリード」、あるいはこれまた結構評価が高い「ニック・アンド・ノラズ・インフィニット・プレイリスト (Nick and Norah's Infinite Playlist)」 なんてのも目先が変わっていいかもと思っていたのだが、女房の一言でご破算になった。


こんなに見たいと思える作品があるのに、いきなりそう言われたもので他の作品はまだ公開前だったり単館公開だったりして時間が合わず、結局プライオリティ・リストでは下の方だったホラーの「クアランティン」を見るはめになった。「ソウV」なんてのもあり、ハロウィーンが近いのだなと思わせる。ま、これはこれでいいか。予告編見る限りそれなりに面白そうではあったし。


「クアランティン」は、TV局の女性レポーターがカメラマンと一緒にLAの消防隊員に密着してその仕事ぶりを追うという企画で、奇怪な事件に巻き込まれるというシチュエイションを描く。徹頭徹尾映像はそのカメラマンがとらえたヴィデオで成り立っており、それで思い出されるのは今年の「クローバーフィールド」、そしてなによりも「ブレアウィッチ・プロジェクト」だろう。特に今春、「クローバーフィールド」がこの、最初で最後の一発アイディアのように見えた関係者偶然手持ち撮影という舞台設定に新たな可能性を見せた。「ブレアウィッチ」から時間が経っていたことも大きいだろう。しかしかといってこの手法が何度も通用するとも思えず、こういう新規アイディアは、やはり最初にやった者勝ちという印象が強かった。


たぶんそのためだろう、「クアランティン」は予告編を見ても、その映像が関係者のヴィデオカメラに収められたものだけで成り立っているとはすぐにわからないようになっている。それが「クローバーフィールド」を見た者に対して、またかと思わせない配慮であることは間違いないだろう。予告編では明らかに関係者が撮った映像で成り立っていると気づくシーンもあるとはいえ、全編そうだとはすぐにはわからないように作られている。


一方、この作り方による物語の展開は、それなりに話を面白くするのに役立っており、「ブレアウィッチ」や「クローバーフィールド」のような新鮮味は薄れているとはいえ、効果がないわけではない。「クローバーフィールド」が先にあったために、「クアランティン」は興行的には特に成功したとも言えないが、しかし観客を楽しませることには貢献している。


さらに「クアランティン」は、近年流行りのゾンビ・ホラーの一亜種でもあり、なんらかの病原体に冒された者による感染によって、ゾンビ的な症状が閉ざされた空間内に蔓延するという状況を描く。場所はLAのとあるアパート・ビル内で展開するが、そのビルの中で秘密裏に研究されていたウィルスが広がってしまうという話であるため、政府はそのビルを徹底して隔離謝絶 (クアランティン) する。果たして中に閉じ込められた者は無事外に出るチャンスはあるのか。


最近のホラーではなんらかの災害や疫病の発生が起きると、政府がこういうクアランティン政策をとって感染した者を隔離するという展開が起こる場合が多い。先週見た「ブラインドネス」もそうだったし、「ドゥームズデイ」「ハプニング」もそうだった。 往年のホラーでは、ゾンビや感染した者は、まだ感染していない者や自治体の者によって追われたり隔離されたり退治されたりというのはあったが、特に明確にそれが政府を意味していたわけではなかった。近年の戦争やテロリズムに対する感受性と無関係ではいられないとはいうのはあろう。


ウィルス対策に政府から使わされた者たちは一様に頭から爪先まで白い防護服に覆われ、マスクをして現場に赴く。炭疽菌疑惑以来、細菌兵器が使用された現場ではよく目にする格好だ。平時のニューズでも見る機会が多くなっており、つまりそれだけ普通に細菌兵器が誰にでも気軽に作れるようになったことを意味している。マッド・サイエンティストならずとも、一般的な知識とその意図さえあれば、ごく手軽に誰でも細菌兵器が作れるような時代になっている。最も怖いのはそのことではないか。ある日突然、自分でも知らないうちに被害者になっているというのは、理不尽でめちゃめちゃ怖い。むろん映画が描こうとしているポイントもそこにある。


特にTVレポーターという仕事は、通常なら取材と称してむしろ押しつけがましいことを平気でしたりする人々という認識は、近年ではかなりコンセンサスを得ていると思う。ここでも最初、そういう感じで始まるものが、いつの間にか閉じ込められ、よくわからないものに追いつめられる。追っていると思っていたのに逆に追いつめられていたと気がつく瞬間は恐怖が倍加するに違いない。


「クローバーフィールド」では、素人ヴィデオという建て前になっているため、一応その大半を仲間内の一人が撮っているとはいえ、ところどころカメラは他の者の手に渡る。カメラマンの立場である者もほぼ最初から時に映される立場になる。しかし「クアランティン」はプロのTVカメラマンがカメラを担いでいるため、レポーターが時にカメラに向かって語りかけることはあってもそのカメラマン自身は常に撮影する立場だ。そのため時にカメラマンの声が聞こえることはあっても、彼 (男性というのは声でわかる) の姿が見えるわけではない。なんとなくしゃべり方から黒人かなあと思ってはいても確信があるわけではない。


それが一人やられ二人やられ、レポーターとカメラマンが正気でいる最後の何人かになってくると、映画の中で最初から登場しており、いつもその場にいるくせに姿を見せない謎の人物であるということが非常に気にかかってくる。これはもしかして新手のトリックで、もしかしたらこいつがこの事件を裏で手を引いている犯人か一味の一人、なんて想像しながら見ていたのは、もちろん私が本格ミステリ好きだからだ。しかし最後までカメラマンは結局彼一人でありながら、そういう私のような疑惑を持つような者のために? ちゃんと鏡やその他の演出によって彼もヴィデオの中に登場する。彼が犯人の一味というのは深読みのし過ぎであったか。


主人公のレポーター、アンジェラに扮するのは、「デクスター」のジェニファー・カーペンター。「デクスター」では人を切り刻む変態犯罪者を追う刑事であり、同様に危ない兄の妹でもある。やっぱりやばいっちゃあやばい役だ。脚本/演出はジョン・エリック・ドウドル。ドウドルの名は初耳だったが、調べてみると前作の「ザ・ポーキープシー・テープス (The Poughkeepsie Tapes)」も同様にヴィデオテープを多用したホラーのようだ。ヴィデオという媒体が好きなんだろう。

   






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