Punch-Drunk Love

パンチ-ドランク・ラヴ  (2002年11月)

実はポール・トーマス・アンダーソンの作品をこれまでに見たことがない。「ブギーナイツ」は70年代のディスコ/ポルノ・シーンという題材にまったく惹かれず、その次の「マグノリア」は3時間というその長さに見る前から根負けしてしまった。でも、まあ、評判や才能の方は事あるごとに耳にしており、見たい題材で撮ってくれさえしたら、と思っていた。で、実は最近恋愛ものにも完全に食指が動かなくなっているのだが、今回の「パンチ-ドランク・ラヴ」もまた見逃してしまうとさすがにちょっとやばいような気がしたのと、主演のアダム・サンドラーはともかく、「レッド・ドラゴン」ではもったいない使われ方をしていた相方のエミリー・ワトソン見たさもあって、初めてP. T. アンダーソン映画に接してきた。


バリー (サンドラー) は郊外の倉庫をオフィスに、ささやかながら自分のビジネスを持っていた。7人の姉妹に囲まれたたった一人の男の子であるため、そのお喋りやおせっかいに時として気が狂いそうになる気分を味わっており、時折突発的に暴力的になるという凶暴性も秘めていた。ある時、ほんの気まぐれからセックス・トークの電話サーヴィスに電話をかけたバリーは、胡散臭いとは思ったものの、相手の言いなりに自宅の電話番号やクレジット・カード番号、果てはソーシャル・セキュリティ・ナンバーまで教えてしまう。翌朝、彼のところにはディーン (フィリップ・シーモア・ホフマン) の差し金でほとんど脅しともとれる電話がかかってくる。一方、バリーが妹から紹介されたリナ (ワトソン) に段々好意を感じ始めた矢先、ディーンの手下による嫌がらせも段々度を増してくるのだった‥‥


本当に久し振りの恋愛映画だ。考えてみると、私が「パンチ-ドランク・ラヴ」以前に見た恋愛映画って、やはりワトソンが出た「愛のエチュード (The Luzhin Defence)」以来のような気がする。うむ、ワトソンが出る恋愛映画ならあんまり気にならないんだよなあ。これってやっぱり、「奇跡の海」の影響を引きずっているせいだろう。ワトソンが主演の映画なら、とにかくひとまず見る候補に挙げてしまうのだ。


いずれにしても「パンチ-ドランク・ラヴ」は、なるほど、P. T. アンダーソンがハリウッドでも特異な位置を占める監督であるということが納得できる作品である。一人朝まだきに自分の事務所でクーポン券について電話をしているシーンから、車の事故、そして捨て去られたオルガン (ワトソンはピアノと言っていたが、あれはやはりオルガンでしょう) を見せる冒頭のシークエンスは、よくはわからないがなんとなく気になる演出でぐいぐい引き込まれる。なんとなくスパイク・ジョーンズと近いものを感じさせる。歳も近いし、ヴィジュアル重視のドラマ作りといい、ちょっとひねくれた視点といい、きっとものの考え方も似ているのではないか。アンダーソンはきっとジョーンズが一枚噛んでいる「ジャックアス」も好きだと思うなあ。


あまり説明をせず、何のことかはよくわからないまま終わる捨てエピソードが多いのも特徴で、その辺を数え上げたらきりがない。まず、冒頭の事故は、あれは何だったんだ。目の前で車が大破しているのに、バリーはそれを見て警察に連絡することすらしないし、第一、なんで何もない普通の道路上で車がいきなり一回転して事故らなければならないんだ。その後の、いきなりオルガンを路上に捨てていくトラックはいったい何だったんだ。なんでバリーは周囲を気にしてそれを拾わなければならない。そしてなんでそのオルガンをわざわざ事務所のデスクの上に置かなければならない。それに、そのバリーの事務所は、何度も画面に現れるくせに、結局バリーが何のビジネスをしているかは (多分なんかのイヴェントの飾り付けのような仕事だとは思うが) やはりよくわからないのだ。


話の最大のポイントであるはずの、リナとバリーが惹かれあうという展開も、その辺の書き込みはまったくなく、気がつくと二人はほとんどできている。バリーは最初、リナを敬遠していなかったっけ? いったいいつの間に二人の気持ちは接近したんだ? そりゃあリナはバリーの妹から紹介された時からわりとその気のようには見えたけど、しかし、その前に車を置きに来た時のリナのエピソードは、ありゃいったい何だったんだ。そのリナの車は、いつの間にか話の展開から消えてしまったが、結局リナはそもそもの最初からバリーのことを知っていたという含みだったのか? よくわからんし、きっとわからんでもいいのだろう。


そういう観客には不親切な、端折られた展開には暇がないくせに、バリーが7人の姉妹に囲まれて鬱屈し、時たま凶暴になる時あたりの描き込み方はくどいくらいで、あれだけ念入りに描き込まれると、バリーが突発的に爆発してしまう気持ちは痛いくらいよくわかるようになっている。私は見てて、なんとなくパニック・アタックに襲われそうな気分になってしまった。あんな姉妹が何人もいて、気が狂わないのが不思議なくらいだ。


作品として一番気になるところが、ワトソンはともかく、主演に抜擢されたサンドラーがどうかというところだろう。これまでのギャグ路線から一転してシリアスな演技を見せるサンドラーは悪くないが、しかし、私は一抹の違和感を感ぜずにはいられなかった。これまでのサンドラーや「サタデイ・ナイト・ライヴ」のサンドラーを知っていると、サンドラーがこんなセンシティヴな人間ということがどうもしっくり来ない。サンドラーの新しい側面を引き出したというよりも、ちょっとサンドラー、無理があるなあという感じの方が強い。ただし、切れて暴力的になるところのサンドラーははまっている。私は、実はケヴィン・スペイシーだったらこういう役を完璧にこなすだろうなあと思って見ていたが、ただし、スペイシーだとこの役にはもう歳をとりすぎているかもしれない。


一方、元々エキセントリックな役柄が似合うワトソンは、こういう、なんか辻褄が合わないような役でも全然変じゃない。本人も本当にそういう人柄っぽいと思えるが、本当のところはどうなんだろう。ところで今回初めて気づいたのだが、ワトソンってわりと背が高い。なんとなく彼女は上背があるわけではないような気がしていたのだが、サンドラーと並ぶと、二人共ほとんど身長は同じくらいだ。それともサンドラーが高くないだけか。ワトソンが両手をサンドラーの首に回すと、サンドラーが押され気味である。


実はディーンに扮するシーモア-ホフマンも、ワトソン同様「レッド・ドラゴン」に出ていた。この人、あの面構えといい、あのたるんだ腹といい、あのくらいの歳の嫌らしい男を演じさせると、現在天下一品である。まったく似たような体形、面構えのジャック・ブラックが現在、お笑い系の映画で最も引っ張りだこの人気俳優であることを考えると、人間の印象というものは、ほんの些細なところでがらりと変わるもんだなあと思ってしまう。







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